#HCOWDC2 Day2
2022/03/08 19:19

 寒さは苦手だ。自分の身体が思い通りに動かなくなるから。暑い夏も嫌いだが、不快さでは群を抜く夏よりも、いっそ命を脅かされるような冬の寒さが苦手だった。私立畠中獣ヶ丘学園――通称・ガオ学。半獣人で構成されたその施設に併設される学寮には、冬眠の習性が発現する生徒に向けた冬季寮がある。他の学生寮より静かで、暖かく設定された冬季寮は、そんな冬の辛さをほんの僅かでも和らげてくれる安息地のようでもあった。山の中に建てられたガオ学は基本的に温度が低い。冬のはじまりから雪がちらつき、豪雪地帯ほどではなくても二月辺りはうっすらと、しかして常に雪が積もっているような場所だった。そんな場所にあるせいか、麓の学校と違いガオ学は冬休みが長い。その間を、俺のような冬眠の習性に似た変化が現れる生徒は、この冬季寮で過ごすのだ。
 ただ、図書館にも似た穏やかな騒がしさに満ちていた冬季寮も、ここ最近は人寂しい静けさが漂っている。春が来れば、この寮はまた寮別館として戻ってしまう。寮監からもここ最近、退去・移転をせっつかれているが――この暖かさと、穏やかな時間が泣きたくなるほど惜しかった。あれだけ嫌いな冬さえも、いっそ永遠に続けばいいのにとさえ思う。一生この暖かい場所で眠り続けていられればどれほど幸せだろう。難しくなる授業も、居場所のない教室も、嫌いな体育も、全部冬眠の間に終わってしまえばいいのに。部屋を、片付けなければならない。もともと荷物は少ない方だ。おおきめの旅行鞄が一つあればじゅうぶん詰め込めてしまうくらい。だからだろうか、余計になぜか体が重い。片付けの進まない沈殿した部屋の中に、体を丸めて蹲る。こんなにも不完全な体で生まれてくるくらいならいっそ、嫌われたっていいから蛇になってずっと土の中にいたい。必死で体を折り曲げてみるけれど、俺の体の関節はめいっぱいに曲げてみたって大きな塊になるだけだった。
 部屋の、日陰のじめじめした場所でうずくまって外の音を聞くのが好きだったから、その小さい異音に気付いたんだと思う。コツ、と何かが窓を叩く音。顔を上げれば――同級生の、あれは確か獅子の生徒。
「大丈夫かあ?」
 具合悪いんか。覗き込んでくる茶色の瞳に、訳もなく怯む。この男の周りには草食の女子生徒も多かったけれど、こんな男に見つかってどうして平気でいられるんだろう。
「だ、大丈夫…… ほおっておいて」
 そうして、男子生徒の姿ごと窓から背いて蹲る。ちらりと見た外の世界は、気づけばもうほとんど雪が残っていなかった。春が来たんだ、と。この平穏と安寧は、真っ白な雪と一緒にこんなにも呆気なく溶けて消えていく。
「おーい」
 コツコツ、今度はさっきよりも強い音。一度は無視した。コツコツ。今度はもっと強く叩かれる窓ガラスに、硬いもの――おそらく、彼の爪か、石のようなものがよもや窓ガラスをたたき割るんじゃないかと慌てて顔を上げた。に、っと笑う口元にちらつく鋭い牙は、俺の細く悍ましささえある牙とは違い、どこか誇らしげにも見えた。
「――何」
 もうほおっておいて欲しいのに。少し声に不機嫌が混じった。自分の感情をうまくコントロールできない自分に腹が立つ。いら立つ俺に、それでも窓の外から覗き込む獅子はまるで気にしていないように、ひょっこりと窓枠の下からそれ≠差し出した。小さい、掌くらいのゆきだるまには、向かいに見える植木の葉だろうか。重なった頭の雪玉に二枚、まるでウサギか狐の耳のようにぴんと立っている。
「これから冬眠明けの面子と一緒に春会するけど、行かん?」
 西らしい独特なイントネーションで話す獅子は、こちらがどれだけ嫌そうな態度を顔に出したとて笑顔を崩すことはない。
「行かない…… っていうか、アンタこそこんな場所にいていいのかよ」
「なんで?」
「だって…… 待たせてるんじゃねえの」
 まあ、待たせといたらええねん。こちらがどれだけ相手をシャットアウトしようとしても、どうやら随分図太いらしい。そういう諦めの悪さが肉食獣の悪いところ、なんだろうか。
「まだ寒いし、俺はパス……」
 これ以上何も話したくなかった。でなければこの男に絆されてうっかり雪の残る大地に出て行ってしまいそうだったから。奴は暫く、狙った獲物がどうにか折れて巣穴から出てこないか狙っているようだったけれど、すぐにまた、最初の笑顔同様にっかりと笑ってまあ、体悪したらアカンから≠ニ言うと、手に持っていたゆきだるまをずむ、と俺の部屋の窓枠に無理矢理飾り付けた。
「んじゃ、また新学期にな」
 最後の最後まで騒がしいやつだ。遠のく背中を見送り、姿が見えなくなるまで待って。そっと飾られた雪だるまに近づいてみる。
「――キモ可愛い……?」
 けして可愛らしい、とは言えなかったけれど。はらい退けるには惜しいそれが、溶けて消えていくのを看取るのはあまりにも辛いだろうから、せめて。この小さな窓辺の見張り番が消えてしまうより早く、荷造りを進めようと思う。



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