狩人さん、こんにちは 1
環は混乱していた。
何度も記憶を確認してみても、どうしてこのような事態になっているのか糸口すら掴めない。
試しに通行人に話しかけてみた。会話は通じた。
しかし、彼女の周りに溢れかえっている看板や広告等の文字はさっぱり理解できなかった。見たことすらない言語。
皆、日本語で話しているようなのに、表記される文字は全くの別物だ。
「……ここ、どこ?」
混乱は増すばかりだ。
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そもそも。
彼女の混乱に拍車を掛けていたのは、何となく見覚えがある風景だからだ。しかも割と最近の記憶である。
写真でも見たのだろうか? ちらちらと高校の教室の風景が重なって見えるのはなぜだろう。教室で見た写真? 地理の授業か何かで?
「お嬢さん、注文が決まったらさっさとオーダーしてくれねぇか」
考え込んでいた環に店主から声が掛かった。お腹が減った事もあって、近くの定食屋に入ったのだが、オーダーで悩んでいたように見えたのだろう。
店主がイラついているのは、あまり座席数が多くない店で長居をされては堪らないと思っているからか。
手元のメニューを見た。やっぱり分からない。
「ステーキ定食」
隣から上がった声に、環はこれ幸いと自分も倣う事にした。
「私もソレでお願いします」
二人の注文を受けて店主はクワッと目を見開いた。ドスの聞いた声で、「焼き方は?」と聞いてくる。
店主の様子に余程こだわりのあるステーキを出すのだろうかと思いながら、環はミディアムか、ウェルのどちらにしようかと悩んだ。
悩む環を余所に、となりの客は「弱火でじっくり」と即答した。その言葉に、よく焼けた美味しそうなステーキ肉を思い浮かべた環は、自分もウェルにしようと決めた。
「私もウェルで」
と返答するも、店主はもう一度「焼き方は?」と確認をしてくる。店主の様子を不思議に思いながらも「弱火でじっくりお願いします」と答えると、店主はフッと口角を上げた。
店主ご自慢のステーキの調理方法を拝見させて貰おうかと、環はワクワクした面持ちで、店主を眺めていた。しかし、彼は環と先程一緒にステーキ定食を注文した客に部屋を変わるように言う。
もしかして門外不出のレシピだから見せられないのか? などと店主の指示の理由に首を傾げながらも、言われたとおりに部屋を移った。
まつことしばし。
驚くほど分厚いステーキ肉が運ばれてきた。一口頬張ると、噛む度に肉汁が染み出してくる。肉の味もそうだが店主の仕事も素晴らしい。筋や繊維にきちんと切り目を入れてある。絶妙の焼き加減の上、加熱による肉の縮みを防ぎ、やわらかく仕上げられていた。
「うわー美味しい。幸せー……」
余程環が美味しそうに食べて居たからだろう。目の前の男が「良かったね」と話しかけてきた。
話しかけられた事で自分以外の客を思い出した環は顔を赤くして俯いた。「すみません、私ばかり」と言いながら、男が料理に全く手を付けていないのに気がついた。
気になったので「貴方は食べないんですか?」と聞くと、男は「腹ごしらえは済ませてきた」と答えた。
定食屋に入る前に腹ごしらえ? ちんぷんかんぷんな事を言われて不思議に思ったが、突然ガタンと部屋が動き出した。
まず疑ったのは地震だ。
手に持っていたナイフとフォークを放り出して、机の下に潜った。だが、大きく揺れたのは最初だけで、あとはゆっくりと。
「降りてる……?」
風を使って辺りを把握してみたところ、どうやら深い地下に潜っている。今いる部屋は大きなエレベーターだったようだ。
はじめこそ驚いたものの、目的地が遠いためか時間を持て余すようになった。さすがにもう食べようという気にはならなかった。
先程から環の脳裏を刺激する場面がチラホラと彼女を訴えてくるようになった。正直、信じたくない。
だけど、と彼女は全く動じずに椅子に腰掛けたままの男を見た。一見しただけで、かなりの変わり者と分かる男だ。
「あの、私の名前は環と言います。貴方のお名前を伺ってもいいですか?」
時間もある事ですし。と控えめに聞いてみたところ、男は少し時間を空けたあと「ギタラクル」と簡潔に答えて口を噤んだ。よろしくするつもりは無いらしい。
顔や身体に針らしきものが沢山突き刺さっている。見ただけで痛々しい風貌の男だ。
チン、と音が鳴って扉が開かれた。目的地に着いた事で、男はさっさと行ってしまった。
環もおそるおそる扉から顔を出すと、彼女に気づいた豆のような顔をした小さな男が笑顔で寄ってきた。丸いプレートを手渡される。302と番号が振ってあった。
「ハンター試験にようこそ!」
環は頭を抱えて蹲った。