君そら | ナノ
189 緑色の目をした怪物


 蔵馬が教室に着くと、既に海藤がいた。
「おはよう」
「おはよ」
 彼もこちらに気づいたようだ。挨拶をすると、そっけないながらも返事を返した。
「昨日は大変だったな。大丈夫か?」
 一晩中神経を磨り減らす計画を実行した上、自身の能力とはいえ、魂を抜かれたのだ。聞き様によっては嫌味ともとれるが、海藤も海峡トンネルの深刻さを理解した上で昨日の芝居に参加していたので、素直に頷いた。
「これくらい何ともないさ。それより、三上さんは?」
 いつも一緒なのに珍しいね、と相変わらずの無表情で問われた蔵馬は苦笑した。
「いつも一緒というワケじゃないさ。彼女は体調を崩してね、今日はお休み」
「ふーん?」
 特にそんな素振りは見せなかったけどな、と言う海藤に、
「彼女とはいつから?」
 引いてはいつから計画を練っていたのかを聞いた。
「修学旅行の少し前からだね。一応、彼女は恩人ということになるのかな」
 それまでは話をした事も無い二人であったが、海藤曰く、学校の空き教室で自身の能力を試した際、間抜けにも魂を抜かれて倒れている所を救われた――正しくは幻海の元へ連れて行かれた――との事だ。
「幻海師範の所で色々聞いてね。三上さんの能力でオレの居場所を知れたとか、君たちが暗黒武術会で優勝したということもね」
「そうか」
「それまでは、さ……」
「?」
 口ごもった海藤に、どうしたのかと聞いた。
「なぜ君が彼女を気にかけるか分からなかったけど、少し分かった気がするよ」
「海藤……」
 低い、威嚇するような声を出す蔵馬に、
「そんな気ないから安心しなよ。南野って案外馬鹿だったんだね」
「…………」
 海藤は少し口角を上げた。


++++


「君って、真面目にテストを受けてないでしょ」
 幽助誘拐についての打ち合わせをした時の事だ。環から作戦を聞かされた海藤は、彼女にそう尋ねた。本当なら聞くべき事柄はもっと他にもあった。例えば彼女の正体がその筆頭だろうか。
 どうやら、彼女は妖怪――正確には半妖と名乗っていた――らしい。
 妖怪の身でありながら、なぜ人間に紛れて生活を送っているのか。これまでは問題は無かったが、これからもそうとは限らない。ある日突然、パックリと食べられない保障など何処にもないのだ。
 随分と偏見のある見方だが、未知の生物は、やはり驚異なのだ。
 そもそも『妖怪』だ。その存在がフィクションであることは、高校生の海藤はもちろん、小学生の子供でも知っている常識だった。
 そもそも妖怪とは、存在を指す言葉ではなく、概念を指す言葉である。
 民俗学、引いては妖怪学の先駆者である柳田翁は、著作の中でこう述べている。
 人が持っている畏怖感というもの、これは恐怖の感情である。この畏怖感の最も原始的な形はどんなものだったか。恐怖や畏怖の感情が基本にあって、それが説明出来ない不思議な現象を前に、様々な変化を経てゆき、結果、お化け――妖怪を生み出すようになったのだ、と。
 例えば家鳴りという現象がある。温度や湿度等の変動が原因で、家が軋むような音を発しているのだが、音の鳴る仕組みが理解されていなかった時代は、これを引き起こす妖怪がいるとされた。
 家鳴(やなり)という妖怪だ。いたずらをして家を揺すって家鳴を起こしているとされ、鳥山石燕の画図百鬼夜行では、小さな鬼のような姿として描かれている。
 つまり妖怪とは、畏怖に形を与えて吐き出された固定概念であり、言ってみれば『不思議』を解決する為に用意された『システム』と言える――筈だった。
 これまで――親しくは無かったが――クラスメイトとして毎日共に過ごしてきた者が、実は妖怪でした、などと。フィクションではなく、実在するのだと明かされた時は驚いたの一言では済まされなかった。果ては霊界だの、魔界だの。信じられないことばかりだ。
「この子も妖怪だよ」
 幻海の家に居候していた、見た目は人間となんら変わらない少女――雪菜もそうだと紹介された。
 混乱は増すばかりだったが、認めざるを得なかった。
 これまで粛々と『まとも』な生活を送ってきた海藤が『まともでない』事柄を受け入れるしかなかったのは――これが一番信じられない事であるが――自分が超能力者になってしまったからだ。
 超能力も通常は有り得ないとされる力であり――例えばユリ・ゲラーを代表するように――インチキとレッテルを貼られる場合も多々ある類のものだ。言ってしまえば『まとも』でないモノ。それが自身の身に宿ってしまった。
 実体験まで否定することは、自己を否定することに繋がる。観念した海藤は、自己を否定するよりも、これまで信じてきた『常識』を否定する方を選んだ。そして改めて目を開く。すると、これまで自分が見てきた世界は、実はその半分も理解できてなかったのだと気がづいた。
 だが、と一番に思ったことは、見聞きした新しい世界を元に何か話を書けないだろうかという事だ。それは天才若手文筆家と言われる海藤の性分のようなものだ。いくら新しい世界を知ったからと言って、本質や性分、染み付いたモノまでは変わらないし、簡単には脱却できはしない。
 だからこれも染み付いた――いや、これまで疑うことなく持ち続けた、与えられた価値観に基づく問いかけだと海藤は気づいていた。ソレに自分が拘泥していることも。
「どうしてそう思うの?」
 環は不思議そうにパチパチと目を瞬かせた。彼女からしたら突飛な発言だ。作戦を伝えて、何か質問はないか、と問いかけた際に出たモノだからだ。
 それでも海藤にとってはずっと不思議に思っていた。どうして南野は、いくら幼馴染とはいえ、飛び抜けて美人でも、成績がいい訳でもない、冴えない普通の彼女を気にかけるのか、と。
 しかし――。
「君の立案した作戦や段取りを聞いていると、とても成績順位が50オーバーだとは思えないから」
 盟王高校には、試験の上位者50名を一覧にして張り出すという風習があった。海藤が指しているのはソレだ。いつも確認していたのは自分と、自分より上の者――つまりは、確認していたのは自分と南野秀一のみであったのだが、彼女と少し面識が出来たことで、今回の中間テストで張り出された一覧に隈なく目を通してみた。が、彼女の名前を見つける事は出来なかった。
 だから海藤の彼女に対する評価は、例え妖怪だと聞かされたところで、根本的にはあまり――自分の生命の脅威さえなければ――変わらないつもりだった。
 しかし、今回の作戦を聞かされた海藤は、改める必要があると感じた。能力者である三人――海藤、城戸、柳沢の能力は、特殊とはいえるが、戦いには不向きなものばかりだ。にも関わらず、場と状況を整えて能力を活かしたばかりか、相手の出方を考慮して5つもパターンを用意してみせたのだ。
 ひとえに相手をよく知った――仲間だからこそ出来た作戦なのだろうが、海藤は密かに、彼女の綿密な計画に舌を巻いた。
 当の本人は苦笑して首を振った。
「それは買いかぶり過ぎだよ。勉強が出来ないからって作戦立案が出来ないわけじゃないし……それに、今回の作戦はカンニングみたいなものだからね」
「カンニング?」
「似たようなシュチュエーションの作戦を本で読んだことがあるんだ。海藤君もそうみたいだけど、私もよく本を読むから」
「ふーん、じゃあそういう事にしておいてあげる。安心しなよ、作戦に手を抜くつもりはないから」
「頑張ってね。私は特等席で観戦させて貰うから」
「よく笑っていられるね。自分の彼氏が負けて魂を取られるかもしれないんだぜ?」
「大丈夫だよ」

「そう言って彼女は笑っていたよ。その時は、この誘拐劇はあくまでもフリだから平気だって意味かと思ったんだけど、南野が勝つって言っていたんだな」
「…………」
 ――嫉妬に御用心なさいまし。嫉妬は緑色の目をした怪物で、人の心を餌食にしてもてあそびます。
 ふいにそんな言葉が浮かんだ。シェークスピアのオセロだ。目の前に、拘っているつもりはなかったが、随分と拘っていた相手がいる。しかし、昨日の勝負でどうやら怪物を退治できたらしい。スッキリとしたいい気分だ。きっとこの顔も一役買っているのだろう。
 南野秀一も妖怪だと聞き、実際にその能力を目にしたが、海藤は声を上げて笑いたくなった。
「顔が赤いぜ?」
「……うるさい」
 昨日見た、ナイフのような鋭い面影はない。年相応の少年に見えた。
「君も結構、苦労してそうだな」
 だからだろうか。何となく、そんな言葉が出てきた。

 ――恋ってのは、それはもう、ため息と涙でできたものですよ。
シェイクスピア『お気に召すまま』

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