それに気付いたのはいつだったか。
 白髪頭の店主の営む何でも屋の、事務所権住居に居候するようになってから暫く経つ頃だったと思う。夜中に目を覚まし台所へ水を飲みに行った時、神楽は和室から聞こえる微かな音に気付いたのだった。和室では家の主である銀時が眠っている。神楽は特に何も考えず、コップをシンクに置いてそろそろと和室へ向かった。近付くにつれて、それが銀時の声だと分かって神楽はほくそ笑んだ。始めは寝言かと思ったが、どうやら銀時は柄に似合わず魘されているらしい。どんな夢を見ていたのか明日問い詰めてやろうと、わくわくしながら和室の襖をそっと開けた。
 月明りの差し込む薄暗い和室の真ん中に敷いた布団で銀時は眠っていた。掛け布団を握り締め、額には汗が滲み、眉間に皺を寄せて唸っている。その様子が思っていたよりも深刻そうに見え、神楽は慌てて銀時の枕辺に近寄った。

「……銀ちゃん」

 声をかけてみたが銀時の反応は無い。今度は少し語気を強くして銀ちゃんともう一度呼んでみる。僅かに銀時の身体が動いたように見えたが、やはり目を覚まさない。

「銀ちゃん!!」

 神楽は堪らず声を張り上げて銀時の身体を何度も揺すった。これには流石に銀時も目を開けた。

「おわっ!?」

 目の前の神楽に驚いたらしい。目を覚ました一瞬後、銀時は声を上げて跳ね起きた。
 薄闇の中で紅い目がきょときょとと動く。その目が神楽を捉えるとすうっと閉じられ、一瞬の後また開いた。

「……どーした神楽ァ。怖い夢でも見たかァ?」

 ついさっきまで魘されていたくせに、どの口が言うのか。

「怖い夢見てたのは銀ちゃんの方ネ!」

 むっとして強い口調で言うと、銀時はばつが悪そうに頭をかいた。その銀時の首筋を、玉のような汗がつうっと伝っていくのを神楽は見た。梅雨へ向かって少しずつ気温が上がってくる時期とはいえ、まだ汗が伝うほど暑い夜では無く、むしろ過ごしやすい日だった。現に神楽も、湿気のこもる押し入れの戸をぴったりと閉めて今の今まで眠っていたのだ。銀時の汗は魘されたが故であることは明白だった。

「見てねーよ。いい歳して悪夢見て魘されるわけねぇだろ」

 それなのに銀時はそっぽを向き、分かったらもう寝ろ、と掛け布団を整えて睡眠の態勢を取り始めた。神楽はその銀時の態度に少しずつむかむかと腹が立ってきた。あくまで魘されていたことを認めないつもりか。

「嘘アル!」

 咄嗟に伸ばした両手でぎりぎりと布団の端を掴む。もう半ば自棄になっていた。銀時が悪夢を見ていたと認めるまでここを動かない、それほどの勢いだった。

「ちょっ、おま、神楽ァ! 離せコラ、寝られねーだろーが! 二時だぞ二時!」
「神楽様が心配して来てやったというのにその態度は何アルカこの天パ!」
「だァから怖い夢なんざ見てねェっつってんだろ!」

 布団を引っ張りあってぎゃあぎゃあ言い合って、銀時はもう勘弁してくれよ、と大きく息を吐き出した。正直なところ、神楽もなぜ自分がここまで銀時の夢を気にしているのか分からなかった。けれど、額に汗を滲ませ眉を寄せて魘される銀時を起こしたとき、神楽は見てしまった。彼の目は普段の死んだ魚と称される無気力なそれではなく、この世のよくないものを集めて煮詰めたかのようなどろりとした底知れぬ暗さを宿していた。銀時が瞬きをするとすぐに消えてしまったが、あんな目を見てしまっては彼を放っておくことなどできなかった。

「……だって銀ちゃんが、魘されてたから」

 今まで銀時の布団を奪わんと発揮していた夜兎特有の馬鹿力はどこかへ飛んで行ってしまっていた。布団の端を握ったままではあったがその手は力無く落とされ、神楽は頭を垂れた。
 神楽は知っている。夜の一番深いところから、時々よくないものが這い出してきて夢の中で悪さをすることを。雨の止まない遠い故郷に置いてきたものを思い出して、魘されて飛び起きた夜が今まで何度あっただろう。目を覚ました時、たった一人で深い夜を越えなければならないことが怖くて堪らなかった。銀時のあの目は、そんな時の部屋の隅に蹲る一際暗い一角にもよく似ていた。

「かぐら」

 子供をあやすような聞いたこともない声だった。俯いていた顔を上げると、銀時の紅い瞳と目が合った。少し困ったように下げられた眉の下の目は、どうしようもなく優しかった。それを見た神楽の方が泣きたくなってしまったが、悔しいことこの上ないので必死に我慢する。

「お前が心配するようなことは何も無ェから早く寝ろ。明日依頼入ってんだぞ、寝坊したら給料抜きな」
「……給料貰ったこと無いヨ。先月初給料だったはずネ」

 じとりと睨みつけると銀時は「あれやったじゃん。酢昆布」としらばっくれた。
神楽は、きっとこの白髪頭は悪夢を見て魘されたなどと認めやしないのだろうと思った。何でもないような顔をして、こうやってやんわり話を逸らしてしまうのだ。

「分かったヨ。寝るアル」
「おう、さっさと寝ろ」

 神楽が立ち上がると、銀時はぶつぶつと文句を言いながらこちらに背を向けて掛け布団の中に潜り込んだ。神楽は和室から出る直前、振り向いて銀時のふわふわの白髪頭を見つめた。

「おやすみ銀ちゃん。良い夢見ろヨ」

 ぱたんと襖を閉じた神楽の背中に、一呼吸ぶんの沈黙の後「おやすみ」の声がかけられる。

(魘されたって何回でも起こしてやるアル)

 だから今夜は良い夢を。
 神楽は閉じた襖を一瞥して、静かに寝室として使っている部屋へ戻った。開け放たれたままの押し入れと、部屋の真ん中で丸くなって眠っている定春の姿が、窓から差し込む薄い月明かりにぼんやりと照らされていた。新八が万事屋の玄関を開けるまで数時間。夜明けはまだ遠い。
2
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
20170815
titleby 花洩
back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -