※第15話回想
雪男の言葉には、体の痛みなんて忘れるくらいの衝撃はあった。
燐が獣のように青の炎を撒き散らした夜、祓魔塾生は医務室で雪男から燐について教えられた。燐は紛れもなく、魔神の仔であること。雪男には青の炎は受け継がれなかったことなど。
そう説明する雪男があまりにも冷静すぎて、しえみは気味悪ささえ感じた。
(雪ちゃん…なんか、怖い)
しえみは自分の手をぎゅっと握りしめる。でないと泣いてしまいそうだった。
「なんでお前はそないに冷静でおれるんや!!」
医務室に勝呂の怒声が響き渡った。勝呂の体から発せられる殺気にも近い空気に、しえみの思考は打ち切られる。雪男は静かに冷たい目を勝呂に向けた。興奮して椅子から立ち上がった勝呂を、志摩と子猫丸がおろおろと見つめている。
「サタンの息子が此処におるなんて聞いてへんぞっ!」
「だから、今言ったじゃないですか」
雪男の返答は的確で、勝呂の怒りをより煽ることになった。
それには神木も同意見だったのか、眉を潜めながらも席を立つ。
「だいたい事情はわかりました。けれど先生だけがサタンの炎を受け継いでいないと言うのには納得できません」
「神木さんっ…」
そんなの、あんまりだよ。
しえみは堪らず、神木に食いついた。いくら燐と雪男がサタンの息子だったとしても、しえみは二人が優しいことを知っている。だからこそ、これ以上責め立てて欲しくなかった。
「僕は受け継いでませんよ」
「ほんなら、それ証明できるんか…っ」
尚も喰いつく勝呂に雪男はため息を一つ吐くと、いつものように眼鏡を押し上げた。
「僕にサタンの力があったら、今すぐあの聖騎士を殺しに行ってますよ」
「なっ…!!」
兄を守ると言った人が、平然と殺すと言ってのけた。しえみは勝呂に向いていた視線を雪男へと戻す。
「雪ちゃん…」
顔は笑っているが、目はまったく笑っていない。それどころか、そこには確かな殺意が宿っていた。優しさの欠片もない、憎悪。
「お前やっぱりっ」
「あいつは僕の兄さんに何をした?罵っただけでは飽き足らず、殺そうとしたんだ」
勝呂は雪男に掴みかかった。ぎりぎりと雪男の襟元を締め上げていく。雪男はさして気にもとめず、淡々と話す。その声は怒りからか震え出していた。
「あんな奴らがいるから、兄さんはずっと苦しみ続けるんだ!!だいたい3ヶ月くらい過ごしただけのお前達に兄さんの何がわかる。僕は生まれたときから兄さんの側で兄さんを見てたんだっ…」
吐き出すだような雪男の本音に誰も言い返すことはできない。真面目な雪男からは想像もつかなかった心の闇。それは深すぎて入る隙さえ与えてくれない。
「俺らじゃ、力になれんのか」
「………」
問い掛けるような勝呂の言葉に、雪男は何も言わなかった。
「雪ちゃん…私ね」
「しえみさんは誰かを守りたくて祓魔師を目指してるんですよね?」
「う、うん」
しえみの言葉は遮って、雪男は尋ねた。しえみはあの日、あの夜、傷ついた燐を見て守りたいと思った。力になりたいと。自分を成長させてくれた、二人の兄弟の力に。だから祓魔師を目指すことを決めたのだ。
「僕も同じです。兄さんを守るために七歳の頃から訓練をつんで祓魔師になった。候補生として六年。祓魔師として二年やってきたんです。わかりますか?それだけ僕は僕の時間を兄さんに費やしてきたんです…。そんな人間に他人を信用しろと言うほが無理なんですよ」
雪男は襟を掴んだままだった勝呂の手を払い落とすと、何事もなかったように入り口に歩き出した。話は終わりだと背中が物語っている。
「雪ちゃん…っ!」
しえみが雪男を呼び止める。
泣きそうな顔のしえみは、今までにないくらの大声で叫んだ。
「私だってこれから費やすもん!雪ちゃんに負けないくらい、燐のために祓魔師なるからっ!!!!」
あまりの大声に窓ガラスがビリビリと音をたて、雪男は目を丸くしている。勝呂は傷が開いたのか口から血を吹き出した。しえみはぜぇぜぇと肩で息をしている。近くにいた他の候補生たちは耳を塞いでいた。
「……なら、期待してますよ」
にこりと笑う顔は、いつも雪男に戻っていた。
(燐…私、逃げないから)
しえみは雪男でも燐でもなく、初めて自分に誓いをたてた。
Don't be gentle
(優しくしないで)
(味方は僕だけでいいから)