05:きみ の てのひら。
【きみ の てのひら。】
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誕生日に何が欲しい、と聞かれ、返事に詰まった。
住み慣れたアパートに2人きり、昼食を食べ終わった土曜日。
小太郎の誕生日から数日過ぎた日、6月にしては洗濯物がよく乾く日だと小太郎が喜んでいた日だった。
欲しいものは特にない。
というより、一番欲しかったものは、既に手に入れてしまった後だ。
「…何も、いらないのか、」
「いらねぇって訳じゃねぇけど…、」
中学3年の冬、2人して受験を終えた頃、それまで帰り道で引き止めなかった小太郎を初めて引き止めた。
掴んだ腕からは何の抵抗もなかった。
つまりは俺への意識はその程度のものだと思った途端、無性に腹が立って、その日の夜、乱暴に抱いた。
小太郎が泣いてしまえばそれまでだろうと思った。
それなのに、小太郎は泣かなかった。
いや、泣いていた。肩を震わせながら、濡れた瞳で泣いていた。
― うれしい、
その瞬間、俺はこの世界で一番手に入らないだろうと思っていた存在を手に入れてしまった。
それから一緒に暮らしだしてもう2年。つまりは上京して2年。
その年数は互いに互いを縛り付けた年数に比例する。
小太郎への想いが何処か淀んでいくような気さえした。
目の前にいる存在を何もかも自分だけのものにしたい。
朝も昼も夜も、何時だって俺の存在で縛っていたい。
他の何も、見て欲しくない。
歪んでいく思考を目の前の存在にぶつけたら、離れてしまうのだろうか。
小太郎は小太郎の意思で俺の側に居てくれる。
俺が離さないのも勿論だが、それと一緒に小太郎は俺の側に居ることを選んでくれた。
だが、それはもうすぐどうなるか、分からない。
高校3年、進路選択は互いに決まっている。
小太郎は法学部の大学への進学がほぼ決まっている。
俺は奨学金が出るからと小太郎に同じ大学を進められた。
少し考えたが、小太郎と同じ大学であるという理由で理系の学部を受けることにした。
真逆だ。
同じ大学に進学出来たとしても、構内で会える時間は限られている。
文系と、理系。
高校3年になってからの選択科目の違いで、小太郎と過ごせる時間は2年のときと比べてはるかに少なくなった。
1日が、長く、短い。
「晋助、聞いているのか、」
「…あぁ、」
「…本当に、何も…、」
「なぁ、」
「うん、」
「あるぜ、欲しいの。」
人の心を欲するのは馬鹿げている。
俺は18年間、それを嫌と云うほど知ってきた。
母親に棄てられたことも、
父親に左目を奪われたことも、
でも、
それでも、
「こた、が、欲しい。」
小太郎だけは、ずっと俺の側を離れなかった。
それはそっと抱き締めるような、
全身ズタボロの俺を少しずつ癒していくような、
「…しん、」
「小太郎が、欲しい。」
一瞬驚いたように目を見開いた小太郎の表情が、くしゃり、歪んだ。
― あ、泣く、かも、
そう思ったが、気づいたら小太郎の両腕を掴んでキスをしていた。
「だ、だめ、」
「何、が、」
「しんすけの、誕生日なんだ、」
「俺は小太郎が欲しい。誕生日だけとかじゃ、なくて。」
何が小太郎を追い詰めているのか、言葉を紡げば紡ぐほど小太郎は涙を眸に溜めていった。
もう一度キスをしようと、細い体を引き寄せた。
とうとう小太郎が泣き出したので、触れるだけのキスでは物足りなくなった。
じゅる、と音がするように、そのまま押し倒しながら小太郎の咥内を貪った。
「だめ、だ、そんな、の、」
「だから、何が駄目なんだよ、」
珍しく小太郎が意味もなく抵抗の意思を示したので、俺は苛立った。
もうこのままコトに持ち込んでやろうと考えた刹那、小太郎の細い指が頬に触れた。
「う、れしい。」
思考が、止まった。
「しんすけが、俺を欲しいと、云ってくれるのが、うれしい。でも、それじゃ、だめ、」
― この間、自分の誕生日を祝ってもらったばかりなのに。
床に広がった黒髪が綺麗だった。
ぽろぽろと涙を溢れさせる眸が愛しい。
薄く紅に染まった頬が綺麗で、ああもう、何もかもが、好きで、好きで、しょうがない。
「…こたろう、は、俺が、欲しい、」
何処か恐る恐る聞いている自分が滑稽だった。
俺のものにしたわけじゃない。
小太郎が俺の側に居るのは、居てくれるのは、
「欲しいよ、しん、」
ぞくぞくした。
■
気だるい感覚。
独特の感覚。
小太郎とでしか味わえない、極上の、
「こた、」
「…ん、」
涙で濡れた小太郎の頬にキスをして、そのまま唇を塞いだ。
「…っ、はぁ…、、」
唾液が糸を引く。
甘い、味。
この甘さは何処から来るのか、
答えは既に出ているのだろうけれど。
「18…か、俺、」
「うん、そうだな、もうすぐだ。」
「何年、」
「生まれたときから一緒だとしたら、18年。」
「あァ、そうか…、」
小太郎を腕の中に閉じ込めて、ずっと云えないままだった言葉を心の中で反芻した。
「なぁ、夏休み、帰ろうぜ、山口。」
「え…、」
「受験前に、小太郎の小母さんと小父さんに会っておきたいしな、」
「…うん、帰ろう、一緒に。」
小太郎が嬉しそうに微笑んだので、つられて頬が緩んだ。
― 小父さん、甘いの苦手だったよな、
手土産と、そしてその後恐らく食らうであろう握り拳の痛みを想像して、殴られても居ない右頬が痛んだ。
小父さんは左利きだ。小母さんは泣くだろうか、嘆くだろうか。
― あ、やべぇ、
その前に伝えるべき相手は腕の中に居る。
どうしたものかと考えるうち、思考は優しい波に攫われて深く海の底に沈んでいく。
「しん、」
「…なに、」
一瞬浮上した意識の中、小太郎の声は心地の良い響き以外の何者でもない。
「すきだよ、」
― だから、
その先の言葉を聞こうとして目を閉じると、其処にもう意識は存在しなかった。
■
自分を包んでくれている愛しい人の寝顔を眺める。
その都度嬉しくて、何故か泣きたくなる。
もう何度目かわからない。
規則正しい呼吸、行為の最中は眼帯が外され露になる左目の傷痕。
普段は誰にも見せない、晋助の、
― 18歳…、
もう、大人でも子供でも居られる時間は少ない。
将来の道を決めた以上、互いを縛っている何かを緩めなければならないのに、
それなのに、
「…すき、晋助、だいすき。」
自分よりほんの少し逞しい腕、短い髪、何かに怯えるような気配、
「だから、俺は何処にも、行かないから、」
聞こえてないなくてもいい。
これは自分に云い聞かせているようなもの。
「ずっと、晋助の側に居ることしか、出来ないから、」
晋助は自分を必要だと云ってくれた。
欲しいとも云ってくれた。
それなら、全てをあげるから、だから、
「…離さないで…、」
訳もなく不安になるのは、きっとまだ自分が子供のせいなのだろう。
先日、18歳になり、山口の両親からも祝いの品と電話をもらった。
これから先の道は、見えているようで、実は見えない。
でも、晋助が、晋助さえ側に居てくれたら、
ほんの少し、少しだけ怖くなって、抱き締めてくれている晋助の手を少しだけ強く握った。
自分よりも強い力で握り返されたその手に、どうしようもなく愛しさが込み上げて、ほんの少しだけ、泣いた。
/了/
2009/8/10 ブログ掲載
2009/11/22 サイト掲載
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[mokuji]
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