俺の席は一番後ろの窓際。教壇から最も遠く日当たりもいい。
しかしながらこの席は周りの生徒から敬遠されている。
なぜか。理由は単純。この席が化け物と変人と変態に囲まれているからだ。

始業のベルがもうすぐ鳴ろうというのに周りの3席は空いている。斜め前の新羅、隣の静雄はいつも通りだが、普段は俺より早く来ている前席の臨也がいないのは珍しい。「人間は朝に素が出る」という俺には理解しがたい独自の哲学に基って、俺どころか校内の誰よりも早く登校してきているような奴が来ないなんて。
(宇宙人でも転校してくるんじゃないか。)
読みさしのライトノベルと思わず重ねてしまうほど珍しいことである。そんな下らないことを考えているうちにベルが鳴った。

「門田、あいつらはどうした。」
年老いた数学教師が俺に訊ねてきたが、そんなの俺が知ったことじゃない。短く、知りませんとだけ答えて教科書に目を落とす。そこには意味をなさない文字が羅列されるばかりだ。ついあいつら早く来ないかななんて思い始めた頃、教室のドアが開いた。

「遅刻だぞ。」そうきっと教師は口に出そうとしたのだろう。しかしその言葉は二文字目を前に掻き消されることとなる。あまりにも多くのものの前では少数など無に等しいのだ。

「ああ先生聞いてくださいよ、今朝のセルティ、いや僕の同居人っていうか将来のお嫁さん、うわっ言っちゃった!ともかく僕の未来永劫の伴侶である彼女がですね今朝、なんと、僕のために!私の買ってきた割烹着を着てくれたんですよ!ああセルティ、君の姿は朝日に映え、天香国色の名はまさしく君を表す。俺は君のためなら死ねる、いやむしろ新羅をヴァルハラに連れてって!」

騒ぎ立てるのは教室の入り口にいる新羅一人。周りの空気などお構い無しに朝に似つかわしくない色の言葉を吐き続ける。

「ああ、本当にセルティは可愛いなぁ。そうだこの間のことなんですけど、」

恋は盲目とはこのことである。ちらりと目配せしてみるが新羅は一向に目を眩ませたまま周りの視線に気付こうとはしない。たぶんあいつは一生あんな風に生きていくんだろうなと勝手に分析してみる。次第に「あいつをどうにかしろ」という目がこちらに集められてくるのに気付いて俺は大きく溜め息を吐いた。

重い腰を上げる。
「おはよう、新羅。」
「やあ、おはよう京平!なんとも麗らかで春らしい日だね。」

それはお前の頭の中だけだと滑らせかけた口を慌ててつぐみ、俺はなおも話し続けようとする変態の腕をひっ掴んで席へと戻った。

「京平聞いてよ、」
「いくらでも聞いてやるよ、あいつら二人が揃ったら。」

今週中には無理そうだね、と新羅は肩を竦める。それでいてどこか楽しそうにしているのは、本当にあの二人が来ることを期待しているからだろうか。俺には知りようもない。
ぼんやりと外を眺める新羅の目線を追ってみれば、空には雲一つない。まだ朝の時間帯である今は、存外に気持ちのいい風が吹いているということを思い出した。

「いい天気だな。」
「そうだね。」

日差しは穏やかに机上に広げられた無意味な文字たちを白く染める。教室内にはひどくゆっくりと時間が流れていた。


しかしそれは窓と共に破られる。

突然飛び込んできたのは自転車、そしてその後からは聞きなれた怒号と笑い声。

「あっはははははははは!」
「くたばれええええええッ!」

「仲がいいことこの上ないね、あいつらは。」
嬉しそうに新羅が声を上げる。取り出した教科書を机の上に投げ出して、新羅は立ち上がりガラスを踏みつけながら窓際に立った。

「おはよう、静雄、臨也!いい天気だね!」

喧嘩――というには物騒なことが行われている頭上でなんとも気の抜けた挨拶だ。俺もその隣に立ち、グラウンドを走り回る二人を見下ろす。

「おっはよーっ、しーんらー!…っと、ドータチーンっ!」

前方の臨也は逃げながらこちらに大きく手を振る。一方静雄はこちらには目もくれずに臨也だけを見つめている。これも一種盲目的だ。ただこれの場合、視線に込められているのは殺意のみだが。

「臨也ー、しばらくしたら屋上においでよー!今朝セルティがクッキー焼いてくれたんだ、割烹着で!」
「あは、なにそれ!わかった待っててうわあぶねっ。」

間一髪サッカーのゴールを屈んでかわした臨也は俺たちの方を一瞥してから、また駆け出した。小さなナイフを手に持って、向かう先は意中の化け物の懐。

「心配かい、おとーさん?」
「いいや、いつも通りさかーさん。」

ざり、と足下にあったガラスの破片を踏みつけつつ踵を返す。

(宇宙人なんかよりこいつらの方が数十倍面白い。)

机の上に出しておいた教科書を読みさしのライトノベルといっしょくたにして鞄に突っ込んだ。
もうすっかり俺たちに目を瞑った数学教師に一礼して、俺は新羅とともにひやりと冷えた廊下へ向かう。くすくすと笑う声はやたらと大きく響き、俺はまたこれもある意味盲目的だと何度か繰り返した台詞を口にするのだった。

チャイムはまだ鳴ったところである。
さて、今から味わうものは酸いか甘いか。




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企画「忘刻の宴」に提出させて頂きました。




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