星のかけらを飲み込んだ


寝起きから体の怠さを感じてはいたが、マッターホルンはそれらを単なる疲労として捉えて早めに休もうと考えるにとどめた。生来、シルバーアッシュのためならば少々無理をしてしまうきらいのある自分のことだ。疲れがどっときてしまっただけだろうと楽観視を決め込むことにしたのだ。
朝食の仕込みを始める時間帯、厨房にはマッターホルンだけではなくウンとグムの姿もあった。慌ただしく動き回り、スープの味見、肉の焼き加減から野菜の切り方、量に至るまで厨房が戦場の彼らにとっては大事なこと。ほどなくして応援に駆けつけた他のオペレーターたちの力も借りて厨房の忙しさは任務中の比ではなくなる。
粗方の仕込みが終わった後は早めの朝食を取るようにしている。特にグムは空腹が限界になると何でも食べてしまうから要注意だ。彼女に合わせてマッターホルンとウンも早めに取ることが習慣になっていた。
スクランブルエッグと厚めに切ったベーコン、トマトとレタスのサラダ、バターを塗ったトーストを食べた後は朝食を取りに来たオペレーター達で食堂は賑わい出す。
厨房の忙しさはまさしくねこちゃんの手も借りたいほどだ。目の回る日課をこなしながらマッターホルンは体の怠さを押して動き回る。
「おはよう、ウン。フレンチトーストってあるかしら?」
「今作るから待ってて」
「わかったわ」
一番乗りで来たのはオーキッドで機嫌が良さそうにウンの元に歩いてきた。同じ行動予備隊のポプカルも一緒に同じものを注文した。
「モーニングセットもらえるかしら〜?」
「はい」
グラベルが艶やかに微笑みながらいつものモーニングセットを注文する。それに続いてニアール、フェン、ビーグル、クルースもそれぞれに注文し、対応していく。
鍋を両手で掴み隣のコンロに移動させようとした時にぐらりと目眩がして、マッターホルンは一度鍋を元に戻す。これはオペレーター達の朝食、落としてはいけない。
「……っ」
「マッターホルンおじさん、大丈夫!?」
「顔が真っ青じゃないか、早く横にならないと……」
立っていられないほどの目眩にその場にしゃがみ込んでしまうと、ウンとグムが駆け寄ってきて、厨房は騒然となる。
「はい、大丈夫です。少し疲れが出ただけで……」
「体調が悪いなら早めに言わないとダメだよ。俺達で此処は何とかするから、マッターホルンさんは休んで」
「すみません……」
ウンとグムに説得されて休むことになったが、割り当てられた部屋まで戻れるかも不安になる体調になっていた。一度医務室に行っておくべきだろうが、こんな早朝からケルシー医師を起こすのも申し訳なく感じる。
それならばクーリエは起きているだろうか。同郷の男を浮かべて、彼は昨日から主人の手伝いで帰郷しているのだと思い出す。無論、主人の妹達に迷惑をかけるわけにはいかない。壁を伝いながらなんとか歩いて厨房を出ると、一度壁にもたれて息を整えた。
普段ならば考えられない体調に唖然とする。身体が怠く、まともに物を考えることさえ難しい。はふはふと上がった息を整えながら、誰も人が歩いてこないことに感謝した。再び部屋まで戻ろうと歩き出したところに廊下から食堂へ向かってくるヘラグに出会した。
「おはよう、マッターホルン。貴殿が此処にいるのは珍しいな。いつもは厨房にいる時間ではないか?」
「おはようございます、ヘラグさん。今日は少し早めに仕事を終えてきたのです」
「……そうか」
厳格そうな将軍の眼差しに一瞬怯みそうになったが、その眼差しが緩むと春の雪解けのように柔らかな印象になる。食堂へ姿を消したヘラグを見送り、マッターホルンは再び部屋に向けて進み出す。
朝食に向かうオペレーター達の声が近づいてきて、その中に愛しい少女の声が聞こえた気がした。けれど、声をじっくり聞ける集中力もなく、体を前に進めることしか出来なかった。
「ヤーカ!?」
「大丈夫かい、顔が真っ青じゃないか」
駆け寄ってくる足音に顔をあげると心配そうな顔をしたメラエラとどこか楽しそうなラップランドがいて、はっと意識が戻ってくる。
「ティロディア……」
「此処から一番近いのはあたしの部屋ね……。ラップランド一緒にヤーカを部屋に連れて行ってくれる?」
早めに横にさせたほうがいいと判断したのだろう。メラエラはマッターホルンを支えるとラップランドにそう声をかけた。だが、大の男を華奢な少女二人が支えられるわけもなく、その場に来たハイビスカスとガヴィルによって医務室へと運ばれたのだった。

***

夢を見た。まだロドスに来る前、シルバーアッシュ家に悲劇が訪れる前のころ。
熱を出した主人の介抱をするように先代の当主から言われ、心配で胸が張り裂けそうになりながらずっと病床の彼に寄り添っていた。着替えを手伝い、食事をさせ、額のタオルを取り替えた。不眠不休で看病したせいか、主人がすっかり回復した頃に自分が倒れてしまったのだ。
今回もそれに似たものなのだろうか。
運ばれる最中にどうやら眠ってしまったようで、目を覚ますと医務室の無機質な天井が映った。それから天井から吊り下げられている点滴のパックと腕につながる細いチューブ。
「よかった、気が付いたんですね」
「……ミルラさん」
「メラエラさん達が早めに見つけてくれて良かったです……鉱石病に感染してもいませんし、血液検査のデータも炎症反応以外は問題ありません。熱があるだけなので三日ほど休んでいれば良くなりますよ」
ミルラは淡々とそう告げて、その三日間は絶対安静を言い渡してからカーテンの向こうに消えた。何かを話す声が聞こえてから少しして、メラエラが心配し切った顔で顔を見せる。
大きな瞳が涙できらめきを増やしている。
「ヤーカのばかっ!!」
それが第一声なのはレディとしていかがなものかと思うが、今は黙っておくことにした。
「どうしてっ、こんなになるまで……無理したのよぉ……っ、心臓、止まるかと思ったわ……!」
「……悪い、メル」
「悪いじゃ済まないわよっ!ヤーカのばか、あほ……あたしが、どれだけ心配したか、っ〜〜!!」
大粒の涙を流して泣き出したメラエラに手を伸ばすと、すぐにその手を取られて頬に押しつけられる。アーツのせいで冷たい頬は熱で熱った身体に気持ちいい。
「メルの手は冷たくて気持ちいい」
「当たり前よ、熱があるのよ」
擦り寄るように手のひらに顔を押し付けられて、マッターホルンは自分が彼女にどれだけ心配をかけたか知る。メラエラはマッターホルンの額に乗っているタオルを氷水で絞り、たたみなおしてから額に戻した。ひんやりと冷たいタオルは辛さを吸い取ってくれるようでもあった。
「メル、離れないと風邪が……」
「離れないわよ。離れたらまた無理しちゃうでしょ?」
移るから、と言おうとしたところにぴしゃりと返る言葉。自分の思考を見透かしたような言葉にぐうの音も出なかった。
「せめて熱が下がるまでは眠っていて。ミルラも言っていたでしょ?」
こくりと頷いて、おとなしく目を閉じる。眠らないと熱は下がらない。
頬に当てていた手が冷たく小さな手に包まれる。
「大丈夫。目を覚ますまでそばにいるわ」
「ありがとう」
故郷の母と全く同じ言葉を聞いて、安堵する自分がいる。もう心配はいらないのだと思うと心が少し落ち着いた。
厨房にはウンもグムもいる。クーリエが戻れば手伝いに入ってくれるだろう。他にも料理上手なオペレーターは何人もいる。今はゆっくり体を休めるべきだ。
目を閉じて愛しい冷たさを感じながらマッターホルンは眠りに落ちていった。
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