「しばらく会えねーわ」


二週間前、下校中。私達の目の前を一匹の白猫が横切った。黒猫が横切ると不吉なんて迷信があるけれど、白猫の場合はどうなんだろう。猫が好きな当真君なら何かしら知っているかもしれない。そう思って顔を上げた、丁度その瞬間だった。
一瞬の思考停止。当真くんの言葉を脳まで届けて、思考は再開。しばらく会えない。あぁ、またか。


「分かった」


当真君は、何ヶ月かに一度『しばらく会えない』時期がある。
一度だけ何故会えないのか聞いてみたが、当真くんは緩く笑ってその長い腕で私を抱きしめるだけだった。
いつも飄々としている当真くんの、その分かり易過ぎるご機嫌取りには『触れてくるな』と言うメッセージが込められていて。それに気付けてしまうくらい私は、当真くんと月日を過ごしている。


「名前」
「何?」
「今日泊まっていけよ」


そして『しばらく会えない』その前の日に、当真くんは私を必ず家に呼ぶ。
その日の当真くんは何があっても私を腕の中から逃がさないし、服で隠せれないような場所に幾分の赤を必ず散らす。それは周りの人間に、私は俺の物だと主張しているようで。


「分かった」


ドロドロに溶けていく。体も脳みそも当真くんの甘い声に溶かされて、もう原型なんて留めてなくて。
元には戻れないかもしれない。そんな恐怖が足元に迫ってきていて。それは火照った体には冷たすぎて。
手首と太腿に散らされた赤を、一瞥。首元や項は少し痛むから、もしかしたら噛まれたのかもしれない。
この部屋に朝はまだ来ていない。当真くんもまだ深く眠っている。

依存――だと言うことは随分前から分かっていた。


**


「あ」


通学中。目の前を一匹の黒猫が横切った。
当真くんとはあの夜から『しばらく会えない』ままだ。一度だけ、電話を鳴らしてみたけれど繋がらなかった。
ドロドロに溶けていく。恐怖の闇に、深く深く落ちていく。
横切ったはずの黒猫が私の足元にすり寄ってきた。珍しい事もあるものだと思ったが、なんだかこの猫には見覚えがある気がする。あぁ、当真くんが良く声をかけている『ぽっちゃりネコすけ』さんではないか。


「ぽっちゃりネコすけさん、おはよう。 当真くんは今日いないの」


言葉が通じたのか、気まぐれなのか。ぽっちゃりネコすけさんは、にゃあ と一度だけ鳴いて、足の間をするりと抜けて行った。
随分サッパリしているネコすけさんだ。愛されている人間(猫)は、やっぱり心に余裕があるのだろう。でもぽっちゃりネコすけさん。貴方より私の方が当真くんに愛されているよ、私は、余裕なんてないけれど。


『ごめん』


二日前に送ったメッセージに既読はついていない。
『しばらく会えない』時は、電話をしても繋がらないし、連絡だって返ってこない。
それを分かっているけれど私は当真くんに電話をしてしまったし、それが分かっているからメッセージを送ったのだ。
逃げているみたいだと思う。けれど、この恐怖から逃れるには、文字通り 逃げるしかないのだから仕方ないだろう。


『猫が最期を迎える時 家から出ていく、ってのは語弊があんだよ』
『そうなの?』
『得体の知れない恐怖から逃げる為に、安心できる場所に逃げてんだと』
『なんだか 哀しいね』
『おう。だからそうなる前に しっかり愛してやらねぇとなあ』
『…でもさ、本当にそうなら、どこかで生きているかもしれないよね?』
『そーかもな』


またな、と誰もいない路地裏に声をかけた当真くんの横顔を、もう二度と見たくないな。と思った。
またな。どこかで生きているかもしれない猫に向けてまた会おうの またな か。それとも、俺が最期を迎えた時にまた会おうな の またな か。どちらの意味なのかは聞いていない。



大事に、されていたと思う。
その証拠に当真くんはいつも私に優しかったし、私を呼ぶ声は愛しい者を呼ぶ音色だったし、腕の中はいつだって温かかった。

けれど、当真くんには私より大事なものがあった。
私はそれが心配で、応援できなくて、だからいつだって後ろめたくて『しばらく会えない』時は毎日、恐怖の中にいた。


『当真くんはなんでそんなに猫が好きなの?』
『気ままで可愛いだろ?男ってのは追いたい生きもんなんだよ』


私はいつも、当真くんを追いかけてばかりいた気がする。長い足を窮屈に小さく動かして私の歩幅に合わせてくれる、それがなんだか申し訳なくて。それに、あの少し曲がった大きな背中を見るのが好きだった。


気ままで可愛い。


猫は、私とは真反対だ。
私はいつだって恐怖が足元にいて、それに一瞬で飲み込まれてしまって。
依存という言葉で恐怖を自ら受け入れた癖に、助けて欲しいと叫ぶ情けない人間だ。

終わりにしたいと思う。終わらせたいと思う。

当真くんと私の関係の最期くらい、当真くんの好きな猫になりたい。


私の足元を通り過ぎた黒猫は、何処へ向かうのだろうか。
ポケットの中でスマホが震える。


『今まで悪かったなあ』
『気が向いたらでいいから そん時は帰ってきてくれよ』


ただの文字から、甘い声が聞こえた気がした。
恐怖が体を飲み込んで、視界が歪んで、上手く歩けない。だから私はもう当真くんの元に帰れない。

猫は、得体の知れない最期の恐怖から 逃れる事が出来ない。



吾輩は猫である


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