刑事パロディ
2022/04/24 23:18

*1

 深津は目の前の惨状に思わず目頭を押さえ込んだ。彼の脳が処理し得る範疇を大きく逸脱している惨状≠ニは、しかしけして、新築高級マンションの壁から朽ち出てきた女の死体のことではない。いや、確かにこの異常なまでの遺体にも頭を抱えたくなる気持ちはある。しかし、それ以上に最悪だったのは――彼が密かに思いを寄せる科学捜査官・古谷千春と、彼の(不本意ながら)相棒である中島修一が、なぜか鼻先が触れ合うほどの距離で見つめあっていることだった。
「――おい」
 きっと、今がプライベートな時間であったならば深津もこんなふうに二人へ声をかけたりしなかっただろう。男の嫉妬は醜い。それに深津は古谷に対し自分を他の誰よりも見てもらおう、だなんて欲を素直に態度に示せるような男ではなかった。彼はこの遺体(を遺棄した残忍で愚かな人間)のせいで自分が醜い感情を一人噛み締めねばならぬことを恨みながら、苛立つ感情を微塵も隠すことなく目の前の男・相棒である中島だけ≠ノ向けて吐き捨てた。
「あ、慧」「イデっ!」
 見つめ合う二人は互いに夢中だったらしく、深津の声に二人が一斉に振り向いた。その刹那、古谷の差し出す指先が、中島の眼球を直撃したのである。ざまあみろ、とは口に出さなかった。片目を抑え蹲る中島に古谷はああ、ごめんごめん≠ニ笑ってその背中をさするだけだ。
「何やってんだ」
 そう問いかける声に、僅か甘ったるい響きが混じるのを深津は自覚している。まだ不意の痛みに悶える中島にはそれを指摘するだけの余裕もないようだ。目に睫毛が入ったんだって、と突き刺した指を見つめる古谷の指先に、短い毛がちょこんと乗っかっている。どうやら、目的の異物は問題なく取り除かれたようだった。
「あ! やった!」
 からからとはしゃぐ古谷は深津より一つだけ年下の男とは思えぬ幼さを醸し出す。たった一つ下、一年といくらか年下の男に対し深津が抱く感情としては間違いなく異常≠ネはずだった。それでも、鬱々とした死体遺棄現場において、深津にとって古谷の笑顔は天使の微笑みに勝る。惚れた弱み、とでも言うのだろうか。顔の整った深津は相応に派手な女遊びに興じてきた。それが今や同じ職場の男を目で追う日々である。それは深津の人生設計において青天の霹靂とも言えるバグであり、しかしどうして、そんな日々さえ愛おしい。ただ、問題は深津の冷静な性格にあった。彼の性格は彼自身を縛り付け、甘やかな恋を予感した日から今の今まで、この瞬間さえ深津慧という男を腑抜けのようにとどまらせている。――だからこそ、余計に深津は蹲るこの男が腹立たしい。
「いつまで寝てんだ、仕事しろ」
 わずかに赤くなった目を擦りながら立ち上がる相棒・中島修一の尻を革のつま先で小突きながら、古谷の桜色の指先に乗ったまつ毛を振り払う。顔を上げた中島に、古谷は笑顔で取れたよ≠ニ嬉しそうに報告していて。そんな様さえ、深津の機嫌を悪い方へとくすぐっていくのだ。
「ひっどいなぁ…… アンタの相棒やで俺はぁ」
 不満そうにそう漏らしながら深津を睨む中島の目はまだわずかに赤く潤んでいる。が、それでもこの好青年は古谷を見下ろすと丸い小さな頭を豪快にかき回し、おおきにな、と西訛りの礼を言ってのけてしまう。深津は中島のこういう軟派な態度が嫌いだった。
「仲良しだな」
 いいことだ。冷静な、それでいてよく澄んで通る声がそんな三人の背にすうっと飛び込んでくる。どこか楽しげな声の主は、深津よりも僅かばかり背の高い助手にめいっぱいの機材を運ばせ、鋭い目つきを爛々と輝かせ三人の男たちをじっ、と見つめていた。
「伊藤」
「慧、千春、修一。遅れてすまない、渋滞に巻き込まれてしまってな」
 すぐに取り掛かるよ、と物言わぬ少女の側にしゃがみ込んだ男・伊藤友弘は引き連れてきた長身の助手・佐賀昴輝に荷物を降ろさせる。随分と重さのあるバッグだったようで、両肩に担がれた大きなそれは床に転がると同時にずっしりと沈み込んだ。それを軽々と持ってしまう佐賀はしかし、それ以上は伊藤を興味深そうに眺めるだけだ。伊藤が仕事を始めたことで、古谷も中断していた作業に取りかかり、漸く、中島も改めて遺体を見下ろした。
「なんでまたこんなところに閉じ込められていたんだろう」
 佐賀のつぶやき通り、ここは新築の高級マンションである。地方のテレビ局では駅近でセキュリティが厳重だと入居者募集の広告も放送されるほどで、新築とはいえそれなりに部屋は埋まっている中での、この遺体発見である。マンションの所有者は絶望に暮れながらも施工業者の情報をつい先ほど中島たちに提供していた。あの顔の青さも無理はないだろう。知れたマンションの、それも壁から突然死体が出てきたとあればマスコミも押しかける。先ほどからヘリの音も聞こえ始めているし、伊藤たちが現着に時間を取られたのも、押しかける報道陣の車の渋滞に巻き込まれたのだ。深津のマスコミ嫌いは相変わらずで、大きな窓から見える報道ヘリに僅か眉間に皺を寄せた。
「あれ? そういえばなおは?」
 現状調べのついたことを伊藤に引き継ぎながら、ふと中島が周囲を見渡す。
「あー、なんか、なんごう刑事と別件の捜査に行ってるから遅れるんだって」
「そおかあ」
 マル暴関係かなあ、と露骨に肩を落として見せる中島に、古谷は残念だったね、と肩をすくめて見せた。伊藤はといえば熱心に遺体の写真を撮りながらも南郷さんは警部だよ≠スしかに訂正している。今日は現場で揃うことはなさそうだな、と深津は渡された施工業者の一覧を手持ち無沙汰にめくる。実際に工事を進めた会社は超高層マンションを建設するだけの巨大企業であり、携わった従業員の数もかなり多い。さらに建設中のマンション内に出入りできた人間は建設作業員だけでなく、マンションデザイナーやインテリアデザイナー、ユニバーサルデザイナーなどの美術監督に加え、マンションオーナーの知人など一日二日の聞き込みでなんとかなるような量ではない。話題の事件であり、かつ奇妙な事件であるが故に深津たちの特捜班に依頼が来た、というのは理解できる。それでも厄介な事件だな、と深津は改めて目頭を強く揉み込んだ。

 深津の所属する特捜班は、警視庁一課に依頼される殺人・傷害事件などから特に難解で複雑な案件を引き受けるいわば難解事件の専属部署のようなものだった。少数精鋭で試験的に設置された捜査班だというが、深津にはそうは思えなかった。もちろん、捜査官は皆優秀ではある。が、しかし自分が配属された経緯もあり、どうも厄介払いされた異端児の寄せ集め――そんな響きがしっくりくるような気がした。
 創設者は警視長・秋月崇彦だが、実際に班長を務めるのは潮崎警部である。潮崎はノンキャリアの中でも群を抜いて優秀な男で、三一という若さで警部を務める偉業を成し遂げた男だ。深津から見ても、彼がこんな異端の日陰部署に配属させられている理由がわからなかった。最も、彼と高校の同級生であり親友でもある古谷一秋警視正はといえば、三一という若さで警視正に上り詰めたエリート中のエリートであり、深津が密かに思いを寄せる古谷千春の実兄である。キャリアとノンキャリアの違いはあれど、二人が優秀であることに違いはないが、それでも秋月の配属命令は潮崎にとって酷なものだと噂するのは何も深津だけではなかった。もっとも、本人は妙な上司に板挟みされることもなく快適だと笑って言うが。そしてそんなエリート班長を支えるのが、階級を潮崎と同じくするベテラン刑事の南郷だ。南郷はノンキャリアとしては平均的な出世コースを歩んできたが、しかしマル暴(暴力団関係の犯罪を取り締まる組織対策部)で着実に刑事としての実績を重ねてきた強面の刑事である。彼がこの部署に配属されていることは、深津もなんとなく理解はできた。彼は少し猪突猛進な、旧式張った刑事であり、潮崎とはまさに真逆の警部である。潮崎がうまく南郷を転がしているからあの二人が衝突することはなく、むしろ互いの良さをうまく調和しあってさえいた。しかしいつ、南郷が潮崎と言い合いになってもなんらおかしくないほどには、あの二人はことごとくそりが合わない%ッ士である。深津はあの二人がほんの少しでも衝突し合いそうな雰囲気を醸し出すと、気が気ではなかった。
 だからこそ、深津はこの班に配属させられたことをけして栄転だとは思わなかった。秋月は栄転だ、出世コースだといつも深津を囃し立てるが、不安な上司に加え彼自身にもそりが合わない%ッ期がいる――中島修一だ。中島と深津は警察学校時代からの腐れ縁だった。学校でもさんざん衝突しあったと言うのに、中島と深津は妙な縁があった。最初に配属された交番も同じ、刑事部に昇進した時も全国数多ある警察署の中の同じ畠中署へ配属され、挙句漸くこの潮崎班への配属で離れられると思いきやそこまで中島はついてきた。中島曰くお前がついてきた≠ニ言っていたから、深津は秋月が仕組んだことなのだと確信している。
 そんな絶望的な職場環境だが、唯一深津を癒す者・それが先述した警視正・古谷一秋の実弟であり、潮崎班の科学捜査官である古谷千春である。海外で最先端の科学捜査を学び、日本の大学で助教授に招待されながらも、現場での捜査に携わりたいと兄から潮崎班を紹介されたまさに科学捜査のエキスパートだ。当人は普段かなり俗世離れした変わり者だが、深津が妙な感情を抱いてしまうほどには中性的な顔立ちで、清純な姿で奇抜なことに興味を示す姿が度々ラボで確認されている。
 一方、現場に遅れて到着した検視官・伊藤友弘も異色の経歴の持ち主である。彼はもともとフランスの軍医だったが除隊し、来日。日本で暫くPTとして勤務するも、最終的に今現在検視官として潮崎班にいる。伊藤はそう多く昔のことを話したがらなかったため、深津が知っているのはそれだけだった。そんな伊藤の助手として現場に現れた佐賀昴輝はしかし、本来は伊藤の助手ではない。彼に検死の知識は一切ない。代わりにあるのは国内でも屈指の火災や爆発物などの捜査・処理の専門知識だ。日本では主に火災関連で潮崎班に協力しているが、彼の左足は過去の爆発処理での事故で大腿の中程から下が義足である。しゃがみ込むことができないために、彼は常に伊藤が転がった死体を眺めている姿を上から見下ろすだけだ。伊藤と佐賀はもともと病院で医者と患者として出会った、と深津は佐賀から聞いたが、やはりそれ以上は珍しく佐賀が何かを言うことはなかった。
 そして今現在、南郷に呼び出され不在であるのが行動心理学者の吉川直幸である。彼はもともと潮崎班の初期メンバーではなかったが、とある事件で大学の助教授をしていた吉川に深津と中島が協力を仰いだことがきっかけだった。いまだに吉川はあれが転落人生の始まりだった≠ニ頭をかかえるが、たしかに吉川の知識は潮崎班の凄まじい検挙率を叶えるために一役、買っていることは間違いなかった。死体や暴力が苦手な吉川には、たしかにこの職場は悪夢でしかないだろうが。
 そうして合計八名、まさに少数精鋭の捜査班は新設の聴き慣れぬ班として地方警察の強い風当たりと、一課の乱暴なまでの荒い人使いに揉まれながら、着実に成果を伸ばしていた。以下省略




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