02:きみのとなりで。
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短編 きみのとなりで。■高桂(3Z)
紫陽花が雨に打たれて揺れていた。梅雨がもうすぐ終わり、夏の匂いが近づくのを感じる。
「鳴き声がする、」
小さな手に傘を持った晋助が、公園を指差した。
小学校の帰り道、
突然降り出した雨に、傘を忘れた晋助と一緒に帰ってる途中だった。
指差された方向にある公園に顔を向ければ、微かに、雨の音に紛れて、小さな、とても小さな鳴き声が聞こえた。
持っていた傘を片手に押し付けられて、晋助は雨の中に飛び出していった。
慌てて追いかけて、公園の片隅にあるベンチの下に駆け寄った晋助の背中を見る。
みぃ、みぃ、
子猫の鳴き声がする。
今にも消えてしまいそうな、
小さな、声、
「こた、」
振り返った晋助の腕に、小さな子猫が抱かれていた。雨に濡れて、ふる、ふる、小さな体を震わせている。
咄嗟に持っていたハンカチで体を拭いたけれど、子猫の震えは止まらないままだった。
「しん、連れて帰ろう。このままだと、死んじゃうよ、」
俺の言葉に安堵したのか、子猫は小さく、みぃ、と鳴いた。
□
こたの持っていたハンカチは直ぐに水浸しになってしまい、たまたま持っていた俺のタオルで包んだ。
少し暖かくなったのか、腕の中の小さな体は少しずつ震えがおさまっていった。
「…連れて帰って、どうすんだ、」
「とにかく、暖めてあげないと…。しんの家は、この子、飼えないのか、」
「俺ンとこは、…無理かもしんねぇ、」
母親が駄目だというのが目に浮かんだ。元の場所に戻して来いと云われるに違いない。
俺の言葉に一瞬顔を曇らせたこたが、神妙な面持ちになって云う。
「…家で飼えないか、頼んでみる、」
その言葉に、少し驚いた。
こたは桂家の養子だ。生みの親は既に他界していて、遠縁だが住まいが近くの桂家に引き取られた。
出会った頃は気にもしなかったが、最近になってようやく、子供心に、こたが桂の家でなんとなく、なんとなく遠慮していることが分かった。
こたは今の両親の前で甘えたりしないし、泣いたりしないし、我侭も云わない。小学校でも、所謂「優等生」の部類に入る奴だ。
そんなこたが、親に我侭を、と云う。
この子猫が、余程可哀相と思ったのかどうかは分からないけど、とにかくそれは、俺にとっては衝撃に近い状況だった。
小さな傘に二人、子猫を中心にして、はみ出した互いの肩を雨に打たれながら、家までの道を急いだ。
□
「晋助、夏季課外の希望表、ちゃんと出したか、」
日曜日、朝から雨が降っていた。
珍しくバイトが休みだった俺は、こたの手料理の昼飯を食べ終わった後、ベッドに横になって雑誌を眺めていた。
食器を洗い終わったのか、結っていた髪を解きながら寝室に入ってくる。
「まだ、」
「来週中に出さないと選択科目、選べなくなるぞ、」
「やる気、ねぇんだよなぁ、」
ぽか、
頭を軽く叩かれた。
「なにすンだ、」
「少しは出席日数を気にしろ、幾らテストが良くても…、」
「分かったよ、出せばいいンだろ、」
そもそも夏季課外なんざ、出席日数に関係ねぇって、こいつ知らねぇのか、
学校は別に嫌いじゃない。
ただ面倒くさいだけだ。
それでも今のところ、授業の出席日数はともかく、学校にはほぼ毎日行っている。
こたが毎日弁当を作ってくれるし、歴史とか公民とかが苦手な俺によく勉強を頼んでも無いのに見てくれるので、
居心地が悪いわけではなかった。暇な授業は、フケるか寝てりゃいい。
幸いかどうかはともかく、頭の出来は悪くない。テスト前は一夜漬けか、朝漬けでどうにかなっていた。
こたが溜息を吐いて寝室を出て行こうとしたとき、こたの電話が鳴った。
「もしもし、あ、母さん、」
電話の相手は母親らしい。
俺に背を向けて、落ち着いた口調で話す。昔よりかは砕けた雰囲気になった気がする。
そう云えば、五月の連休に二人して実家に帰らず仕舞だった。
東京と山口は中々遠い。
それもあるが、俺は連日バイトで、こたは勉強やら部屋の片づけやらで結局帰れなかった。
何より、こたが俺に合わせて山口に帰らなかったことは薄々気づいていた。
流石に、夏休みは帰らないと駄目だろうと思う。
こたの電話が終わったら、いつ帰ろうか聞こうと思っていた矢先、
一瞬、こたの背中が強張った気がした。
うん、分かった、母さんに任せたままでごめんだの何だの云って、俺は大丈夫だからと最後に呟いて、電話を切った。
なんとなく嫌な予感がして声をかけようとしたその時、
「夕飯の買い物に行ってくる、」
此方を振り向かないまま、玄関から出て行った。
居間のテーブルに、財布を置いたままだった。
□
みぃ、みぃ、みぃ、
子猫が嬉しそうに、こたと遊んでいる。
正確には、こたにじゃれついてるだけなんだが。
あの日、意を決したこたの頼みは、あっさりと叶えられた。
あらまぁ、と声を上げて俺たちふたりを迎え入れてくれたこたのお母さんは、腕に抱えられた子猫を清潔で真っ白なタオルで包んでくれた。
「ちゃんと面倒を見ましょうね。母さんたちも一緒に、」
あまりに呆気なく叶えられた願いに、ふたり、ぽかんとしていると、こたのお母さんが声を出して笑った。
こたのお母さんは、厳しいとか、勉強にうるさいとか、そういうことは無かった。
云う必要もないんだろうと思った。こたは、元々真面目だし、頭も良いから。
「初めてね、小太郎がお願いするなんて。」
「…ごめんなさい、」
「あら、何で謝るの、こういう時は「ありがとう」って云うのよ、」
くす、くす、
笑いながら、こたのお母さんは子猫と、こたの頭を撫でた。
「名前、ふたりで決めてあげなさい。」
子猫に続いてタオルで覆われた俺たちは、濡れた服を着替えて、暖かいココアミルクを飲んだ。
ちらり、横目でこたを見ると、唇をきつく結んで、今にも泣きそうになっていた。
ああ、こたはこういう奴なんだと、その時はじめて思った。
− ありがとう、しん。すごく嬉しい、
後でこっそり、呟くように、こたが俺に云った。
いざ子猫を飼うことに決まって一番困ったのは、首輪だった。飼い猫にする以上、付けておかないと不安だとこたが云う。
けれど市販の首輪を幾つ合わせても、子猫はそれを嫌がって首を掻き毟って傷を作った。
これには俺もこたも、こたの両親もお手上げだった。
考え抜いた末、こたが柔らかいタオル生地を使って三つ編みをした首輪を作った。
当然ながら新品のタオルは使えない。
なので、使い古しのタオルを細くハサミで切って、解れを糸で縫って、子猫の首周りに合うよう調節したお手製の首輪が出来上がった。
市販のものに比べて見劣りはするものの、子猫はその首輪を嫌がらなかった。
薄灰色をした毛並みをした子猫は、首輪を作ったこたによく懐いた。
これで万事上手くいったかと思ったが、難点があった。
手作りの首輪は、消耗が激しい。
なので、俺とこたは、子猫が首輪をボロボロにしてしまう前までに、何度も同じように首輪を作り直した。
新しく首輪が出来上がるたびに、子猫は嬉しそうに、みぃ、と鳴いた。
小学校を卒業して、中学に上がって、高校に行くため上京しても、それは続いた。
□
雨が降り続ける中、家を出たこたを追いかけた。
普段忘れるはずが無い財布に、玄関には傘まで忘れたままになっていた。
雨が強くなっていく。
すぐ追いかけたはずなのに、家を出て辺りを見回してもこたの姿は見当たらなかった。
なんとなく、なんとなくそんな予感がして、アパートの近くにある公園に向かった。
此方に引っ越してきたとき、昔、子猫を拾った公園によく似ていると、こたが話していた。
ぱしゃ、
水を弾く足音が、妙に大きく耳に響いた。
− そうやって、一人、抱え込むのか、
昔から、いつも、
「俺が、何で隣に居ると思ってンだよ、」
こたは必要以上に「死」に敏感だった。
昔、実の親を亡くした後、たった二人残された実の姉も病気で亡くしている。
桂の家に引き取られる頃には、感情が上手く表現できない程になっていた。
愛するものを失う悲しみを知りすぎている子供だった。
せめて、俺と一緒にいるときは、笑っていて欲しいと子供心に思ったことを覚えている。
公園にたどり着いて、片隅のベンチに腰掛けているこたを見つけた。
雨に打たれるまま俯いた姿が、悔しかった。
長い黒髪が雨で肌に張り付いているのが遠目からでも分かる。
同時に、泣くのを堪えるように、きつく唇を結んでいるのも、
「一人にすンじゃねぇよ、」
俺の言葉に、弾かれたようにこたが上を向いた。
傘はひとつしか持ってこなかった。
ビニールの傘に、雨が落ちる。
こたの前髪から、雫が頬を伝った。
「どう、して…、」
「…なんとなく、」
顔に張り付いた髪をそっとよけて、そのまま冷たい頬に手を添えた。
「…しん、」
「なに、」
雨の音がする。
こたの声が、上手く聞き取れない。
片手で傘を差したまま、添えた手の親指でこたの目許を撫でた。
「…あの時、どうして…、」
涙を流すのを、必死に堪えているのが分かる。
添えた手から、張り詰めた頬の感触が伝わった。
「どうして…、鳴き声に気づいたんだ…、」
何かの答えを探すような、必死な感情を押し殺したような声だった。
「…似てたから、」
「似て…た…、」
「こたが平気だって云うときの声に、似てたからだ、」
本当は、助けて欲しいくせに、
本当は、泣く場所が欲しかったくせに、
本当は、家族が居なくなって寂しいと、叫びたかったくせに、
座っていたこたを無理矢理引き寄せて、唇を重ねた。
涙の味がした。
傘が地面に落ちて、内側に水が溜まる。
ばた、ばた、ばた、
傘を打つ雨音が、響く、
唇を離して、こたの頬を両手で包んだ。
雨に濡れて、泣いているのか、分からない。
「しん、すけ、は…、」
眸が揺れる。
昔から変わらない、綺麗な、黒い眸、
「いなく、ならない…、」
「ならねぇよ、」
− いなく、ならないで、
揺れる眸が訴える。
居なくなる訳がない。
離れろと云われても、絶対に、
「俺がこたから離れるわけねぇだろ、」
離れてなんか、やらねぇ、
くしゃり、
一瞬、呆然としていたこたの顔が歪んで、双眸から涙が溢れ出した。
「しん…、しん、しんすけ、」
縋るように抱きついてくる。
胸元に埋めようとする顔を上げさせて、唇を重ねた。
涙と、雨の味が混ざり合う、
その味を消したくて、
互いの唾液を幾度も行き来させては、飲み込んだ。
次第に、雨音は聞こえなくなって、こたの泣く声と息だけが、耳の奥深くまで響いた。
□
「…晋助まで、びしょ濡れだ、」
家に戻って、こたが焦るように云う。
別に俺のことはどうでもよかった。
むしろ、季節の変わり目に体調を崩しやすいこたの方が心配だった。
「先、風呂入れよ、」
「でも…、」
「いいから、入れっつってんだろ、」
後でお前にあっためてもらうから、と続けると、頬に赤が散った。
ばさり、
洗濯したばかりのタオルで、こたを包んだ。
わしゃ、わしゃ、ばさ、
少し乱暴に髪と躰を拭う。
うわ、と声を出したこたと、拭っていたタオルの隙間から目が合った。
どちらからともなく、唇を重ねて、
濡れたままの俺の髪から一筋、水がこたの頬に伝った。
「なぁ、」
「うん、」
ぎゅぅ、
こたを抱きしめながら、云う、
「夏休み、帰ろうぜ、あっち、」
「…うん、」
こたの濡れた髪をタオル越しに掴んで、もう一度キスをした。
「首輪作ってやって、帰ろう、」
また、二人で一緒に、
こたの眸から、ぽろり、雫が一つ、零れた。
その日、
一晩中、ただ抱き合ったまま眠った。
こたが泣き止むまで、ずっと抱きしめていた。
翌日、俺とこたは学校を休んだ。
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勝手に一人で桂さん祭りじゃー!
と、全てが勢いとノリな高桂3Z。
甘々にするつもりがなんかこんなこと!に!しかも無駄に長い。
3Zの桂さんが何故か高杉に素直に甘えてくれるのでとても書きやすい。
高杉は大人しい気がするなぁ…どうしたんだ?(…。
今回桂さんの家族構成は史実を参考に。子猫の名前は考え付かなかったのでそのまま。
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