これはまだ私が屯所にきて間もない頃の思い出。
私はまだ何も知らなくて、沖田さんのこともただ「怖い人」としか思っていなかったと思う。
この日は、私がそんな沖田さんの笑顔を初めて見た日。
「あっ蝶々!」
昼下がり。屯所の庭で洗濯物を干していた私は、一匹の黄色い蝶々を見つけた。
「もう春か……」
こうして季節の移ろいを実際に見て感じると、少しだけ不安がよぎる。
お父様は大丈夫だろうか、とか。
本当にこのままで良いのだろうか、とか。
新選組にいることは確かに良いことなのかもしれない。けどもしかしたら、新選組に留まらないで外でお父様を捜した方が良い可能性もある。
可能性なんて考えるときりがないけれど、それでも考えずにはいられなかった。
「はぁ……」
「笑ったり溜め息ついたり、君は忙しいね」
「お、沖田さん!」
いきなり声をかけられ横を向くと、いつの間に来たのか隊長である沖田さんがいた。
それにしても私、沖田さんが来ていたのにも気づかなかっただなんて……。
「今のところ逃げ出そうとはしていないようだけど、少しでも変な行動起こしたら斬るからね」
「は、はい……って沖田さん、その傷どうしたんですか!」
沖田さんのはだけた胸元は、痛々しくも包帯で巻かれていた。
「……君には関係のないことだよ」
「っ!」
わかっていたこと。
わかっていたことだけれど、それでも面と向かってはっきり言われると少し辛い。
今の私の居場所は、この新選組だけ。けれどその新選組で私は余所者の居候でしかない。
それは当たり前のことだけど、それでもやっぱり悲しかった。
余所者である私は、怪我の心配でさえしてはいけないのだろうか。
「何泣きそうな顔してるのさ」
「ご、ごめんなさい」
「はぁ……この傷は、昨日少ししくじって敵に斬られただけだよ」
沖田さんは溜め息をついて、何でもないように傷の理由を話してくれた。
「痛く、ないんですか?」
「まあ、さすがに斬られたときは痛かったかな。今はどうってことないけど」
「そ、そうですか……」
それを表情一つ変えずに話す沖田さんを見ると、本当に違う世界の人なのだと再認識させられる。
沖田さんが折角話してくれたのに、何だか沖田さんの顔が見ずらい。視線を下を落とすと、沖田さんの影が伸びているのが見えた。
「人ってさ、」
「え?」
沖田さんの声が聞こえて視線を上げると、近くを飛んでいた蝶々に手を伸ばしているのが見えた。
「人ってさ、蝶々に似ていると思うんだ」
「人がですか?」
「うん。だって人も蝶々も簡単に死んじゃうのに、それでも一生懸命羽ばたき続けているでしょ。何でだろうね」
「そう、ですね。……だけど、きっと弱いからこそ一生懸命なんだと思います。短い命だからこそ、目的を果たすため力の限りに」
「……ふーん。蝶々の目的って?」
「えっ」
何となく頭に浮かんだことをそのまま言ってしまったけど、確かに蝶々の目的って何なんだろう。
「えっと……羽ばたくこと、ですかね」
「……プッ。ははっ蜜を吸うことが、蝶々の生きる目的なんだ!へー」
沖田さんは私の返答を聞いた瞬間、お腹を抱えて笑い出した。そんなに笑って怪我が痛まないか心配になったが、この様子だときっと平気なのだろう。
「そ、そんなに笑わないで下さいよ!」
「いやだって君、自分でも可笑しなこと言ったってわかっているでしょ?」
そ、それは確かに……。
だとしても沖田さんがこんなに笑うだなんて。
そういえば、沖田さんの笑った顔は初めて見たかもしれない。いつもは無表情か、背筋が冷える冷笑ばかりだ。
やっぱり沖田さんは怖いし、簡単に近づいていい人ではないのだろうけれど……。
それでも、今初めて沖田総司という一人の人を見ることができた気がした。
「何、そんなにじーっと僕の顔を見つめて」
「い、いえ何でも」
沖田さんは未だ微笑をたたえながらも、再び黄色い蝶々へと手を伸ばした。
「けどまあ、確かにそうなのかもね。……己の目的の為に、まっすぐ。その為なら自分の命さえも惜しくはない」
「え?」
「何でもないよ。ほら君、洗濯物を干している途中なんでしょ。鬼の副長に君がさぼってるって言いつけちゃうよ」
「あっそうでした。失礼します」
沖田さんと話している内に洗濯物のことをすっかり忘れてしまっていた。私は沖田さんに頭を下げると、機微を返して洗濯物の方へと走っていった。
「あの子は、僕なんかよりずっと自由なんだろうね」
だけど僕が欲しいのは自由なんてものではなくて、近藤さんの力になれる体。
目的の為ならば。
近藤さんの為ならば。
「僕は、」
柄を握って刀を抜き、目の前を舞う蝶々を斬り捨てる。
黄色い蝶々はいとも簡単に真っ二つになって、ひらひらと堕ちていった。
「目的のためならば、どこまでも堕ちるよ」
END
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