「どうしたものか」
 雨の降る本陣、そのうちの一室に桂の沈んだ声が響いた。部屋には桂、坂本、高杉、そして銀時の四人が集まっていた。今朝から降り続く雨の影響で今日決行する予定だった作戦を行えず、幕府軍にも動きが無いため、攘夷軍は今回の出陣を取り止めていた。

「どうしたものかってよォ、仕方ねーだろ悩んでも。つーか何なの?何で俺の部屋に集まってんの」

 のんびり寝ようとしていたところを邪魔された銀時が避難の声を上げる。銀時は男四人集まってむさ苦しくなった自室から縁側に出ていた。
 桂の話、それは銀時が昨日連れてきたこども、和月のことだった。不機嫌に眉根を寄せて壁にもたれかかっている高杉は大方桂と坂本に引き摺られて連れてこられたのだろう。彼はあまり子供が好きでは無いから、和月を気にかけているようには見えなかった。

「おんしが連れて来て助けた子じゃろうが、もっと考えてやらんと。見ちょるこっちが可哀想になるき」
「そうだ。何だかんだであの子は今朝貴様の隣で朝餉を食べていただろう、貴様に一番気を許しているんだ」
「隣っつーか後ろな」

 和月は彼らになかなか気を許さなかった。
 銀時が和月を連れて来た最初の日、和月は確かに笑っていた。声を上げることもなくぎこちない笑顔ではあったが、作り物の笑顔では無かった。それが翌日からは威嚇したり刀を抜くことも無くなったが、同時に笑顔を見せることも無く、話しかけたり近寄れば小さな身体に緊張を走らせて怯えたような目をする。酷い怪我をしている肩の手当てを桂や坂本が申し出ても、和月は頑として首を縦に振らなかった。それでも近寄れるだけマシなのだ、他の志士たちにはある一定の距離以上はーー刀の間合い以上は近寄らせない。四六時中全身の神経を尖らせて気を張り続けている和月は、まるで小さな動物のようだった。

「一体今までどのような環境に身を置いていたらああなるのか」

 桂は唸るが、あの子がどんな生活をしていたのかは想像に難くない。痩せて汚れた身体、染み付いた死の臭い。人を信じられないという目が、和月が人々からひどい扱いを受けていたことを物語っていた。

「わしゃ、あの子がまるっきり人を信用できんというわけでは無いように思えるがのう。昨晩は笑っちょったし、何よりわしらを全く信用できん言うのならとっくに出て行っちょるはずじゃ」
「それもそうだな。……何にせよ早く慣れてくれればいいのだが。このままではあの子の事情も分からん」

 和月が何歳なのか、家族はいるのか、なぜ独りで戦場にいたのか。聞きたいこと、聞かねばならないことは多々あるのに、まずは警戒心を解かねば始まらない。

「あのガキ一人の為に時間を裂いてやる必要も無ェだろ。今俺達が考えるべきは明日の戦のことだ」

 どうすればええかのう、と眉を寄せる坂本に、高杉の声が飛んだ。軍議があるっつたのはヅラテメーだろ、速くしろと二人を蹴りながら急かす。高杉は縁側で雨を眺める銀時を振り返り、そのぼんやりとした様子に舌打ちした。

「テメーもだ銀時速くしろ」
「うっせーな、分かってるよ。先行っとけ」
「またサボる気だな銀時!許さんぞ貴様!」
「分かってるつってんだろが!まだ時間あんだろ、後から行くわ 」

 高杉達の姿が見えなくなってから、銀時はため息をついて柱に身をあずけた。
*

 みしりと廊下を踏む音が聞こえた。軍議のことを忘れてうつらうつらとしていた銀時は、その僅かな音に目を開ける。音の聞こえた方を見ると、縁側に沿って並ぶ部屋の一室から、銀髪のこどもーー和月が出てきて庭の木を眺めていた。左腕を布で首から吊り、右手では刀を抱えている。和月はただ松を眺めているだけではないようだった。身体を斜めにして覗きこむようにしたり、その場に座ってみたりーー木に何か興味を引くものがあるかのように。

(何してんだアイツ)

 銀時は和月に声をかけるべきか否か、迷いながらその様子を見ていた。銀時が舟を漕いでいたうちに、遠くが見えないほど降っていた雨は霧雨に変わっていた。
 やがて和月は動きを止めると、右腕で抱えていた刀をその場に置いた。そして後ずさりして一度部屋に入っていき、縁側からその姿が消える。何をしているのだと銀時が腰を上げた時、和月が部屋から縁側へ駆け出した。その勢いのまま縁側のふちで一瞬腰を落とし、木へ向かって跳躍したのだ。和月の小さな身体が銀時の背丈を軽く超える高さへ跳ね、片腕で松の曲がりくねった枝を掴み逆上がりをするようにしてその枝に着地した。
 この寺は古びてはいるが立派で敷地も広く、縁側から松まで一歩や二歩で行ける距離では無い。木も手入れする者がいないため伸び放題でかなりの高さがあった。銀時は腰を浮かしかけた体勢のまま固まった。十歳程度の子供の為せる技では無い。
 和月は枝の上を這うようにしながら細くなっていく先端へ移動していく。和月の身体は左腕を使えないためにかなり不安定なようだ。いつ落ちてもおかしくない。

(何だあれ。……猫?)

 和月が向かう枝の先に、真っ白な猫が縮こまって震えていた。まだ生まれたばかりの小さな子猫。大方木に登ってはみたものの、自分の思っていたよりも高かった上に雨が降ってきて降りられなくなったのだろう。和月は自分の進めるぎりぎりの距離から右腕を伸ばす。猫は震えながら自分に手を伸ばしてくる人間を見つめていた。
 銀時はそこでやっと我に帰り、霧雨の降る庭へ降り和月の登る木へ向かう。和月は落ちないように集中しているようで、近付く銀時に全く気付いていない。

「……だいじょうぶだよ、何もしないよ。おいで」

 珍しい和月の刺々しさを持たない声。猫は耳をぱたぱたと動かすと、覚束無い足取りで和月の伸ばした右腕に擦り寄った。ほっと表情を和らげ猫を抱えた和月は、体勢を整えようとしたのか怪我をしている左腕に体重を乗せようとしてバランスを崩した。和月の顔が痛みに歪み、支えを無くした身体が枝からずるりと落ちていく。

「おい!!」

 和月は猫を抱えたまま、木の下の植え込みに落下した。

「何してんだ!」

 猫を抱えて丸まっていた和月は、銀時の声に顔を上げた。一瞬驚いたように目を大きくして、そしてバツが悪そうに視線を子猫へそらす。和月の腕の中で子猫がみゃあと鳴いた。雨に振られた植木に落ち、和月はずぶ濡れになっている。

「おい、大丈夫か」

 なるべく警戒させないように声をかけたことが良かったのか、和月は数秒の沈黙ののち顔を上げて僅かに頷いた。

「にゃあ」

 ふいに猫の鳴き声が二人の耳に届く。和月が抱く子猫の声ではなく、辺りを見回すと崩れかけた塀の隅に白い猫がちょこんと座っていた。子猫よりもひとまわり身体が大きい。親猫だろうか。それまで大人しくしていた子猫は身じろぎしてその猫を見る。

「あ」

 途端に大きく身体を動かした子猫は、和月の頬をその白い尾でひと撫ですると、腕からするりと抜け親猫のもとへ駆けていった。気ままなものだ。恩人である和月を一度も振り返らず親猫のもとへ戻った子猫は、甘えるように親に身体をすり寄せみゃあみゃあと鳴いている。崩れた塀を超えていくとき、親子でこちらをちらりと見て高い声で鳴き、二匹は白い尾をゆらゆらと揺らしながら姿を消した。和月は二匹が去った後もまだそこに猫の親子がいるかのようにじっと崩れかけた塀を眺めている。霧雨に濡れた銀色の髪からぽたりと透明な雫が落ちた。

「……怪我したばっかりのくせに無茶なことやってんじゃねぇよ、傷口開いたらどうすんだ馬鹿野郎」

 ほら、立てるかと右手を差し出すと、金色が揺れて僅かに上半身が後ろへ引いた。まるであの子猫のようだ。どんな事があったのかは知らないが、戦場で過ごしているうちに自分の力だけでは降りられない場所へ来てしまったのだ。差し伸べられた手にさえ怯えてしまう程に。
銀時は差し出したままやり場の無い右腕で頭を掻き、数歩後ろへ下がった。

「そんなビクビクすんなって。俺何もしねぇよホラ」

 和月は数度瞬きを繰り返した。そして自分から離れた銀時をじっと見る。やがて右腕を支えに植え込みから降りると、着物や髪についた葉や小さな枝もそのままに駆け出し、銀時の横をすり抜け縁側に腰を下ろす。裸足のままだったせいで汚れた足の裏の汚れをすり落とすと、置き去りにしていた刀を持って立ち上がった。
 庭に立ったままの銀時へ、何か声をかけようとするかのように和月の口が開いた。声を出そうとして閉じて、また開いての繰り返し。言いたい事があるのに言えない、どうしたらいいのか分からない。迷子になって途方に暮れているような幼子の姿がそこにあった。霧雨に身体を濡らされながら、和月が声を発するのをじっと待っていたが、何度も口を開いては閉じを繰り返したあと和月は顔を歪めてばたばたと部屋の中へ入ってしまった。ぴしゃりと障子が閉ざされ、もう中の様子を窺うことはできなかった。

 銀時は息を吐いた。湿った地面を踏みしめて自室の前へ戻り縁に登る。すっかり濡れた着流しが身体に張り付いて気持ち悪かった。
 途方に暮れた和月の顔が浮かぶ。あの子は存外素直で根が優しいのかもしれない。銀時を初めとする人間達に向ける厳しい表情より、子猫に見せた純粋に助けようとする真っ直ぐな目と柔らかな声の方が本当の和月なのではないだろうか。
 銀時は師である松陽に出会うまで戦場にいた。屍を喰らう鬼と呼ばれ、人間らしさの欠片も無い生活のなかに身を置いていた。自分以外のいきものは全て敵であり、人を信じるという言葉の意味さえ知らなかった。一方和月は、昨日こそ近寄るものすべてを敵視し抜刀していたが、一晩明けると怯えたり威嚇することはあれど刀を抜くことは無くなった。桂は和月の姿勢の良さや箸の持ち方、食べ方やひとつひとつの動作から、あの子がそれなりに良い家の出身では無いだろうかと言っていた。豪奢な細工のされた金鍔の刀は一目見て一級品と分かる代物で、ろくな手入れもされていなかったはずの銀色の刀身は錆一つ曇り一つ無く、それを見た高杉が感嘆の声を上げていた。何故そんな家の子供が戦場で独りぼっちでいたのか。

(時間かけるしかねぇよなあ)

 自分はいつどうやって師と打ち解けたのだっけ。幼い頃の記憶を手繰り寄せていくうち、瞼が重くなってくる。さあさあと聞こえる雨の音がそれに拍車をかけ、銀時はすっかり寝入ってしまった。

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