シズちゃんは、見かけにそぐわず爪の手入れを気にする男だ。たまに持ち歩いている爪やすりを持つ姿は、噛み癖のある奴を片っ端からやすり掛ける勢い。普段よりも威圧感のあるその雰囲気を感じ、シズちゃんが爪やすりを持ち歩いている時は誰も近付かなかった。
 一方で、俺はそんな時に限って喧嘩を仕掛けたり、近付いたりしている。気が立っているときほど直情的になって扱い易いというのも一理あるが、そのために寄っている訳ではない。彼に優しく指を触れられて、それこそ恋人のように接することができたら。
 俺は、彼に恋をしていた。



 ぱちん、ぱちん、と等間隔に軽い音が響く。普段よりも綺麗な楕円を描く爪が、自分のものではないようだ。
 突然爪を剥くな、甘皮はちぎるな、と言われ、掴まれた手。それは今、まるで恋人のように触れれば触れるほど熱くなった。
「お前、あれ、いつもしてんのか」
「剥き癖?」
「ああ」
 はっきりと自分で意識したことはない。いつの間にか指先がぼろぼろになっているだけで、自分の癖だとは自覚していなかった。
「いや、よくわかんないけど」
 無意識の内にしてしまっているのだろう。いがみ合っている以上、そんなにだらし無い部分を知られるのは屈辱的だ。
 しかし、相手にしてみれば自分のどうでも良い癖に気付いてくれたということが、自分の求めているものに限りなく近い。
「もったいねえよ」
「え?」
「指。綺麗なのにな」
 節ばった手が、指先が、俺の指を撫でる。そこから広がるように、体中が熱くなった。
「別に普通じゃないの」
 まじまじと他人の指先なんて見たことがなく、俺にとってはこれが普通だ。指輪を購入したとき、指が細いと言われたこともあって、自分の指は比較的細いのだろうと把握はしていたが。
「指細いし、女爪だし、爪の形綺麗だし。こんなに剥いてんのに、よく男爪にならなかったな」
「……」
 正直、男爪だとか女爪だとか、よく分からない。ただ、シズちゃんが、心底美しいものを見るような、慈しむような目で俺の指を見るものだから、上手く会話を続けられなかった。自分自身のことをそんな目で見て欲しい、と嫉妬もするが、無理な話だろう。
 俺が返事をしないで沈黙が続くが、見兼ねたらしいシズちゃんが、徐に爪やすりを取り出す。ざらざらした表面で、平たく、アーチを描いた白だった。
 また指に手を添えられる。爪にやすりを当て、左右に動かし始めた。そうする度、ざり、と爪とやすりがこすれ、削れる音がする。白い部分のない爪が大半だが、その僅かな部位も、次第に美しくなる。相対して、削れた爪が、床の上にうっすらと白く積もっていた。
 爪は気にするのに、床が汚れるのは気にしないんだね、と皮肉でも言いたかったが、どうしても赤らむ顔を意識してしまう方が勝ってしまう。凹凸のあった爪が綺麗に弧を描いたところで、シズちゃんは爪やすりを仕舞い、今度は透明な小瓶を出した。開けると、独特な鼻を刺激する匂いが染みる。
「マニキュアなんて持ってんの?」
「うるせぇ」
 透明な粘着質の液が、爪に触れる。ひやりと冷える感覚がした。
「まるで女の子になった気分だ」
 男のシズちゃんに爪を磨いてもらって、マニキュアまで塗られて。そうだったら余程良いのに。そうしたら、きっと俺だって、シズちゃんともっと違う風に接することが出来たのかもしれない。
「女でも男でも、深爪なのに変わりはなさそうだけどな」
 どっちにしろ、汚くなってたらまた手入れしてやる、とまるで告白に近しい言葉を伝えられる。
 また、こうしてくれることがあるのだろうか。熱く広がる温度を感じられるのだろうか。
 しかし、自分が女にしろ男にしろ、二度目はないのだろう。また爪を汚して、シズちゃんにこうしてもらうなんて、想像もつかない。俺が鼻で笑われることだろう。それか、全く手を付けられないかだ。分かっているのに、もう一度やってくれないのか、なんて望みが残っている。我ながら、心底馬鹿馬鹿しい。
「本当、指、綺麗だな」
 こうして優しく撫でられることで、それがまたあるのかもしれない、と思ってしまうけれど。
 ふと顔を上げ、視線をシズちゃんへ向ける。ぱちりと視線が合って、息を飲んだ。
「きれいだ」
 再度シズちゃんの口元から零れる。まるで自分に言われているような錯覚に陥って、何故かじわりと視界が霞んだ。
「そうだね」
 指先を見直す。霞んでよく見えないが、シズちゃんに触れられた指先が輝いて見えるのは、確かだった。
「すごく、綺麗だ」
 この指先よりも、何よりも、今、目の前の。



 ぱちん、と軽い音が響く。長い爪を指先より少し長い程度に切り合わせ、やすりを掛けた。削れた白く積もる爪の残滓に息を吹き掛けると、前よりも光った爪が顔を出す。同時に、視界の端から腕が伸びて、指先を摘んだ。
「起きたの、シズちゃん」
「ああ」
 眠そうに目を擦るシズちゃんが、愛おしそうに指を撫でる。ふにゃりと笑って、顔を見合わせた。
「懐かしい夢を見た」
 目を細めたシズちゃんは、軽く指先を掻いてくる。
「お前、爪切り、上手くなったな」
「そうかなあ」
 それもこれもシズちゃんのおかげだよ。随分と昔のことを思い出しながら、言葉にこそ出さないが、そう心中で呟く。
 爪切りが上手くなったのも、こうしてシズちゃんと共にいれるのも。
「綺麗だ」
 優しく口づけられた指先から、熱が広がった。



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