たなごころ
昔はいつも、私が彼の頭を撫でていた。
もう過去の話だ。
彼は霊界探偵だった。
とても綺麗な魂を持った人。霊力も高くて、とてもとても強い人だった。
だけど、心はとても繊細で。
あるとき、細い細いヒビがが入った。細くてもそのヒビは、あっと言う間にパリパリと音を立てて全てを飲み込んでしまった。
やがて、もう一度再構築されたソレは。
「久し振りね。貴方はミノル君で良かったかしら? 忍君に変わってくれない?」
「あぁ、久し振りだ。そうだな………………一応聞いてみたが、生憎と君に会いたくないらしい。霊界からの使いならオレが受けるよ。今頃になって何の用だ?」
「霊界は関係ないの。私が会いたかっただけよ」
「へぇ……意外と案内人は暇なのか?」
実際にはそうではない。前倒しとやり繰りを頑張ったお陰で勝ち得た休みを利用した。
突然連絡を絶った彼を捜して、探して、ようやく会えたのに――。
彼は、私を拒むようになってしまったようだ。
その事実が悲しくて、ただ首を振った。
本当に会いたかっただけなのだ、と。
――五年前。
コエンマ様自ら霊界探偵に指名した彼――仙水 忍は、ある任務を境に唐突に姿を消した。私は彼が姿を消すまで、コエンマ様と彼との連絡係だった。
私は彼が霊界探偵を勤めた少し前からの付き合いだった。少しだけ、コエンマ様よりも長い。当時は、ソレが少しだけ自慢だった。
仕事に関係なく、仲は良かったと思う。私は彼をまるで実の弟のように扱った。とてもとても可愛い子で、私は出来る限り彼を甘やかしていた。
彼も私を姉のように慕ってくれていた。
想いを返してくれるのが嬉しくて。
まだ少年だった彼に、過酷な任務を伝えるのが苦しくて。
無事に任務を終えた後は、いつも労いの意味も込めて、彼の頭を撫でていた。
まだ少年だった彼の頭を撫でていた記憶も、手に残る感触も、こんなに鮮明に思い出せるというのに――。
「暫く見ない間に、随分大きくなったわね……。ねぇ、ミノル君。頭を撫でさせて貰ってもいいかしら?」
すっかり大人に成った男性に頭を撫でさせてくれなどと、とても失礼な事だろう。だが、ミノル君は仰々しく肩をすくませてみただけで、私の手を拒むことは無かった。
左手で着物の袖を抑え、そっと右手を伸ばす。
下ろしている彼の長い前髪を彼の耳に掛けて、見た目によらず柔らかな彼の猫毛の感触に、あの頃の記憶とダブらせながら彼の頭を撫でる。
ああ、本当に大きくなって。
下げていた視線を段々と上げるようになり、ついには、こんなに見上げなくてはならなくなるだなんて。
思わず目尻に涙が浮かんだ私の腕を、急に彼が掴んだ。
「ミノル君……?」
突然どうしたというのだろう。彼も目を瞑って、静かに受け入れてくれていたというのに。
「もう、やめてくれ」
再び目を開けた彼の瞳を覗き込んで、私は目を見開く。そこには五年前と変わらない、純粋でキラキラした――。
「貴方……忍君、なの?」
動揺を押し止めて彼に問うて見るも、彼から帰ってきたのは肯定でも否定でもなく。
「アンタとの記憶は、オレには必要ない。……帰ってくれ」
強い拒絶の言葉だった。
(ああ、やっぱり……)
彼は、人間を、コエンマ様を、霊界を。
――私を、憎んでいるのだろう。
彼に課された、最後となった任務。彼の繊細な心を砕いたモノ。
後になって後悔しても、遅いというのに。
「ごめんなさい……」
私はあの時、なぜ彼にあんな任務を伝えてしまったのだろう。人一人の人生を狂わせてしまった。
罪悪感から、彼の目の前だというのに、涙が後から後から溢れて来る。
ああ、なんてみっともない。ほら、忍君だって顔を歪ませているではないか。私の失態に、彼は更に嫌悪感を募らせているのだろう。
だが、次の瞬間、掴まれていた腕をぐいと引っ張られた私は、彼の腕の中で、彼の胸に顔を埋めていた。
「え……?」
「だから……アンタが嫌いなんだ。そんな顔で、泣かないでくれ……」
私は彼の服を強く握りしめた。
「ごめん、さない……」
片方の腕で私を抱き寄せたまま、もう片方の、彼の大きな掌が私の頭を撫でてくれる。
彼の口からでる拒絶の言葉とは裏腹に、ソレはどこまでも優しかった。