【幽遊白書】 終わりの日、始まりの日 | ナノ
4.能書きは白紙のまま


 山の向こうに夕陽が沈んでゆく。血のように紅い夕陽が。
 秀一は、昨日も登った裏山に来ていた。楠の太い枝に腰を降ろして、ボンヤリと夕陽を眺めている。
 カサカサ。
 カサカサ。
 風が吹き、葉擦れの心地よい音が耳に届く。
 今日は妖怪に襲われたからここに来たのではない。仮病を使って塾をサボったのはいいが、まっすぐ家に帰る気になれなかったのだ。
 ここは秀一が気を抜ける数少ない場所だ。滅多に人が訪れないばかりか、自然が色濃く残っている。古くは戦場や処刑場だった為か、開発事業が計画されるたびに関係者に事故が起こり、ことごとく見送られてきた曰くつきの場所でもある。
 隠れた自殺の名所でもあった。
 特に秀一が登っている楠の大木は、首吊りの木として有名で、擦り切れた縄やロープがいくつもぶら下がっているし、傍にある古井戸からは、禍々しい瘴気が立ち上っていた。始末した妖怪をあの井戸に捨てていたお陰もあるのだろう。ここは、人間界とは思えないほど陰の気が満ちていた。妖化しつつある身が、心地いいと感じるほどに。
 カサカサ。
 カサカサ。
 この山に住まう化生が、ひょこり、ひょこりと顔を出した。また野次馬だろうと相手にしなかったが、おずおずと近づいてきて、熱っぽい眼差しで、熱心に語りかけてくる。
 秀一は無言を貫いたまま沈む夕陽を眺めていた。
「……二度と姿を見せるな、と言ったつもりだが」
 いつの間にか、楠の根元にちょこんとタマゴが――いや、ホウコウがいた。コイツもこの山の化生だろうか。
「ホッホッホ。覚えていてくれたとは嬉しいですぞ。えぇ、えぇ。ワタクシ、カハクと申します」
「……昨日はホウコウと名乗っていなかったか?」
「今日はカハクの気分なのです。それより坊ちゃん、返事を返してやらないのですか? こんなにも慕われているというのに。この町のモノたちはみな、あなたに感謝し、役に立ちたいと申しておりますぞ?」
「感謝? なぜだ?」
「それはもちろん、あなたが彼らを守っているからです」
「…………覚えがないんだが」
 たっぷりと間を置いた秀一が口にした疑問に、カハク、もといホウコウは、分かっている、と言わんばかりにウンウンと頷いた。
「えぇ、えぇ。本当に坊ちゃんはくーるでいらっしゃる。ご自身の手柄を誇るでもなく、ただただ町を守るために東奔西走されるとは。まさにヌシの鑑でございますな! 実はワタクシ、昨夜の坊ちゃんのご活躍を間近で拝見しておりました。危険な他所者をいち早く察知した坊ちゃんは、なんと我が身を餌に引き付け、一刀の元に始末してしまわれた! えぇ、えぇ、お見事でございました、お見事でございましたぞ!」
 いたく感激したように熱弁を振るう。
 秀一は頭痛を覚えて頭に手をやった。まさかこれまでの自衛の数々がヌシに祭り上げられる要因を作っていたとは。まるで正義のヒーローではないか。
「オレは、そんな大層なヤツじゃない」
 陽が沈む。世界が紅く染まってゆく。山も秀一も、満遍なく染められて、頭から足先まで真っ赤だ。
「なんと謙虚でいらっしゃる。坊ちゃんほど寛容でお強く、心優しいヌシがおりましょうや! そうそう、あの時助けた娘も」
 真っ赤な――血で染められたかのような色。かつての自分もよく、全身をこの色で染めていた。
「ちがう」
 ――大丈夫?
 傷を負った志保利が、記憶の中でぎこちなく微笑んでいる。
 ――ケガしなかったわね?
「オレは強くない。強くなんか……ないんだ」
 沈黙した秀一に、暫く考え込んだホウコウは、お尋ねしたいことが、と口を開いた。
「クラマという妖怪に、心当たりはありませんかな?」
 秀一の身体が強ばった。
「ヤツの通ったあとは一粒の命すら残らないという、強欲な狐のアヤカシです」
「なぜ……、オレに聞く?」
 手中の種に力を込める。
「坊ちゃんと同じ、植物を操る者だと聞いたからです」
「聞いた?」
「えぇ、えぇ。ずっと探している者がおりましてなぁ。十年ほど前に消息を絶って以来、行方知れずということですが」
 ホウコウの隣に降り立った秀一は、彼の言葉を遮って胸倉を掴んだ。
「探しているのは、誰だ?」
 この姿になって十年、誰にも教えなかった名だ。そもそも、元・妖怪としての正体すらずっと隠してきた。
 探しているのは、誰だ?
「クラマはかなりあくどい妖怪だったようで、彼に恨みを持つ者が少なくなかったとか……」
 ホウコウが、スっと目を細めた。
「つまり、ヤツに恨みを持った相手だと?」
 確認しなくても、他に選択肢などない。
 ヤツは――オレは、ずっと独りだった。
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