「ゴホッ……ゴホゴホッ」
「今の時期はまだまだ寒いですし、それに伴った風邪ですね」
山南さんが私の病状を見てそう言うと、その隣にいた近藤さんは困ったように唸った。
「ごめんなさい、ご迷惑をおかけしてしまって」
「いやいや君が気に病むことはないぞ雪村君。ただ君が家事を出来ないとなると、文句を言い出すのが何名かいるのでな……」
そう言って再び唸り始める近藤さん。
本当に悪いことをしてしまった。私はただでさえ居候の身で皆さんの足を引っ張っているのに。
やっぱり昨日外でずっと掃き掃除をしていたのが悪かったのだろうか。
だけどこの寒い中隊士の皆さんは頑張っているのに、私だけ室内にいるのは気が引けた。
色々と頭の中で考え込んでいると頭痛がしてくる。ガンガンと頭が鳴り響いてきて、目も生理的な涙でにじんで見えにくい。
「薬は既に飲みましたし、取りあえず後は安静にしてることが一番ですかね」
「そうか、では我々はおいとまするとしよう。雪村君、何かあったら呼ぶといい。では」
「それでは私も」
二人はそう言うと部屋から出て行った。
人がいなくなると途端に部屋は静かになる。聞こえるのは自分が呼吸する音と、たまに風で障子が軋む音くらい。
「明日には、治っているといいな」
ふと眠気が襲ってきて、私は深く溜め息をつくと静かに目を閉じた。
「……んんっ」
誰かに頭を撫でられている気がして目を開けると、沖田さんの不機嫌そうな顔が見えた。
「え……え!?ッゴホ」
急に声を発したのが悪かったのか、喉がキュッと締まるような感覚がした。咳き込みながらも片手で上半身を支える。
同時に沖田さんの口角がゆっくりと上がる。それとは裏腹に目の奥はまったく笑っていないのがわかった。
「君、風邪なんでしょ?それ以上何か発したら……わかってるよね?」
「っ!!」
つい声を出しそうになり、思わず手で口を覆った。沖田さんの鋭い目が私の心臓を射抜く。
どうして沖田さんがここにいるのか。
それだけでも聞きたいが、沖田さんは特に何をするわけでもなくただ布団の隣に座り込んでいる。
視線は戸惑いなく私の方向を向いていた。
だけど、今の私は風邪を引いている。
沖田さんは最近調子が悪いと聞いているし、実際に気分の悪そうな姿も見ていた。私の側にいたら沖田さんまで調子が悪くなってしまうかもしれない。
それは、嫌だ。
「お、沖田さん」
なるべく喉の負担にならないように声を出す。
「へぇ、斬られたいっていう意思表明?」
「お、沖田さん!私風邪を引いていて、だから、その」
「なに」
「沖田さんは部屋に戻って下さい!」
思ったより大きめの声が出てしまったことに気づき少し顔が熱くなる。恥ずかしさから深く俯いた。
だから私は、そのとき沖田さんがどんな顔をしていたのか気づくことができなかった。
「……言っとくけど、僕はどこも調子悪くないから。だけど君がそこまで僕を邪魔だって言うなら、いいけどね」
「え、沖田さん?」
立ち上がって私を見下ろす沖田さん。その顔は少し無理をしているように見えた。
「やっぱり、体調良くないんじゃ」
「君は自分のことだけを考えていればいいんだよ。僕なんかに構わず」
そう言うと沖田さんは障子を引き部屋から出て行った。早足に遠ざかる足音が胸を締め付ける。
数秒、何も考えられなかった。
今日の沖田さんはいつもと違った。
それだけはハッキリわかるのに、それが何故かはわからない。
ふと頭に霧がかかったような気分に襲われる。これが風邪のせいか、それとも違う理由なのかもわからなかった。
ただ一つわかることがあるとしたら……
「沖田さん……」
声に出すと浮かび上がる顔。
笑顔、とは呼びたくない笑み。沖田さんの笑みはいつも仮面のように固く冷たい。
だけど今日の笑顔は、仮面のように固くなかった気がする。冷たくとも、脆く弱い。
まるで迷子の子どものような目をしていた。
「……っ」
もう一度沖田さんの笑みを思い出し、腕に力を込める。風邪で気怠く重かったはずの体はすんなりと起き上がった。
「沖田さん!!」
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「あぁ、そんなこともあったね」
「もう……けど、そう言いながらもちゃんと覚えて下さっているんですよね、総司さんは」
「本当言うようになったね、君」
「だって総司さん、私が風邪引くといつも頭を撫でていてくれるじゃないですか」
「そりゃあ、千鶴ちゃんが心配だからね」
「ふふっ」
「何、いきなり笑ったりして」
「いえ、幸せだなーって」
「そう?」
「はい。総司さんは今、幸せですか?」
「そんなの、当たり前でしょ。……幸せだよ、とても」
そう言うと総司さんは私の体を優しく抱き締め。
すごく嬉しいはずなのに、それとは別に感情がむくむくと這い上がってきた。
この感情はずっと前から知っている。
あとどのくらいこうしていられるのか。
幸せなこの日々はいつまで続くのか。
あの戦から離れた今でも、そんな不安は付きまとい続ける。きっとこの不安はこの先も離れることはないのだろう。
朝起きて、あなたが隣にいないとき。
たまに見せる、あの頃を思い出している横顔。
桜が咲いて散ってゆくのを見つめている後ろ姿。
何度些細なことで泣いてあなたを困らせたか。
だけどその度に、私の不安を取り除いてくれたのは……
「千鶴ちゃん」
「……何ですか?」
「また余計なこと、考えてたでしょ」
私があなたをわかるように、あなたも私がわかる。
だからきっとあなたは、私が喉のあたりでずっと詰まらせている言葉も知っているのだろう。
「そんなことないですよ」
総司さん、
「ふぅん、けど」
総司さん、
「千鶴ちゃん、何で笑いながら泣いているの」
総司さん、逝かないで。
あなたはいつまで、私の側にいてくれるのですか。
「…はぁ」
短い溜め息が聞こえ、反射的に顔を見る。珍しく総司さんは困り果てたような顔をしていた。
あぁ、私が困らせたのか。
やるせない気持ちがこみ上げてきて大粒の涙が頬を滑り落ちる。着物の袖を強く握り締めた。
「千鶴ちゃん、目つむって」
「え……」
総司さんの意図が読めなくて、目をつむっている間に総司さんが消えてしまうのではと不安になる。
そんな私の不安を汲み取ったのか、総司さんは私の髪を優しく撫でた。
その暖かい手に安堵し、ゆっくりと瞼を下げる。
すると髪を撫でていた手が離れ、少しすると再び撫でられた。髪に何かが突っかかったような感触。
「目、開けて」
言われた通り目を開けるとそこには総司さんの笑顔。思ったよりも近いその距離に胸が飛び跳ねる。
思わず下を向くと、耳の近くで何かが揺れる音がした。
手を頭に持っていくと、少し冷たい金属に触れる。それは触るとシャラシャラと音を立てた。
「これ、」
「簪、よく似合ってるよ」
どうして。
そう想いを込めて総司さんの目を見つめる。いつの間にか驚きで涙は止まっていた。
「ねえ、千鶴ちゃん。僕達がここに来てから、もう一年も経つんだよ」
「え……?」
「知ってた?」
「し、知りませんでした」
ここに来たとき私は総司さんの病気のことで精一杯になっていたから、日にちなんて気にしている余裕はなかった。
それこそ総司さんはあのとき辛くて仕方なかったはずなのに。どうしてそんな些細なことを覚えているんだろう。
「総司さん……」
「だからこれは、その記念」
優しく頭を撫でられると揺れる簪。耳元で聞こえる音に胸が甘く締め付けられた。
「僕は来年も再来年も、ずっと君の隣でこの日を祝うよ」
"総司さん"
私もですって、そう言いたいのに。口から出るのは愛しいあなたの名前ばかり。さっき止まったはずの涙がまた出始めて、そんな私を総司さんは優しい笑顔で見ていた。
「総司さん、」
ずっとずっと、愛しています。
END
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