#HCOWDC Day6
2022/02/26 21:15

 昼食時を過ぎたダリアは、ティータイムに訪れた客で相変わらず席が埋まりつつあった。それでも、市役所通りに面した立地柄、職員が多く訪れる昼飯時とはまた異なった騒がしさだと、秋月湊は思う。二時ごろから始まるピークタイムは三時へ向けて客をどんどん飲み込みながら、今現在、おしゃべりに花を咲かせる畠中マダムたちのおかげで、彼は客入りにはんして案外暇を持て余していた。ついさっき、昼食にやってきた愛おしい男が、真っ白なシャツに小さくソースを飛ばしていたことを何度も思い返してしまうほど。かなりショックを受けていた、というより、恥ずかしがっていたのだと思う。どこか目を離せなくて、その行動のすべてが愛おしい。思わず、緩む口角。しかしすぐにカランと鳴るドアに、湊は慌てて表情を引き締めた。

 それはまるで、映画のワンシーンさえ思わせる光景だった。見事な白髪と、彼の持つ雪のように白い肌は光の加減でプラチナにも見え、まるでその少年を天使か、神のようにも錯覚させた。細い体つきはしなやかな鞭のようでもあり、時々、関節の骨ばった美しさが彼を無性ではなくたしかに少年なのだと示している。極めつけは、雪の中に最後まで寄り添った一対の椿さえ思わせる赤い瞳だった。ドアの音に、友人を待つ主婦グループのひとつが振り返り、彼を見ただけでほんの少し、目を見開く。彼は最早、瞬き一つすら尊い存在に見えた。
「ああ、いらっしゃい」
 そう口火を切ったのは崇彦だった。崇彦と少年はどうやら知り合いらしく、すぐさまカウンターへと彼を通した。湊は暫くその美しさに度肝を抜かれながら、慌てて彼の前にお冷を運ぶ。その衝撃は例えば、恋に落ちるだとか、見惚れてしまうようなものとは異質のように感じた。目の前に、突如天使――いや、実際湊が想像するのはデフォルメされた可愛らしいものではなく、もっと厳粛で、神聖な、神の使いのような存在がやってきた、そんな衝撃に近い。最初の衝撃を乗り越え、見慣れ始めた今ならば、しゃんと伸びた背で、崇彦にお久しぶりですと笑いかける彼を見てもちゃんと年相応な笑顔なんだな≠ニ感心するにとどまる。おかげで、彼は暫しの衝動に飲まれながら、漸く平静を取り戻したのだ。
「大きくなったねえ」
「たしかに、背はかなり伸びたんだ」
 崇彦にこんな若い知り合いがいるとは、と湊が驚くことはもうない。この祖父は畠中で知らないことはないと思わせるほど顔が広いからだ。赤ん坊のころから見てきた子どももいれば、彼よりずっと年上の相手にも気に入られていることがある。そうありたい、と湊はよく思う。叔父の佳輔は、あまり人付き合いが好き、というわけではない。苦手なわけではないのだろう、器用に相手との距離を保つ佳輔と、誰にでも愛想よく顔の広い崇彦。湊の目指す大人は揃いも揃って、人付きあいがうまい。そんな崇彦と、例の少年は幼少期の知り合いらしい。ダイスケは元気か、と問う崇彦に、相変わらず毎日元気だよ、と少年が笑う。彼はそれからコーヒーを一杯、崇彦に頼んだ。
「あ、そういえばテイクアウトやってるって外に書いてあったんだけど」
 豆を挽きに行った崇彦に代わり、湊がテイクアウト用のメニューを渡す。ここ最近のテイクアウトブームの波に乗る崇彦は案外柔軟な方だ。
「それじゃあ…… 帰りに、このホットサンドを二つと、ココアとアメリカン。両方ホットで頼んでもいいかな」
「ホットサンドを二つと、ココアと、アメリカンですね」
 よろしく、と彼がほほ笑むと、相変わらず見慣れたはずの不思議な美しさは健在だった。赤い目が、湊を見ている。その目はけして鋭いわけでもない。むしろ店員の、湊の慣れた作業を子供のように無邪気な瞳で見つめていた。それでも、青年の視線は湊にはわずか緊張を走らせた。
「――ヨ、おにーさん」
 そんな湊を救う声は、青年と同じカウンターについた男のものだった。この喫茶店の常連客の一人で、あの奇妙な半獣の大男と同じくらい、彼もまた掴みどころのない不思議な男だった。
「それ、奢るよ」
「――おや、どこかで会ったかな」
 居酒屋みたいに言うんじゃないよ、と崇彦が笑った彼――ユキ、と名乗る若い男は、一つ空いた席からだらしなく肘をつきながら、不思議な青年をじ、っと見つめて笑っている。それはなんだか、質の悪い悪戯を思いついた子供のようでもあり、企みのある悪い大人のようにも見えた。青年はユキの存在にも物怖じすることもなく、ご馳走様、とカップを掲げた。まるでバーや、居酒屋のようなやり取りが行われ、とうとうユキは空いた一つの席を青年の方へと詰めた。
「アンタ、ここらのヤツじゃないな」
 そんな不躾にも聞こえる言葉も、ユキが言うと不思議と面白おかしく聞こえるものだ。青年は白魚のような、という言葉を恣にした手を差し出しトヲル、と呼んで≠ニほほ笑んだ。
「今、お世話になっている人がこの市にいてね。だから探検もかねて、いろんな場所を散歩しているんだ」
 このまちは面白いね、トヲルと名乗る青年は無邪気に言う。その言葉に、ユキはほんの少し目を細めた。
「へえ、そりゃいいことだ」
 いい場所は見つかったかい? その言葉は珍しく、湊にはユキが探る様な、なにかに興味を持ったような声に聞こえた。
「この店は結構好きだな。時間がゆっくり、でも正しく流れている気がする。それに、学校の近くも面白かった。あそこは人の声がたくさん聞こえて楽しかったよ」
 トヲルは、この店に入ってきてから一番楽しそうに話し始めた。彼の楽し気な話口はどこか不思議で、人離れしているようだった。独特な表現をする子だと、テイクアウトの下準備を始める湊はこっそりと聞き耳を立てていた。商店街、住宅街。彼の言う散歩≠ヘ随分と広い範囲に広がっていた。ユキがはやし立てる度、トヲルは楽しそうにどんどん話し出す。それでも、ポコン、となった通知の音に一瞬二人の弾むような会話が止まった。
「――どうやら、待ち人の用事が終わったみたい」
「そりゃよかった」
 お持ち帰りのホットサンドもすぐに焼き上がりますよ、と湊も添えた。帰る準備をするトヲルが、鞄から財布を出すのをユキが止めた。俺が払うよ、と気前よく言う。この男は気に入った相手にコーヒーを奢っては、その相手の話を聞く趣味、のようなものがあるのだろう。たまにこうしてカウンターに座る客を相手に、話を強請る。
「今度散歩するならよ、神社にも顔出してくれよ」
「ぜひそうするよ、ご馳走様」
 そうして、不可思議な二人の時間はあっという間に終わった。今はもう、トヲルの美しさに暫く噂していた主婦のグループも、新しい話題で盛り上がっている。それは、不思議な会話に聞き耳を立てていた湊だけが垣間見たような、夢のような時間だった。袋を受け取り、トヲルはただ一言美味しそう≠ニ湊に笑いかけた。カラン、と再びドアが鳴る。それは湊だけが見ていた夢の終わりの音だった。



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