06:くちびる。
くちびる。
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その日は朝から小太郎の様子が変だった。
おはよう、と声をかけても小さな返事しか返って来る事は無く、視線が逢うと慌てたように俯いてしまう。
何かしただろうか、と自問しても、思い当たるフシが無い。
昨日の一件を除けば。
― 嫌だった、とかじゃ、ねぇよな、
昨日の夜、初めて小太郎とキスをした。
思い当たるとすればそれが一番なのだが、その後は特に嫌がる素振りもなく、何度か続けて唇を重ねた。初めて、というのは、付き合いだしてから、という意味だ。キス自体は初めてじゃない。小さい頃からの付き合いだ。幼馴染。それも、生まれてからずっと一緒に居るくらいの。幼稚園か小学生の頃に、じゃれあうように遊んでいたとき、キスをしたことはあったかもしれない。
覚えてないということは、恐らく数え切れないくらいしたんだと思う。
それはキスと呼べるものかどうかは分からないが、触れ合いたいと思った気持ちはその時から変わっていないものだろう。
兎に角、その日の小太郎は、少し変だった。
朝、一緒に学校に行く。手と繋ごうとして指を伸ばすと、何かしら張り詰めた空気に邪魔をされる。
昼、屋上で飯を一緒に食べる。小太郎が俺のためにと作ってきてくれた弁当は、相変わらず美味かった。
小太郎は真面目に授業を受け、俺は何かの呪文のような数式に飽きて、ずっと眠っていた。というか、小太郎のことを考えていた。
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付き合いだしてから1週間が経っていた。学校からの帰り道、大雪警報が出ていた日。好きだ、と想いを伝えたら、同じ言葉が返ってきた。
― 俺も、晋助がすきだよ。
違う、と思った。小太郎の「すき。」は、俺の「好き」とは違う。友達でも、幼馴染でもないんだ、と縋るように言葉を吐き出すと、小太郎の柔らかい匂いが胸元に飛び込んできた。
抱き締められていると気づくのに、ほんの数秒、時間が掛かった。
― 晋助、
呟いた小太郎の声も、俺と同じように掠れていた。胸に埋められた小太郎の頬が紅く染まっているのを見て、ああ、ようやく手に入ったんだと、舞い上がる自分を抑える事に必死だった。
そしてその日から、小太郎に触れたいという気持ちが一層強くなった。
触れたい。抱き締めたい。風に靡く小太郎の黒髪が綺麗で、冬の空気に吐き出す小太郎の白い吐息すら飲み込んでしまいたいと思うようになった。
強引に引き寄せれば、きっとすべて叶う欲望だろうと思った。
小太郎は、きっと俺を拒まない。そしてその代わりに、俺は小太郎の心を手離さなければならなくなる事も、分かっていた。
だから俺は、付き合うことになった以前より慎重になっていた。
小太郎が嫌がることはしないと決めていたし、そもそも嫌がることをしてはいないはずだ。そう思って、ゆっくりと、小太郎に確かめるように、聞いたつもりだった。
― キスしたい。
付き合って一週間が過ぎた日の夜、俺の部屋に来ていた小太郎の髪の毛を一房、掴んで呟いた。透き通るような白い頬を一瞬紅く染めたかと思うと、小さく頷いた。
部屋の空気が何処か張り詰めているように感じる。暖房から流れてくる風の音と、つけっぱなしにした音楽プレーヤーのイヤホンから微かに流れ出てくる音が、狭い部屋の、二人の世界のすべてだった。
少し俯いた小太郎がゆっくりと目を閉じた。躰ごと引き寄せたくなるのを我慢して、髪の毛に指を絡めたまま頬を包むと、触れるだけのキスをした。
唇を離すのが嫌で、何度も角度を変えて唇を重ねた。
― すき、
潤んだ眸と震える声で小太郎が呟いたので、俺は何だか堪らなくなって、小太郎を思い切り抱き締めた。部屋の空気が冷たい。二人の体温だけで暖めあえることが、酷く安心出来た。その夜、最後にもう一度だけキスをして、小太郎は家に帰っていった。
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「こたろう、」
教室で帰る準備をしていた小太郎を捕まえた。俺の親は仕事でしょっちゅう家を空けるので、夕飯を小太郎の家族に世話になることが多かった。しかし小太郎の家の両親も共働きで、俺は小学生の高学年の頃から小太郎の手作りの料理を食べることが多くなった。今日も同じように、夕飯はどうなるのかと尋ねようとして、小太郎の視線が一瞬揺れるのを見逃せなかった。
「…、今日は、いい。」
「え、」
「外で、何か適当に食うから。」
「どうして、」
「どうして、って、お前が…、」
俺を避けてるだろ、とは云えず、無言になっていると、小太郎がゆっくり微笑んだ。
「今日の夕飯はブリ大根なんだ。」
「…。」
「昨日の夜にはもう作っておいたから、味が染みていて美味しいぞ。」
「…他、」
「え、」
「ブリ大根の、他は、なにがあンの、」
一瞬だけ揺れた小太郎の視線の意味を探しあぐねたまま、俺は結局いつものように小太郎の家で夕飯を食うことにした。
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夜、小太郎の家で二人きり。夕食に出されたブリ大根は、大根がとろける程に柔らかく、ブリの骨まで味が染みているような深みがあった。聞けば、醤油と砂糖ではなく、醤油と蜂蜜で漬けて煮込んだのだという。俺は甘すぎる味が好きじゃないので、砂糖よりは蜂蜜がいいのではないかと小太郎が思案して作ったと聞かされた。付け合せに、サッパリとした山芋の味噌汁、里芋の素焼き、白米と、何だかタイムスリップでもしたかのような献立だったが、小太郎の作る和食はいつもこんな感じだ。野菜が多く、しつこい味付けはしない。小太郎の手料理に慣れてしまった舌は、中々他の和食を受け付けない。
― 大事に、思われてるンだよな、
空腹が満たされた躰を持て余して、小太郎の部屋で寝転んでいた。昨年まで旧式だったブラウン管のテレビは、先日薄い液晶のものへと買い換えられていた。
小さい頃、二人でブラウン管のテレビに向かっていた頃もあった。夕食の献立を思い出し、最新式のテレビを見ると、一瞬頭が混乱する。
小さなブラウン管の向こう側を覗いていた頃、俺達はなにを見ていたんだっけ。
「晋助、風呂が空いたぞ。」
「ああ、俺、今日は帰るから、いらねェ。」
「え、」
また、小太郎の視線が揺れた。俺は、その視線の意味がやっぱり分からなくて。
― なン、だよ。
気持ちがざわつく。そんな心を落ち着かせたくて、小太郎に触れようとした。
「…、ない、で、」
「え、」
「…帰らないで、ここに、居て。」
すとん、と目の前に座り込まれたかと思うと、そのまま抱き締められた。風呂上りのはずなのに、小太郎の香りはそのままで。一瞬思考が停止したかと思うと、頬が急に赤くなっている事を自覚して、思わず小太郎の首筋に顔を埋めた。
「しんすけ、」
心臓が煩くなってきて、耳の中でドクン、と音が木霊した。
ゆっくりと小太郎の顔を覗くと、小太郎も同じくらい、顔が赤かった。
「キス、したい。」
小太郎の唇がゆっくりと動いたので、俺はその動きに合わせるように唇を重ねた。たまらなく愛おしい。気がつけば、小太郎の眸が熱に浮かされたように潤んでいた。
「ああ、やっと云えた…。」
「は、」
「昨日、から、ずっと云いたかった。」
― 俺も、晋助とキスがしたいって。
求めていたのは、俺だけではなく、小太郎も同じだった。
胸の奥からこみ上げてくる想いを、一生忘れることはないだろう。
俺はこのとき、小太郎とキスをしたのは、今日がはじめてなのだと思った。
/了/
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2012/3/18に発行された「ハジメテ ノ タカヅラ」に恐れ多くも参加させて頂きました。
テーマが「はじめての高桂。」ということで、全年齢向けを一生懸命・・・努力しました・・・(そこかよ。)
相変わらず砂糖と塩を一緒に吐きそうな高桂です。
通常運転ですね^^←
そしてサイトへのUPが遅くなったのは、データを何処に保存したか忘れてしまっていたからです(殴。)
2012/6/2
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[mokuji]
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