企画 | ナノ
落ち込んだりもしたけれど、私は元気です


 平安貴族の朝は早い。御所の門が開き、開諸門鼓(かいしょもんこ)が鳴り響く午前三時には起床して朝の支度をはじめる。とはいっても、御所へ出勤するのは七時ほどだ。
 何を丹念に行っているかというと、生活の一部に組み込まれた祈祷や占いだ。
 朝起きて、まず、自分が属するとされる星の名前を唱える(北斗七星の祈祷)ことからスタートし、歯磨きや鏡のチェックを終えると、今度は西に向かって仏に祈る。その後は暦を確認して吉兆を判断し、その結果が良くなければ、外出を取りやめ、人に会うことすらしない。当然、勤務も休むことになるのだが、占いによって全てが決められていた時代であるから、何のお咎めもない。
 と、いうのが一般的な貴族の朝なのだが、安倍家では違う。
 安倍家は陰陽師を生業としている家である。より念入りに行っていると思われがちだが、実はアッサリしたものだ。せいぜい、暦を確認できる時間に起き出すくらいで、一般貴族にくらべると非常にのんびりしている。馬鹿みたいに時間をかけて気休めを行うくらいなら、しっかり睡眠を取った方が身体にいい。という、屋主である安倍晴明の考えから、家の者も総じてそのようにしている。
 しかし、それは環には当てはまらない。開諸門鼓が鳴り響く時間は流石に寝ているが、半刻もすれば起きだして、朝食の支度をはじめなければ間に合わないのだ。電気もガスも水道もない時代であるから、全てを人の手で行わなければならず、時間もかかる。
 今日も今日とて、夜も明けきらぬ内から忙しく走り回っていた。
 安倍家は一応貴族の家柄であるが、一応程度であるので、女房や雑色といった下仕えの者がいない。家事の一切は、晴明の息子・吉昌(よしまさ)の妻である露木(つゆき)が担っていた。であるから、当然、居候の環と、同じく居候の彰子もその手伝いに勤しんでいるのだ。
「そろそろ朝餉が出来上がりますので、声をかけてきてくれますか?」
 と、露木が言うので、環と彰子はそろって返事をした。それが綺麗に重なったので、二人は顔を見合わせてクスリと笑い合った。露木が目を細めて「やはり女の子は華があっていいですね」という。彼女は三人の子供の母親であるが、三人とも息子だったから、少なからず憧れがあったのかもしれない。


++++


 昌浩や吉昌といった出勤組を送り出してから、環は庭の掃除をしていた。季節は夏であるから、散った落ち葉を掃く、ではなく、主に雑草の手入れだ。最近はちょっと目を離すとあっという間に伸びてくる雑草たちと日々戦っていたりする。
 額に汗しながら作業に没頭していると、彰子が声を掛けてきた。
 一足先に自分の仕事を終えた彼女は、終わったら自分の部屋に来てもらえないかという。首をかしげながら了解の意を伝えると、
「用意しておくわね」
 と、嬉しそうに自室へ向かっていった。
 ちなみに、以前、彼女の護衛という仕事を貰った環であるが、四六時中一緒にいるわけではない。屋敷には晴明の結界がある。外に出るときだけ一緒について行くという、実に簡単な仕事だった。だからではないが、家事を含め、自分ができる仕事は積極的に請け負うことにしていた。
「わっ!……イタタタ」
 根が深いのか、中々抜けてくれない雑草を一生懸命ひっぱっていると、ドシンと尻餅を付いた。植物使いだったら簡単に抜けたのかな、そもそも雑草の手入れなんて必要ないかもしれない、という考えがよぎった。だからだろうか、久しぶりに銀髪の幼馴染の後ろ姿が浮かんだ。彼も、生きいてくれてたら。環は無意識の内に、祈るように泥で汚れた両手を合わせていた。

 手足を洗い流して彰子の部屋を訪ねると、立派な和琴が部屋の中央に鎮座していた。弦の数は6本。琴の竜頭から竜尾まで入った木目がとても美しく、磨き上げられ、ピカピカと艶を放っていた。
 その美しさに環は見惚れた。
「すごく綺麗ね。私、琴を見たの初めて。でもこれ、どうしたの?」
 全長はおよそ2mもある。こんな大きなものが部屋にあったら、今まで気づかないはずがない。かつ、琴は高価だ。そんな意味も含めて環が訊ねると、はじめはニコニコと微笑んでいた彰子はそっと目を伏せて、
「頂いたの」
 と、それだけ言った。
 彰子は一条天皇の后となるはずだった藤原道長の娘だ。身に穢れを受けて安倍家で厄介になることになったが、その存在は公にはされていない。一条天皇の后となった彰子の異母妹が『本物の彰子』となったからだ。きっとこの琴は、二度と会うことが叶わない父親から贈られたのだ。と目星がついたが、口に出すことも駄目なのだろう。
 彼女は嬉しさと寂しさがないまぜになった目をしていた。
「彰ちゃんはすごく上手だって、まー君が言ってたよ。私も聞いてみたいな。あ、もしかして、以前、聞いてみたいって言ったの覚えててくれた?」
 用意しておくってそういう意味だったの? と環が訊ねると、彰子は「うん」と言ったあと、少し顔を赤くして「昌浩になんて聞いたの?」と問うてくる。
 彼女の興味の一切をさらっていくとは、さすがはまー君だ。環は笑った。
「天女様の調べみたいだったって」
 実際は「すごい!」「すごかった!」を連発していただけなのだが、少し脚色をつけて伝えると、彰子は一層顔を赤くした。


++++


 部屋を抜け出して屋根で月見をしていると、もっくんが上がってきた。ピンと立った白いしっぽが風を受けてそよそよと揺れた。夏とはいえ、肌寒さを感じた環が腕をこすると、もっくんがすぐ隣でちょこんと腰を下ろした。
 環が抱きかかえて膝の上に乗せると、もっくんは眉をしかめた。が、暴れないところをみると、大人しくカイロになってくれるようだ。
「眠れないのか?」
 ひょいと環を見上げた紅い目には、黒髪黒目の子供の姿が映っている。
「うん。一度は横になったんだけど、目が冴えちゃって」
「彰子はもう寝たんだろ?」
「まー君が帰って来たのを見届けてからね」
「健気だよなぁ」
「本当だよね」
 昌浩は自身の修行と都の警護を兼ねて、毎晩、もっくんと一緒に夜警に出かけてゆく。戻ってくるのは専ら日が変わってからだ。とてもじゃないが一般貴族のように午前三時に起きて、祈祷やら占いやらをしている暇はない。しっかり寝ろという安倍家のルールは、祖父・晴明の分かりにくい愛情でもあった。
 彰子は先に寝ているように昌浩に言われているのだが、それでも心配で、彼が帰ってくるまで起きているのだ。彼女に付き合って環も一緒に過ごしている。二人は友達という関係であるものの、環の外見は10歳にも満たないので、13歳の彰子は年長風を吹かせて心配してくれる。だが、環の方が彼女を妹のように思っていたりするのだ。
「私も一緒に付いていけば、彰ちゃんは安心するのかなぁ?」
 一応、妖怪だし。彰ちゃん程じゃないけど、私もまー君が心配なんだよね。と環が言うと、もっくんは嘆息した。
「俺が付いているから万が一もない。それに、……使えるようになったのか?」
「まだ……でも、あとちょっと、だと思う」
 環は炎を操る妖狐だった。が、とある事件をキッカケに、一切の力が使えなくなっていた。一時は炎を見るだけで身がすくみ、恐怖を覚えたものだが、今では自分以外の炎――食事の支度を行う際に接するかまどの火などは平気になった。
「ねぇ、もっくんも、炎を操るんだよね?」
「それがどうした?」
「時間があるときでいいから、修行、付けて貰えない?」
「…………おまえなぁ」
 迷惑だったか、と落ち込む環の頭をもっくんは短い前足でペシペシと叩いた。
「もう少し肩の力を抜け。頑張ることはいいことだが、倒れるまで頑張ったって誰も褒めてくれないぞ?」
 そもそも、彰子の護衛の件も、安倍家で保護されることを――何の見返りもなく好意を貰うことを彼女が無意識に恐れていたからであった。本来の護衛役は晴明の式神である朱雀と天一で、彼らは今でも陰ながら彰子を守っている。つまり、環がゆっくり休めるための名目を与えただけだ。であるのに、環は休むどころか四六時中動き回っている。彰子のよい友人となったのはいいが、ガリガリだった身体にようやく少し肉が付いてきたというのに、この調子だとすぐに元通りだ。
「そんなに頑張ってないよ?」
 それなのに、本人は平然とこんなことをいうものだから、もっくんはどうしたものかと考えた。
「それじゃあ、もう少し肉付きが良くなって、髪も元通り伸びたら、少しだけみてやるよ」
 環が死の淵までボロボロになった際に傷めた髪は、バッサリ切って、今は肩にも届かないくらいだ。晴明ではないが、しっかり寝ろ。ついでにしっかり食べろともっくんは言っている。
 それは分かるのだが、環は複雑な顔をした。
「女の子に太れって、もっくん、ひどい」
「そーゆー問題じゃない!」
「うん、分かってる。心配してくれているんだよね。もっくんは優しいね」
「頭を撫でるな。今はこんな成りだが、俺はお前よりもうんと年上だ!」
 それに俺は優しくない! と言い張るもっくんに構わず環は彼の小さな頭を撫で続けた。
「でも、見た目って大きいよ。私、彰ちゃんとまー君に年下だと思われているんだよ?」
「違うのか? いくつだ?」
「18歳」
「俺からしたら大して変わらん」
「そう言われると、もっくんの本性が気になるなぁ。いつ見せてくれるの?」
「いつかな」
「じゃあ、頑張って太ったら、見せてくれる?」
「…………頑張らなくていいから、程ほどにな」
 やっぱりもっくんは優しいね。と笑って見上げた月は、魔界で見上げた月とよく似ていたが、どこか違って見えた。それがひどく寂しい。環は腕の中のもっくんをギュッと抱きしめた。
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