紅葉は五葉と呼ばれるからある時数えてみた。一応上司である男と、そこに居候する少女とで。どう見ても七葉の方が多いじゃねーか、騙された、と二人が口々に誰とも知らぬどこかの先祖に愚痴をつけるものだから、そのうちおかしくなって、噴き出してしまったんだっけ。
 空の蒼に葉の朱そして黄。竹の翠に薄く伸ばされた雲の白。淡くも鮮烈な極彩色に囲まれた世界は、彼には少し息苦しすぎたみたいだった。
 それはいつのことだったろうか。忘れそうになっていることさえ、時々忘れそうになる。

 街には人間も天人も、総じて増えているように思えた。
 もうかれこれ二ヶ月は過ぎたのだし、それもそうかもしれない。
 聞いたこともないような星から訳のわからない輸入品がスーパーを満たしていくが、地球製のものもそれと同じくらい輸出されている。星を跨って商売をするような、そう、それこそ快援隊のような組織も増えていくだろう。これこそがこの国、この星の本来あるべき姿なはずなのだ。
 しかし賑やかな勝利の爪に深々と抉られるこの心に開かれた風穴は、中々どうして埋めることができない。
 将軍が天人と対等的な立場であると示す友好条約を結んでから二ヶ月。彼らが未だに姿を現さないことを戦と片付けるのも、二ヶ月前からできなくなった。
 あなたは大きく、大きくあなたの心を支配する空虚を埋め合わせるためにぼくらの心から出ていったのだろう。あなた達は僕らの知らないその人のいない世界を、その人を屠った世界を十数年も戦って敗れて生きたのだ。彼人の灰が温いまま、この世界が終ってしまえばいい。その気持ちは完全にとは言えないけれど、半分くらいなら分かる。なぜならあなたは生きていて、けれどもぼくらの心はあなたのそれと似たようなものなのだ。
「あ、500mlなのに百円…」
 赤に黄色にと強調された値札が、いつの日か楓を見つけては拾ったあの三人と一匹の帰り道を思い出させた。世の中は不公平で、時に生きにくく辛く呼吸もできないような苦しさに襲われたが、確かに皆笑い合えた昔のことだ。今も笑いがないわけではないが、あの煩く馬鹿馬鹿しく意地汚かった男とその周りの数人と、そして税金を搾り取っていたチンピラ警察組織の一つ。日常を構築していた大多数のものが忽然と姿を消して以来、少しどころではなく物足りない。
 空の買い物かごの虚しさもあってか、新八の手は自然と自分は飲まないはずのいちご牛乳に伸ばされていた。

 彼が真っ白い陣羽織を纏った時、執念に取りつかれた鬼を垣間見た気がする。けれどもそれを断ち切りに行くのだと、彼らは言った。彼は言った。
「手前のエゴの為に国を賭けてデッカイ戦をすんだ、」
 お前らは巻き込めねーよ。
 一年と少し前、納得のできる理由をと彼を問い詰めた時、返ってきたのはその答えだった。
 巻き込めない、だなんて。「手足纏いアルカ?私達が役立たずだからアルカ?」そう神楽が銀時の胸倉を掴みあげ、祈るような今にも泣き出しそうな表情で訴える。穢れなど何も知らない澄んだ水底の色合いを持つ瞳を見つめ続け、銀時はふいと目を逸らした。やんわりと、まるであの怪力をなんでもないかのように、神楽の手を剥がしながら。
 黄昏の長い影とピンボケしたレトロ写真めいた光が二十畳ばかりの部屋を包む。黄色と橙と紅と。それはセンチメンタリティを呼び覚ます、懐古の色である。
 影と光の境目を桂が何かを見出さんとするかのように眺めていた。おい、何か言えよ、何とか言えよと、叫びだしそうな衝動に駆られる。その感情が頂点に達した刹那、
「あぁ、手足纏いだ。戦を知らねェ奴なんて手足纏い以外の何でもねェよ」
 紫煙を吐き、灰を落としながら悠然とした体でしかし強く、眇(すがめ)の男が言い切ったのだ。
 戦に憔悴しきった顔など、心を保った者から淘汰されていく現実など、自分の生存理由までをも見失う状況など、死を覚悟するより生を覚悟する難しさなど、知らないだろう、お前達は。知る必要などないだろう。知らないことが、幸せなのだから。
「高杉!」
 桂が非難するものの、確かに自分達は知る由もない。歪んだ全てを受け入れるには、自らも歪まねばいけないということも知らない。戦は進んで身を投じるものではないのだから。
 リーダーすまぬ。窺うようにして桂が呼びかけるが、神楽から反応はない。介入させないことが彼らなりに自分達を守る術なのだと、理解できないほど物分りが悪くはなかった。
 おーい!と、どこかに届けるようにして呼ぶ子供の声が聞こえる。すぐ近くのはずなのに、もしかすればスナックお登勢のすぐ横に立っているかもしれないのに、この空間以外の何もかもが酷く遠い。例えばお妙、あるいはさっちゃん、はたまた長谷川。彼らの存在が漂渺なる彼方の先に思えた。
「ッ万事屋は!万事屋銀ちゃんはどうなるんですか?!」
 耐えられずに沈黙を断つように新八が糾弾した。己をごまかすように、慰めるように。どうだ、あなたの名を冠するこの万事屋はどうなる。どうする。
「そこはよ、俺の我儘に応えてくんねーかな?ぜってーに帰って来るから、そしたらこのままの万事屋と、あといちご牛乳で迎えてくれよ」
 いやいちご牛乳ってあんた、そう条件反射で口から滑り出るツッコミに銀時がそう、いちご牛乳と真顔で繰り返し、それからフッと笑いを漏らした。
 ぽんと頭に置かれた手は柔らかくて、わしゃわしゃとかき混ぜるそれはくすぐったい。ふと何気なしに見上げれば見守るような慈しむような、何か手には届かない、触れることさえも憚れる尊く善いものを見るように目を細めていて。相変わらず表情が少ないが、きっと彼は自分達にそれを見せるつもりはないだろうから、たまらなくなり、慌てて下を向いた。
「…生きて、帰れよ。マダオ」
 割れて軋む床の木目を凝視しながら、声を絞り出す。これじゃあまるで今世の別れみたいじゃないか。別れというより、完璧に死亡フラグを立たせてしまったじゃないか。勝手に涙で滲む視界を高杉の煙管の煙のせいにする。紫煙が目に染みる。それだけのことだと。
「あと土産忘れんなヨ、銀ちゃん」
 案外乾いた、普通の声だなと新八が思わず振り返れば、神楽は背を向け窓の外をぼーっと見上げていた。小さく船の飛ぶ空を横切る鴉を目で追っていた。その足元からは長い黄昏の影が伸びている。
 おう、忘れねーよ。あと酢昆布。分かった。百箱。マジで?やっぱり留守の日にち分。…しゃーねーな。じゃあ僕はこれから帰るまでのお通ちゃんのニューシングル全部揃えてください。いやそれ俺あいつらからどう思われるんだよお通だぜお通。新八のは無視していいアル、どうせ新八だし。そうだな、そうするわ。どうせ新八だし。ってオイお前ら!
 そうしていつもの応酬を繰り広げ、まるで酒にでも飲みに行くように彼は出た。
 まっことに、まっことに申し訳ないがで。坂本が階下で頭を下げ、車のアクセルを踏み込んだ。
 真選組の屯所が破壊されたのは一週間後。完敗を喫した真選組がしかし幕府に反旗を立てたのはその三日後である。

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