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 空が、青い。遠くの、もっと遠くまでも見えそうな空だ。春の柔らかな風が俺の頬を撫でていった。

「すっかり春だな」

 思わず口にした独り言が、桜の木が揺れる音に消された。揺れる花びらの間から零れる光に思わず見とれ、その場に立ち尽くす。

 自ら部屋を出たあの日から、もう二度目の春が訪れている。

 あれから、前に進もうと決心したはいいものの。結局、すぐに外に出ることは出来なかった。弟家族と接したり、家事の手伝いをしたりするのには問題ないが、外出しようとすればたちまち気分が悪くなり動けなくなった。心はこんなにも前に進もうとしているのに、体がまったく追いつかない。弟家族たちにも随分迷惑をかけた。

 しかし、最近になってようやく、眩暈もするほど恐ろしかった外出にも慣れ、今や近所のスーパーに買い物や、その帰りに近所の公園に散歩も出来るようになった。去年の桜は、見ることもままならなかったのが嘘のようだ。三十路を手前にして、やっと外で普通にいられるようになったのは、情けなくも思うが。

「天志くん」

 聞き慣れた声に振り向けば、黒い学生服を纏った悠太がそこにいた。ぶかっとした学ランが邪魔なのか動きにくそうに俺に近づいてくる。


「悠太。学校もう終わり?」
「うん。天志くんは買い物帰り?」

 そう言って、俺の両手に持った荷物の片方をひょいと持ってくれる。悠太は、今年で中学生だ。だけど、今も変わらず、俺を慕ってくれている。

「ありがと。今日、グラタンにしようと思って。でも、牛乳だけなかったから」
「にしては荷物多くない?」
「…安かったんだよ」
「ふふっ。でも、そっか、グラタンか。俺、天志くんのグラタン好きだ」

 まだ、キラキラした目であいつは俺を見ている。それが、何よりもうれしかった。どちらともなく家に向かって歩き出せば、悠太はぴたりと俺の隣にくっついてにっこりと笑った。

「あれ、悠太また背伸びた?」

 何だか、悠太の頭の位置に違和感を感じ、問う。この間制服の採寸をしたときよりも少し背が伸びているような気がする。

「わかる?俺もなんか目線高いなぁって思っててさ」

 今や頭一つしか変わらない。自分もそんなに背が高い方ではないから、すぐに追い抜かれてしまうだろう。なんだか感慨深い気持ちに浸っていれば、悠太がきゅっと俺の腕を掴む。それを、支えにしてぐいと踵をあげて俺に目線を合わせた。

「ほら、もう少しで天志くんに届く」


真っ直ぐと俺を見つめる悠太の表情は何処か甘く、色男の雰囲気を醸している。こんな所まで弟に似なくてもいい。俺はこんとあいつのデコに自分のデコを打ち付けた。

「そうだな。早くでっかくなりな」

きっと、悠太は立派な人になるだろう。人を思いやれる人間になるだろう。優しい子だ。どんなとこだって生きていける。ふと、気づけば悠太の鼻先が自分の鼻先に触れる。あまりの近さにぎょっとするが悠太は気にしない様に瞼を閉じ、また近づいた。が、

「天志か?」

 小さく呼ばれたその声に振り向けば、懐かしい顔がそこにいた。

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