御礼小話 3
〜夏至の空〜
「ここに居たのか」
屋上の給水タンクの裏からひょいっと顔を出した環を見て、溜息をついた。
「あれ? 蔵馬、部活は?」
「もうとっくに終わったよ。今何時だと思っているんだい?」
教室に彼女の荷物の全てがあったことを知っての問いかけだ。彼女は腕を上げて時間を確認しようとするが叶わなかった。腕時計まで机の上に置きっぱなしだったのだから当然だ。
それを思い出したのか、そっかと一人納得した彼女は天を仰いだ。まだ明るい、夏を間近にした空を眺める。茜が差し始めたために少々眩しそうだ。
「夏至の頃は一年で一番昼が長いからね………………ついうっかりしちゃった」
「うっかりって、何をしてたの?」
おそらく放課後の掃除当番を終えてから、ふらりと立ち寄ったのだろう。そのままこんな時間まで一人で何をしていたのか。咎めるつもりはなく、純粋な興味から尋ねた。
「んー特になーんにも。ただこの季節の風はすごく気持ちがいいから、つい……ね」
彼女は目を細めてどこか遠くを見ている。吹かれる風に身を任せて、心をどこかに飛ばしているように見えた。
「……さぁ、そろそろ帰ろうか」
「うん」
声をかけるとこちらを向いた。笑顔で頷く。根を張る植物を操る蔵馬と違い、風のように、時々どこか曖昧になる彼女を繋ぎ止めるように声をかける。
「一緒に帰ろう」
今の自分たちが帰る場所に。
〜暑い日〜
今日は暑かった。ギラギラと輝く太陽に文句を言いたくなるくらい暑くて堪らなかった。
「暑いな……」
流石に我慢ならなかった蔵馬が流れる汗を拭いながら言った。小さな不満を耳ざとく聞きつけた環はポーチを手に取った。
「ね、それじゃあ髪を上げようよ。私やってもいい?」
携帯用の櫛を取り出しながら笑顔で提案する。もし彼女の手にあったのが、可愛らしい細工の飾りが付いたものだったなら、蔵馬は断固拒否しただろう。しかし用されたモノは地味な色合いの何の飾り気のない普通の髪ゴムだった。蔵馬は了承した。暑さのあまり髪が鬱陶しく思っていたのは事実だ。
彼女は手鏡も用意していたが、出来てからのお楽しみだと言って決して見せようとはしなかった。前を向いて。ハイこれでも読んでて、と文庫本を差し出された。用意が良すぎる気もしたが、大人しく彼女の指示に従った。
環はワクワクといった面持ちで彼の髪を取った。いつもはこのままでいいとあまり触らせてくれないのだ。ずっと伺っていたチャンスを得た彼女は、実に楽しそうに彼の髪に櫛を入れた。
しばし時間が過ぎーー。
本を半分ほど読み終えた蔵馬は顔を上げた。昼休み終了まであと5分を切っている。そろそろ切り上げなければと彼女に声を掛けようとして……ふと向けられた視線を感じた。本に意識を向けていたので気付かなかったが、クラスメイトの大半がこちらを見ている。いつもならガヤガヤと騒ぎながら、それぞれの休憩時間を過ごしているというのに。
「もう出来たかい?」
嫌な予感を感じながら確認を取る。「あと少しだから動かないで」と、非常に真剣な声が返ってきた。しばらくして。
「出来たー!!!!」
声と同時に振り返れば、彼女は遣り切った! と非常に満足気で輝かんばかりの笑顔だ。そしてなぜかクラスメイトから拍手が起こった。
蔵馬は急いで手鏡をもぎ取った。