攘夷志士達の粛正に幕府が本腰を入れたのは、見知らぬ町に流れて半年が経った頃の事だ。
 階下のスナックで昼食を取っていた時、テレビが臨時のニュースを伝えはじめた。「過激派攘夷浪士、捕縛へ」――テロップの後に、終戦後も飽きずに各地でゲリラ的に攘夷活動を行っている浪士達の名前が、時折写真や似顔絵付きで読み上げられる。

「全く嫌な時代になったもんだねぇ。有為転変は世の習い、とは言うが」

 カウンターの向こうで、お登勢が溜め息混じりに呟いた。
 やがて画面に見知った、むしろ嫌になるほど見た顔がふたつ映し出される。隻眼になった男とうざったい長髪の男。どちらも眼光鋭く光らせて、じっと何かを睨み付けていた。
 アナウンサーが二人の男が今まで行ってきた過激な攘夷活動を声高に報じている。大規模なものでも小規模なものでも、裏には必ずどちらかの男が絡んでいると見られると、そう言った。

「ああ、そうだな。変わっちまった」
 

 指名手配された二人の幼馴染みを見て小さく呟いたその声には、呆れと哀しみと少しの羨望が含まれていた。
 変わった。変わってしまった、何もかも。
 銀時は座っていた椅子を回し、開け放っていた扉から空を見た。あの日の垂れ込めた空とは違い青く澄んで、蝉の鳴き声が微かに聞こえてくる。梅雨明けが報じられたのは三日前で、去って行った雨と入れ替わる様に蝉たちが煩く鳴き始めた。
 蝉が鳴いている。七日ばかりの生を謳歌させるため、躰を震わせて鳴いている。





 幕府に仕えるもの以外の、刀剣及び大砲等武器の使用を禁ずる。
 廃刀令の知らせを聞いたのは、時折雪がちらつく冬だった。知らせを持ってきたのは、いち早く天人方と幕府の異変に気付いた桂が付近の村に滞在させていた男だった。男が持ってきた御触れを握り潰したのは確か桂だ。普段冷静沈着だと周りに思われていたせいか、その時の形相には皆驚いた。
 その少し前の戦で左目を負傷していた高杉は、その残った瞳に怒りを漲らせ、拳を震わせながらも耐えていた。激情型の高杉がよく耐えたものだと思う。その時の桂と高杉の姿よりも、溶け残った地面の雪の方を鮮明に覚えている事が笑えてしまう。

 境内に怒号と慟哭が満ちる中、銀時はひとりそこから抜け出し自室に戻った。そして襖を開け、仕舞い込んでいた太刀と風呂敷に包んだ教本を取り出す。若草色の教本は色褪せて、長い年月が過ぎたことを物語っていた。刀を右手に、教本を左手で握りしめてそれらをじっと見つめる銀時の瞳は、凪の海のように穏やかで静かだったが、しかし空虚だった。
 それからどれ位の時間が経ったか、やがて銀時は顔を上げた。大きく開け放っていた障子から見える曇天は雪の気配を告げていた。

「俺達は戦う事を放棄しない。武士として生を受けた以上、敵に背中を向けることは許されん」

 声高に桂が言うのが聞こえた。それに呼応する様に志士達が雄叫びを上げる。興奮しすぎていて銀時の姿が見えないことも気付いていないらしい。

 そうか、お前らはまだ戦うつもりなのか。刀を奪われて幕府から、世界のすべてから拒絶されても戦うのか。取り戻すべきものなど、もう存在しないというのに。
 沢山の仲間が死んだ。俺達が一番取り戻したかった先生も殺された。これ以上戦ってどうする。何の意味がある。何のために戦うんだ。
 ふらりと立ち上がった銀時は鉢巻と白い羽織を脱ぎ捨て、胴を外した。戦装束から普段着に着替えて、裸足のまま草履を突っ掛ける。
 冬の寒い日だった。雪の降りだしそうな空の下、銀時はふらりと静かに、誰にも何も告げず戦地を去った。彼の人が残したものだけを持って、死地へ駈け出そうとする仲間を置いて。




 銀時は未だテレビに映し出されたままの二人の姿を見る。変わってしまった?そうではないだろう。

「変わっちまったのは、俺だけなのかもしれねぇな」

 突然の銀時の言葉に驚いたのか、お登勢は僅かに肩を揺らした。

「何だい急に」
「いーや? 何となくな」

 だってそうだろう。
 桂も高杉も、今も昔と同じ様に幕府と天人相手に戦い続けている。あの日銀時が消えた後も、刀を奪われようと仲間を殺されようと、彼らは戦場に立ち続けたに違いない。やむなく散り散りになってしまった、その最後まで。
 けれども俺は逃げたんだ。失う事を、護り切れず取りこぼしてしまう事を恐れて、あのひとの思い出に縋り付いたまま。

「あいつらは自分の足で進んでんのに、俺はまだ立ち止まったまんまだ」

 その進んでいる方向が、後ろなのか前なのか知りはしないが。
 あの二人と共に攘夷活動を行いたいかと問われれば、銀時は必ずいいやと答えるだろう。しかしそれが本心だとは言い切れまい。今でも戦い続ける二人を羨ましいと思う自分がいる事も事実だった。
 それだから進めないのだ。それだから逃げ出したのだ。

 銀時はカウンターに置いてあったリモコンを取り、テレビの電源を消した。画面に映し出されていた二人の顔が、ぶつんと消える。そしてグラスに残っていた酒を一気に飲み干し、バーさんもう一杯、と差し出した。

「若いもんが昼間から酒なんか飲むもんじゃないよ」
「いいだろが、偶には」

 俺にも休息が必要なんですぅ。言いながら銀時は頭上を指す。仕事の依頼もねーから、いいだろ。アンタだいたいいつも仕事無いだろと言うお登勢の言葉は聞こえない振りをした。
 節約のためか開店していないためか、冷房も入れず扇風機だけの店内は蒸し暑かった。開けていた扉から風が入ってくるが湿り気を帯びた熱風で、かえって不快になるばかりである。ちりちりと鳴る風鈴の音は蝉の声と混ざって消えた。

「あんたが今までどこでどう生きて来たか、私ゃ知らないけどね」

 コトリと銀時の前に酒の注がれたグラスが置かれた。

「少なくとも、あんたは前に進もうとしているんじゃないのかい」

 進みたいから、万事屋なんて店、始めたんじゃないのかい。
 幼子に言い聞かせるような口調だった。その話し方に、そのやさしい瞳にあの人の姿が重なった。
 油蝉の声を、風が青い稲の穂を撫ぜて通るさまを、子供たちの歓声を、あの人の笑顔を、ふいに思い出す。初夏の暑さの所為でこんな事を思い出すのだろうか。思い出さないようにしようと、普段は意識しているのに。
 鼻の奥がつんと痛むその感覚を振り切るために、銀時はグラスに手を伸ばした。
 と言うかね、お登勢が続ける。

「あんたが私の旦那の墓の陰に隠れた時に――いや、あんたが戦場を出た時に、あんたはもうとっくに歩き始めていたんだよ」

 蝉の声が響いている。木などろくに無いだろうこの場所で、七日の生を知ってか知らずか、躰を震わせて鳴いている。
 戦場から飛び出したのは真冬だった。薄い着物と草履、それからあの人の形見だけを持って流れに流れて、やがてこの町に辿り着いたのは遅い雪の降る早春。そしていつしか桜は散り梅雨も明けて初夏になっていた。随分と長い時間が経ってしまったものだ。

「だってあんた、私を護るって言ったじゃないかィ」

 それは、あんたが進んでいるっていう、何よりの証拠だよ。お登勢の声はまるで馴染み深いもののように銀時の耳に入り込んだ。
 桂や高杉や仲間たちが護ろうとしているものにどれ程の価値があるのだ。俺はそんなものの為に戦ってきたわけじゃあ無い。錆びついた矜恃などのために、また大事なものを失って堪るものか。
 かつて俺はそう思ったじゃないか。それなのに何故忘れていたのだろう。冬から春、春から夏へと移り変わる季節の中で探し続けた答えは、問いのはじまりにあった。
 簡単に辿り着いた答えに、銀時は笑いを堪える事が出来なかった。

「何を笑ってるんだい、気持ちの悪い奴だね」
「うるっせえババァ」

 一人で笑い続ける銀時はそこはかとなく不気味だった。お登勢は銀時に冷水を浴びせ椅子から蹴り落とすとともに、そのまま店から追い出した。突然店から転がり出てきた銀時に、周囲からの視線が降り注ぐ。

「ちょ、いってぇなこのクソババァ! もう少し優しく扱いやがれ!!」
「昼間っから酒飲んでぐずぐず言ってる暇があんのならさっさと仕事探しに行ってきな。先月と今月の家賃、きっちり支払ってもらうよ」
「あーもう分かった分かったから! 行ってくりゃいいんだろ」

 今まで何度繰り返したか分からない会話を交わして、お登勢はじゃあね、と扉を閉めた。
 銀時は暖簾の掛かっていない扉を暫く見つめてから、くるりと踵を返す。ぎらぎらと照りつける日差しの所為で、ますます暑さが増した。額から汗が滲んで滴っていく。

「あー、クソ」

 銀時は居心地悪そうにがしがしと頭を掻き、そのまま歩き始めた。仕事の依頼が入るとは思わないけれども、かぶき町を歩き回って、お登勢にどこかの店で何か買って帰る位はすべきだろう。

「年寄りにゃ敵わねェ」

 道を歩いて行けば、よう銀さん!と声をかけてくれる人が大勢いる。町並みも季節も、共に居る人も変わってしまったけれど、それでもいいじゃないか。
 いつか桂にも高杉にも会う事になる。それが俺達の運命だ。その時俺はどうするのかまだ検討も付かないが、これから生きていればそのうち答えは解るのだろう。
 だって俺は変わらない。あの人の教えてくれたことは変わらない。



 じきにもっと空は碧く、雲は大きく育ち、蝉は益々鳴くのだろう。その生を目一杯に震わせて。
 生きるもの全てが輝く夏が、やって来る。


20130716
back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -