人はいつか必ず死ぬ。
 どんな悪人であろうと、どんな善人であろうと、全て等しく平等に。たとえそれが攘夷戦争において武神とまで称され畏怖された、坂田銀時という男であろうとも。


 
 飛び込んだ病室には、沢山の管で繋がれた彼がいた。隣に立つ新八が、ひゅう、と息を吸い込む音がやけにはっきりと聞こえる。開かれた扉の音に振り向いた白衣の医者は、静かに会釈をして病室を出て行った。それがもう彼は終わりなのだと、死んでしまうのだと言っているような気がして、神楽は服の裾を握り締めた。

「ぎん、さん」

 呼びかけた新八の声は震えていた。その声に反応して、億劫そうに首だけ動かして銀時がこちらを見る。彼の唇が、何だよ、と動いた。何度も聞いた、寝起きの銀時の声に似ていた。だがこれは寝起きの声ではない。まるであのときの母のよう。頭のどこかで冷静に考える自分がいて、そんな筈は無いと首を振る。

「神楽ちゃん」

 新八が神楽の手を引き、銀時のもとへ歩く。白いベッドに横たわる銀時は、体中の白い包帯と繋がれた医療器具以外、何も変わってはいなかった。
 彼の紅い死んだ魚のような眼がふたりを交互に見やる。隣の新八は顔を歪ませていた。ならば自分はどんな顔をしているのだろう。目の前にいるこの人が逝ってしまおうとしているのに、涙が流れる気配は微塵も無い。ただ心臓を誰かに鷲掴みされているような、息苦しい感覚だけ。

「ガキは、家で寝る時間だろう、が」

 時計の針は十二の文字をとっくに過ぎていた。ぎんさん。新八がまた彼の名を呼ぶ。テレビドラマでよく聞くような、一定のリズムの機械音が静まり返った病室に響く。誰かがすすり泣く声が病室の外から聞こえた。
 銀時が静かに数回瞬きをする。それは睡魔に逆らおうとしているように見えた。

「悪ィ」

 静かに聞こえた謝罪の言葉は、ふたりの胸を抉る。この人が心から謝罪することなんて殆ど無かった。それこそ銀時が謝ったりしたら世界が引っ繰り返るだろうと、ふたりで話した事もあるほどに。そしていままさに、ふたりの世界は引っ繰り返ろうとしている。この人を、坂田銀時を主軸に置いた、ふたりの小さな世界は。

「すまねぇな」

 銀時の手がゆるゆると挙がり、神楽の頬に触れた。その冷たさにびくりと体が震える。この冷たさを、私は知っている。母が死んでしまう時、私の頬に添えられた手は、彼の手とおなじように冷たかった。
この人はもう、死んでしまうのだ。私達の前から消えてしまう。
 響く機械の音は先程よりも一音一音の間隔が長くなっていた。それとは逆に神楽の(そして新八の)心臓の鼓動は早くなっていく。

「うそつき」

 呟いた自分の声に驚いた。低く冷たい抑揚の無い声。

「ぎんちゃんのうそつき」

 神楽ちゃん。
 新八の静止の声を、聞こえていないふりをした。銀時はその閉じられかけた紅い双眸で神楽を見つめていた。この人は分かっている、私が何を言おうとしているのか。分かっている上で何も言わず、私が声を発するのを待っている。彼のそんなところが自分も新八も嫌いで、(そしてこれ以上なく好きだった)。

「護るって言ってたアル」
「ちょ、神楽ちゃん!」

 分かっていた。今そんな事を言ったって仕方ないこと位。だけど喉の奥から吐き出される言葉は、誰か近しい人の今際の際に話すようなものではなかった。そんな言葉以外、神楽の胸の奥から溢れ出る言葉は無かった。

「銀ちゃん、自分の剣の届く範囲は護るって言ってたアル。まだ護れてないヨ、銀ちゃんはまだ護りきってないネ」

 うそつきうそつきうそつきうそつき。
 何度繰り返しても、銀時は表情を変えなかった。その代わり、彼の手はずっと神楽の頬を撫でていた。鼻の奥がつんと痛む。視界がぼやける。こんな時は倍にして言い返すのがあなたなのに。
 うそつき、と銀時に言った。だけど多分きっと、うそつきなのは自分の方なのだろう。銀時が何も護れていないわけがなかった。彼はいつだって自分の大切なものを、そして他人の大切なものさえも全身全霊をかけて護り抜いていた。だけど彼はいつだってこう言うのだ。俺はまだ何にも護れちゃいねぇよと。

「新八、神楽。すまねぇ、あんがと、な」

 細くてか細くて聞いたことのない、だけども確かに銀時の声だった。銀時のらしくもない言葉を聞いた瞬間、神楽はわっと泣き出した。

「何でそんな事、言うんですか……!」

 絞り出したような新八の声も震えていた。

「嫌アル嫌アル、死んだら許さないヨ銀ちゃん!」

 護れてないなんて嘘ヨ。銀さんは死なない、そうでしょう。泣き喚くふたりを見て、銀時は口の端に笑みを浮かべた。時折、ふとした瞬間に見せる、慈愛に満ちた笑みだった。そして彼はまた、数回瞬きを繰り返す。

「    」
     
 神楽の頬を撫で、新八の右手に触れた彼の手は、静かに空中で弧を描いたあと、そのままぱたりと白いベッドに落ちる。銀時の白くあちこちに跳ねた髪がふわりと揺れた。

「――あ、あっ、ぎん、ぎんちゃんぎんちゃん、ぎん、ちゃん……!」
「銀さ……ッ、う、」

 その最期のとき、彼の唇が動いたように見えたけれど、それは音を発する事もなく虚しさだけを残して消えた。未だ温もりの残る手を、触りなれた手を握る。握って、振って、そして自分達の頬に押し付ける。だけど彼は眠ったままで。暫くしたら何時もの様に、てめーらうるせぇぞと起きてきそうで。起きは、しない。これから先きっと、彼があの果てしなく冷たくて深くて紅くて、そして柔らかな光を携えた眼を開ける事は無い。そう、二度と。

「うぁあぁああ……!!」

 白い男の眠る白く無機質な部屋に、子ども達の嗚咽と高い機械音だけが響いていた。


(きっと彼は呼んだのだ、)
(彼のいちばんに会いたかったかの人の名を)
201207
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