2.5

 カランコロンと来客を告げるドアベルの音に顔をあげる。湊がプレートをひっくり返していたはずだが誰が入ってきたのだろうかとドアの方を窺うが、一向に扉を開けたであろう人の顔が見えない。
「あ! 待て、その上からは進むなよ」
「に゛ぎゃ」
「あー、なんだ。トラが来てるのか」
 声と共に顔を出したのは佳輔で、どうやら扉をあけて猫を先に入れてやっていたようだった。その足元に目をやるとびっしょりと濡れた猫が見える。その、それ以上進まないように尻尾を握られジト目で佳輔を見ている三毛猫が、トラこと清虎だ。大きな体躯は濡れて普段より二回りほど小さく見える。たまにふらりとやってきては店内で寛いでいく奴で、たまに女子高生やマダムたちに囲まれて撮影会が開催されている。曰く、「おじさんみたいでかわいい」そうだ。みたい、というか実際おじさんなのだが。
「あ、父さんただいま。早速で悪いんだけど、どろどろになってもいいタオルとかその辺にある?」
「トラは、この雨の中その格好でうろうろしてたのか?」
「ちょうどそこでばったり会ったんだよ。どうせ黒柳さん家でなんかやらかしてそのまま飛び出してきたんだろ」
「ぐぁ、に゛ぃー」
「ふは、その反応は図星じゃん?」
 俺が投げて渡した大きめのタオルをばさりと猫にかぶせると、佳輔は両手で雑に抱え上げる。大きな三毛猫は持ち上げるのも一苦労だろう。腰を上げた佳輔が少しふらつく。
「とりあえず風呂場にぶちこんでくる」
「おう。着替えも適当に出しといてやれよ」
「わかった。ちょ、おい、暴れるなよ……。店内汚したらあとで店の隅から隅まで掃除してもらうからな」
 佳輔に運ばれながら、抗議する鳴き声が聞こえた気がしなくもなかったが、どろどろのまま店の中を歩き回られるのも困るので、それは聞かなかったことにした。

「はー、さっぱりした!」
「まずは礼を言え。礼を」
 しばらくして、がしがしと髪を拭きながら店内に入ってきた180以上ある大男に、すかさず声が飛ぶ。カウンター席に座る佳輔の前には、自分で用意した真っ黒のアイスコーヒーがグラスに半分くらい残っている。
「崇彦サン助かったぜ。ありがとなー」
「ああ、別に構わんよ」
「招き入れてやったのは俺なんだが」
「俺は頼んでないだろ〜」
「おう、もう一回どろどろになりたいか?」
「アリガトウゴザイマシタ、カミサマホトケサマケイスケサマ」
 なむなむと拝む仕草をしながら棒読みで礼を言う男に突っ込むのが面倒くさくなったのか、佳輔はため息をこぼすと残りのアイスコーヒーを口に含む。溶けだした氷がカラリと涼しげな音を立てた。
 ――うん、相変わらず仲がよさそうでいいことだ。なんせこの男、三毛縞清虎は佳輔が軽口を叩く数少ない相手である。半獣である彼はヒトと猫のどちらの姿にもなれるため、先ほどのように猫の姿で来店することもあれば、今のようにヒトの姿で飲み食いしに来ることもある。ちなみに女子高生たちに囲まれているのは猫の姿で人間のおっさんのような座り方をしてぼーっとソファ席にいる時が多い。最近は慣れてきたのかたまにそのまま寝ていることもあるのだから図太い奴である。
 佳輔が飲むアイスコーヒーを見たトラが自分を指さしながら俺を見て声をあげる。
「俺のはー?」
「おっ前、図々しいやつだな本当に」
「俺の長所でしょーが」
「そもそも財布持ってきてないだろうが」
「次払うから! ツケといてよお」
 佳輔の隣の席に腰掛けこちらに向かって手を合わせてくるトラを見て、そういえば俺が話しかけられていたのだったと思い出す。ポンポンと続く息子とその友人のやりとりが微笑ましくて、うっかり見守る態勢に入ってしまっていた。
「まあ、たまに客寄せパンダになってくれてるからなあ……。サービスしとくよ」
「やったー! 佳輔と違って崇彦サンは優しいねぇ」
「コイツ絶対甘やかしたら調子に乗るぞ」
「今日だけだよ」
「崇彦サンー。俺クリームソーダがいいにゃー」
「……ほら」
 んー、まあ今日だけだから……」
 思わずこぼれた苦笑をそのままに、グラスを手に取り冷凍庫を開く。クリームソーダは安いメニューではないが、作るのが難しいメニューでもない。グラスいっぱいに氷を入れてからエメラルドグリーンで満たし、浮かんだ氷にアイスをそっと乗せたあと、仕上げにサクランボを添えれば完成だ。
「はいよ」
「やったー! いやぁ、こんな蒸し暑い日にはダリアのクリームソーダがぴったりだと思うんだよねぇ」
「褒めてくれるのは嬉しいが、早く飲まないとアイスが垂れるよ」
「ぎゃ、そりゃ困る」
 そそくさとストローを銜え、メロンソーダを口に含むと、男は目を細めて美味そうな顔をする。この表情を見るとこちらも作ってよかったなぁと思えるのだから、この男は本当にいい反応を返してくれる最高の客だ。お金をきちんと払ってくれればもっといい。
「さて、閉店時間も過ぎていることだし、それを飲んだら帰りなね」
「はいよー。走って帰ればなんとかなるかな」
「傘を貸してやるから今度返しに来な」
「崇彦さんまじ神」
「ほんとに調子のいい口だなぁ」
「にゃははー」


 その後、心底美味そうにメロンソーダを飲み切った男は、玄関から湊の「ただいま」という声が聞こえたのとほぼ同時に店の扉を開けると、上機嫌で帰って行った。
 扉が閉まる間際に見えた、店のビニール傘を差す姿がまるで子供用の傘を差す大人のようで、店内にはしばらく二人分の笑い声が残ることとなった。


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