25:あなたにすきといわれたい







あなたに好きと言われたい。











 野菜を煮込んでいた鍋が湯気を噴き始めた。
 そろそろ目の前に居座ってしまった晋助をどうにか宥めて料理を再開しなければ、山口の両親から送ってもらった折角の素材が台無しになってしまう。
「しん、その、煮物が…、」
「言えねーの、」
 眉間の皺が更に深くなってしまった。これ以上駄々をこねられると少し困る。
 けれど要求された晋助の言葉はあまりに真剣だったので、雑に扱える筈もなかった。
 こと、こと、こと。
 鍋の蓋が音を立て始める。このままでは本当に台無しだ。里芋と人参、牛蒡と鶏肉を入れた煮物はお互いの好物で、山口に居た頃から食卓に並ぶと喜んで食べていた。
 今日は久しぶりにその好物を二人で食べれると思っていたのに、
「い、いきなり、言われても、」
「なんで、」
「…お願いだから、」
 懇願するように晋助の顔を見つめる。むす、とした表情を変えることの無いまま、晋助は今のソファにどさり、大きな音を立てて座り込んでしまった。
 少しばかり後が怖いが、今は煮物が優先だ。
 炊き立ての白米と、白味噌と赤味噌を晋助の好みに合わせて調合した長葱の味噌汁、最後にこの煮物が揃えば、多少は機嫌が直ってくれるといいのだけれど。

― 何か、あったんだろうか、

 普段から、何もなく不機嫌になる人間でないことは分かっている。生まれた頃からの付き合いだ。それ位は承知しているつもりだった。
 噴出していた鍋の蓋を開けると、醤油と白出汁の、そして少しだけ入れた砂糖の甘い香りがふんわりと広がった。
 その香りは居間の晋助にも届いたようで、顔はこちらに向けず、声だけが向けられた。
「…里芋だったっけか、今日の、」
「うん、美味しく出来上がるといいな」
 横の鍋に視線を移し、味噌汁の出来具合も確認する。豪華な夕飯になりそうだ。





― 好き、
― うん、
― 小太郎は、
― え、あ、え、と…、うん、
― だから、小太郎は、
― え、俺も、
― ちゃんと言えよ、

 言え、と縋っておきながら、唇は直後に塞がれていた。そんな状態でどう伝えればよいのか全くもって分からなかったので、ついそのまま黙り込んでしまった。
 前にも同じようなことがあった。
 好きといってと何度も乞われ、突然で直接的な要求に戸惑っていると、そのまま寝室に連れて行かれ、意識は暗転。気が付くと晋助の腕の中だった。
 けれどその時に、その都度に、確かに伝えた筈なのに。

― 届いて、いなかったのだろうか、

 過る不安に、胸の奥が、ちくりと痛んだ。







「あ、美味ェ」
「そうか、良かった」
 素直な言葉がとても嬉しくて、つい頬が緩んだ。
 晋助と二人、居間の炬燵で夕飯を共にする。実家に居た頃からもう何年も繰り返している光景だ。自分の両親は共働きで、晋助は家で一人のことが多かったから、こうしてよく二人、一緒に夕飯を食べてきた。
 あの頃と違うのは、義母の手料理ではなく、自分の手料理に変わった事だ。
「味、薄かったら醤油をかけるといいから、」
「平気、丁度いい」
「うん、」
 心に安堵が満ちた。普段の晋助だ。
 玄関先には同じく実家から送られてきたみかんが置いてある。後で一緒に食べよう、と言いかけた所で、突然咎める様な視線とぶつかった。
「…しん、」
「無理してまで言わなくていい」
「え、」
「言いたくないなら、いい」

 ずきり、心に棘が埋め込まれたような音が聞こえた気がした。

― すき、晋助が、好き。

 あの時、前に聞かれたとき、確かに伝えた筈なのに。
 届いて、いなかったのだろうか。自分の気持ちは、晋助に、届いて、
「…風呂、先入れよ、」
「……うん…」
 小さく頷いて、目の前の煮物を一口、くちに運んだ。
 晋助は美味しいと言ってくれたのに、何故か味が分からなかった。






― 再婚するそうだ。
― は、おっさん独身だろ、
― いや、…僕じゃ、なくてね、
― …あぁ、そういう、こと。

 長野に暮らす伯父から電話があったのは数日前の事だった。
 もう何年前になるのか分からない。顔さえ覚えていない母親が再婚するとかいう、どうでもいい話だった。
 別に知らせなくてもいいものを、と、電話を切った直後に舌打ちした。だが伯父も伯父で、一応気を使ってくれたのだろう。恐らく、小太郎の両親にも話が伝わっている筈だ。

― 一度会いたいって連絡があったけど、
― 厭だ。別に関係ねーし、
― そうか。分かった。気が変わったら連絡しなよ。

「今更…、」
 俺を捨てた両親に、会いたいとも思わない。
 バイト先の店長から譲ってもらった手網で豆を煎る。緑色をしていた豆がゆっくりと潤い、段々と茶色を帯びてくる様子は好きだ。自分好みの味だけに調整できる。今日はイタリアンロースト。
 淀んだ心を掻き消すような濃い味がいい。ブラックで一気に飲みたい気分だった。
「珈琲、飲むのか、」
「あぁ、」
 風呂から上がった小太郎が、髪の毛を拭きながら台所に近づいてきた。ほんのり紅く上気した肌が妙に艶っぽい。
「…俺も飲んで良い?」
「いいけど、苦いぞ、たぶん」
「晋助の煎れてくれた珈琲は、美味しいから」
 ふわり、笑う。この笑顔が、自分のものだけだと、分かっているのに。
「…甘いほうが良い?」
「晋助が好きな味でいいよ、あわせるの大変だろう、」
「わかった」
 小太郎が、何処か戸惑っているのは分かっている。当たり前だ。あんな、八つ当たりみたいな真似をするつもりはなかったのに。
 網の中の豆が順調に色づいていく。横から小太郎の視線をずっと感じる。
 手元を覗き込んでいるのだろうかと思った矢先、ぽすん、と、背中に、柔らかい小太郎の温もりが降ってきた。
「…き、」
「なに?」
「すき。しんすけ、が、好き、」
 ぎゅぅ、と、背中から前に回された小太郎の腕に、僅かに力が篭った。同時に降り注ぐ小太郎の声は震え、戸惑うように潤んでいた。
「こ…、う、わ、あっづ……ッ、」
「え、し、晋助…っ、、」
 完全に手元が狂って、熱された網に指先が触れてしまった。
「冷やさないと」
「……、」
「しん、早く冷やし…、」
「もっかい言って」
「え、」
「さっきの、もっかい、」
 ガスの火を止め、俺の手を蛇口の下まで引っ張っていた小太郎の眸が大きく揺れて、睫毛の先まで震えたような気がした。
 長い睫毛の影が、動揺で俯いた小太郎の顔に影を落としている。少しの間を置いて、俺に抱きつきながら、小太郎は小さな声で望んでいた言葉をくれた。

「…すき、」

 指先の熱さも忘れて、無我夢中で小太郎の唇を貪った。このまま、何もかも、全部。
「…っ、ふ、んン、、」
「こ、たろ…、」
「は、あ…、しん、んぅ…っ、、」
 甘い、甘い。我慢なんてものは、出来なかった。
「ぁ、ま、待っ…、」
「無理」
 床に押し倒した小太郎の顔を覗き込んだ。戸惑い、怯え、けれど隠しきれはしない、期待。
 口許に、熱さを忘れた指先を持っていく。互いの唾液で濡れた唇は口紅でもしたかのように赤く、吸えば甘いことを容易に連想させた。
「…舐めて、」
「…ッ、ん…、、」
 小太郎の咥内が熱い。忘れていた熱さと痛みが、指先を支配していく。ゆっくりと唇をなぞり、拙い抜き差しを繰り返す。
 その都度、小太郎は必死に舌を指先に絡めてくる。俺の火傷を冷やそうとでも思っているのだろう。だがそれは逆効果だ。
「自覚、してねぇンだもんなぁ、」
 ちゅるり、唾液が絡んで糸を引いたままの指を小太郎の口から引き抜き、そのまま脚の間へと滑り込ませた。
「あ…、」
「こたろう、」
 縋り付く様に抱き締めて、小太郎の躰に指を挿し入れる。
 ひ、と、小さな悲鳴が聞こえた。まるで必然のように、小太郎も俺に抱きついてくる。
 指先も、抱き締めた小太郎の躰も、何もかもが熱かった。
「…ぁ、、」
 小太郎の躰が引き攣り、胎内で交わった己自信も限界を迎える。指を絡ませて、唇がふやける程に貪りあった。
 何度も、何度も、何度も。それでも足りないと思うのは。

 繋いだ小太郎の手に己の指を食い込ませ、硬く目を閉じる。
 白く染まっていく思考に、何もかもを放り投げた。







 時々恐ろしくなる。小太郎と二人いつまで一緒にいられるのかと。
 当たり前のように考えていた存在がある日突然失われる事を、俺も小太郎も、必要以上に知りすぎている。
 
 十七歳。大人にも子供にもなれない。
 大人になってしまえば、きっとこんな風に恐ろしくなることもない。小太郎とふたり、ずっと一緒にいられる。
 他に何かを失っても、小太郎だけ、小太郎さえ、居てくれれば、
「…ん、…しん、」
「ん、」
 眠りかけている小太郎を、ぎゅうと抱き締めた。あたたかい。いい匂いがする。また欲しくなる。馬鹿みたいに、それの繰り返しだ。
「…電話、」
「うん、」
「おっさんから、」
「…うん、」
 そうか、と呟いて、小太郎から唇を重ねられ、抱き締められた。余計なことは何も言わずに。
 ぼんやりと泣きたくなったのは、きっと小太郎の匂いに包まれているからだ。
 小太郎の存在に包まれて居ると、どうしても心が無防備になってしまう。なんだか情けない気がして、小太郎には内緒の話だ
「しん、」
「なに、」
「何処にも、ないんだ」
「え、」
「俺の本当に眠れる場所は、晋助の処しかないんだ」
 だからどうか、このままずっと。
「しんすけ、」
 小太郎の細い指が頬に触れ、唇が耳元に近づく。ああ、自分はもう何度、この存在を綺麗だと思ったのだろう。

「すき、」

 小さな言葉と共に、心の何処かで張り詰めていた糸が切れる音がした。







「あれ、あまい、」
「ハイロースト。そんなに苦くしてねぇし、」
 翌朝、小太郎と二人で珈琲を飲む。
 普段小太郎は珈琲を飲まない。苦い味しかしないので、苦手だと言っていた。
 桂の家では珈琲を飲む人間が居なかったし、小太郎はどちらかと言えば紅茶を好む方だ。
 だのに、俺が珈琲店でバイトを始めてから飲んでみたいと言い出した。

― 珈琲を飲む晋助が、なんだか嬉しそうだったから。

 以来、小太郎は俺の挽いた豆の珈琲しか飲まない。
 市販の物は苦くてどうしようもないのだと言う。それはちょっとした優越で、小太郎が俺以外の味を知らないという、支配感に似ている感情で幼い心を満たしてくれた。
「なぁ、しん、」
「あ、」
「俺のこと、すき?」
 寄り添うように座った炬燵の中、不安げな眸と出会ってしまった。昨日の俺もこんな状態だったのだろうか。
 持っていたカップを置いて小太郎の頭を抱き寄せる。
「何なら、今日一日ずっと言ってやってもいいけど」
「…ああ、聞くんじゃなかったかな、」
 くす、くす、嬉しそうに小太郎が笑った。妙に顔が熱く感じるのは、気のせいだということにしておく。
 炬燵の上に置いていた珈琲を再び口に運ぶと、最初よりも甘い味がした。









//おしまい。


2009/2/22:高桂オンリーイベント「艶舞」にて発行「あなたにすきといわれたい」より。
2016/9/10:WEB掲載(一部加筆修正)

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おたがいに「すきすきだいすき」って一生懸命な3Z高桂尊すぎるって10年くらい思ってます。
8年前に続き7年前の本のデータを発見したのでWEB掲載しました。
ほんとにこのころから書くものの軸みたいなものがなんにも変わってないなあと思いつつ。
3Z高桂はずっとずっといちゃいちゃしていて欲しいですね。
むしろお願いします幸せになって…(切実)


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