#HCOWDC2 Day4
2022/03/10 23:29

「な、なにしてんの……」
 その引き攣った声色に思わずドン引きやん、と笑う中島だったが、声の持ち主――吉川はじ、っとそれ≠見下ろすだけだ。その冷ややかな視線の先、中島の前に用意された皿はしかしけして散らかっているわけでも、たいへんに汚されているわけでもなかった。むしろその皿の上も、中島の前の机にも、食べ滓ひとつ落ちていない。ただひとつ―― 見慣れた姿より遥かに薄っぺらくなったバウムクーヘンが、あとほんの少しで倒れてしまいそうな危うさをもって皿の上に立っていた。
「――なんでそうなるわけ」
「え…… 俺十七年コレやけど……」
 そう、と言葉だけの返事を寄越す以上吉川には何もできなかった。

 いつもどおり、吉川にとっては強制にも似た誘いだった。うちに来ないか、というシンプルなその連絡を吉川はいつも通りなんとか断ろうと必死で抵抗したものの、会う日が決まり、会う場所が決まり、時間が決まってしまった。待ち合わせの全てが決まったとはいえ、吉川の中にはその地点でまだ行かない≠ニいう選択肢があった。待ち合わせに間に合うような時間になって、暫くは体が動かなかった。それでも―― 身動きの取れない吉川は既に着替えを済ませていたし、荷物の準備まで完了していた。家を出る時間を、吉川は身動きも取れないまま迎えた。家を出る時間を一分が過ぎた時―― 吉川は家を飛び出していた。
 少し、らしくない乱れようで現れた吉川に、中島は相変わらずいつもの調子で遅れてもよかったのに≠ニ当たり前のように笑うのだからたまらない。
『むしろ来てくれたんが嬉しいやん』
 そんな風にまでいう中島を見れば、吉川はいつだって自分が惨めに見えて仕方なかった。時間に間に合ったとはいえ、一分を見送った自分が見苦しかった。もはや、この男に逆らうこともできない吉川は、そのまま中島に言われるがまま気付けばこの男の自室に案内されていたのである。
 さて、そんな絶望のどん底にあった吉川の前に差し出されたのは、ひときれのバウムクーヘンだった。なんでも、中島家にたまたま用意されていたそのお菓子――それも姉・光姫が買ったか、貰ってきたか、とにかく姉のもの――を、中島は命と引き換えに盗み出してきたのである。中島が普段友人を家に呼ぶときなど、たとえ何袋のスナック菓子が用意されようと皿の一つ、ましてやグラスのひとつさえ用意しないという徹底ぶりだが―― 今、自室で半ば蹲るように居場所無げにするのは恋人である。出したこともない皿に、らしく見えるケーキフォーク、母の紅茶にティーカップまで、せっせと用意し部屋に運ぶのはさながら女王に使える働き蟻も同然である。もちろん、吉川はそもそも友人と――今現在は恋人であるが――家で集まって遊ぶようなこともなければ、中島の家に自分以外の誰かが来ている様子を見たことも、誰かの家に遊びに行ったこともないため、今自分に施されている持て成しが、高校生男子が二人集まった際の状況下においては明らかに甘やかであることを理解することもない。それでも、吉川が中島の献身度合いを理解しているかどうかは中島には取るに足らない問題である。むしろ――この状況を、借りてきた猫のように縮こまる吉川が少しでも喜ぶかどうか――そちらの方がよっぽど重要であった。
 そうして、暫く他愛なく、かつぎこちない会話をいくらか交わしあいながら、冒頭の会話に至る。中島はバウムクーヘンを、名の由来である木の年輪模様を一枚一枚剥ぎ取るように食べすすめていた。変わって吉川はといえば、ちまちまと小さく切り分けながら食べすすめている。
「……そんな風に剥がれないだろ、普通」
「コツがいんねん」
「や、別に知りたくはない」
 試しに、一番内側に当たる層をフォークで一枚剥いでみようと試みたが、ボロボロとたちまちに崩れ、皿に細かいスポンジが散らばるだけだ。中島はそんな吉川を前にフォークをうまく操りながら、まるでページを捲るかのように一枚をめくってしまった。指でケーキを抑えるわけでも、刮ぐように崩すわけでもない。
「器用…… なのか……?」
「そういうことにしといてや」
 やがて、自立可能な厚みを失い皿に倒れた薄いバウムクーヘンに、中島はフォークをつきたてぱくりと一口で頬張った。
「美味い?」
 で、あるにもかかわらず。食の進まぬ吉川を前に、彼はそこで初めて不安そうに吉川を伺ってくる。別に、吉川は食指が動かぬわけではない。むしろ程よいメープルの甘みが染み込んだバウムクーヘンは普段、パン食コーナーに並べられる安いものとはまた違った、高級感のある美味さがあった。確かに吉川は好き嫌いが多く、嫌いなものはとてつもなく食べ終わるのに時間を要するタイプだが、好物もまた、時間が必要で。
「――ん。うまいよ」
 ただ、なんとなくそう答えると中島が喜ぶのは目に見えていて。つい、まだ何層も残っている自分のケーキをじ、っと見つめてそう答えた。
 今度、ケーキ食いに行こや。皿を睨む吉川には、中島がずっと愛おしげに自分を見つめているのだと、やはり知ることはなかった。



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