「どうしたんだろ…」
雪男は窓に目をやった。
ようやく先生の手伝いから解放された放課後は、学園だけではなく空気さえ不穏な影が漂っている。窓から見える空は、太陽を覆い隠した曇天。まるで嵐の前兆のようだ。胸騒ぎが止まらない。それどころか全身の毛が弥立つ感覚が付きまとってくる。
「兄さん…」
嫌な予感がする。自慢ではないが、こういうときの雪男の勘は外れたことがない。それで、何度も死線をくぐり抜けてきたのだ。
雪男は自分たちの部屋へと走り出した。途中で人にぶつかることなどお構いなしに、なりふり構わずに走る。雪男らしからぬ焦りぶりと態度に、追い抜かれた教師は目を丸くしていた。
「うぉわっあ!」
「いっ…」
寮の階段をかけ上がり、もう少しで部屋の前と言うところで誰かとぶつかった。相手も相当なスピードで走っていたのか、思いっきり撥ね飛ばされる。強か打った腰が痛い。それは相手も同じようで、短い悲鳴が聞こえてくる。
「すみませ…って、シュラさん!?」
「雪男、燐はどうした!!一緒じゃないのか」
状況が飲み込めていない雪男に気にせず、シュラは早口に捲し立てた。雪男の襟を掴んで大きく前後に揺さぶる。
「兄さんに何かあったんですか」
「これから何かあるから、慌ててんだよっ!察しろ」
シュラは尻餅をついたままの雪男を力ずくに引きずり起こして、再び走り出した。そのあとを雪男もついていく。お互い必死だった。シュラは現状から。雪男は本能から。
「彼処に下り彼の許に至る」
シュラが走りがらも降魔剣を出したことで、雪男の顔はさっと青ざめた。よほどでない限り、シュラは降魔剣を出したりしない。ましてや、こんな人目知れない廊下でなんてもっての他。
「兄さんに一体何があるって言うんですか!!」
「落ち着けとは言わないが、お前は冷静になれ」
喰いかかってくる雪男にシュラはあくまで静かに言った。その言葉で雪男は、自分がまともでいなければならないのだと悟る。頼れる味方は他にいないのだと。雪男は顔を歪めながらも唇を噛み締めた。握りしめた手のひらに、じわりと汗がにじむ。
「あのハゲが審議会に燐の処刑を申請しやがった」
「そんなっ」
ハゲが誰かなんて聞かなくともわかる。シュラがここまで慌ているのだから、きっとそれが採択されようとしているのだろう。きっと誰も燐の味方なんてしなかったのだ。怒りで沸き立ちそうな頭を、雪男は必死に押さえた。
無言のまま寮を駆け抜けるうちに、奥村のプレートが貼られた部屋の前に着いた。
「兄さんっ!!」
押し入った部屋の中に燐はいなかった。小さい部屋だ。探さなくても一目見ればわかる。部屋は燐がいたどころか散乱した様子もない。その代わり、至るところが水に濡れていた。そして横たわるクロの姿。
「クロっ!」
雪男がクロに駆け寄るのとは別に、シュラは片膝をつき指先で水を掬った。
「水…違うな。聖水だ」
「兄さん…」
呆然と呟く雪男の言葉に、返事をする人間は居なかった。
Hunt
(さぁさぁ、逃げて)