◎ 僕等バラ色の日々-1
女の子は誰もが、御伽噺の主人公になれると思ってた。
ガラスの靴なんて履きこなせない。
毒リンゴの味もわからない。
糸車に指を刺すこともないし、魔法の絨毯だって飛んでこない。
愛しい人の為に声も命も捧げることもできなければ、野獣を愛し抜く勇気もない。
それでも女の子にはいつか王子様が来て、白馬に乗せて連れ去ってくれると思っていた。
ああでも遅すぎた。
私はお姫様になんかなれない。
そうなるには少し汚れすぎたのだと、思う。
僕
等バラ色の日々(あーもう…めんどくさい…)
本日何度目になるか分からないメールの削除ボタンを押し、私はコーヒーを流し込んだ。未読数はまだまだ二桁。別にしなくてはならないこともあるというのに、何故か今日はメール処理で一日が終わってしまう。
会社のメールアドレス宛に届いた大量の飲み会のお誘い。なにかと理由を付けて私を誘おうとしているのが丸見え。くだらない。私はこんなヤツと仕事をした記憶はないし、名前すら知らない。そんなヤツとお酒を飲んで何が楽しいんだ。
いっそタイトルだけ見て一括削除してやろうか。よし、ひとまずこれくらいチェックして……だめだ、大事なメールまで選択してしまった。これを続けていたら間違いなくミスする。
つい先日、彼氏と別れた。
割と長く付き合っていたから、ほぼ社内公認。別に別れたことを茶化されるのは一行に構わない。何とでも言えばいい。コミュ障に陥って恋の一つや二つできない人よりはかなりマシだと思う。男と女がこの世に存在する限り、仕方ないこと。むしろ私は生物的役割を全うしたと思う。
本当に面倒なのはここからだ。自分で言うのもアレだけど、私はモテる。学生時代はミスコンで優勝したし、読モもちょっとかじってた。お金がなくてキャバでバイトした時も、現役バリバリキャバ嬢に負けないくらいの見た目はしていたお思う。性格はどう見られているか知らないし、知りたくもないけれど、特に嫌われてはいない程度だと信じてる。
さとうが彼氏と別れたらしい、どこかからそう聞きつけたのだろう。この大量の飲み会お誘いメールは、半分はビジネスのお付き合いで半分は合コンのお誘いだ。自惚れではなく、事実。だってその元カレとの出会いただってそうだったし。
ああもう、書類が勝手に雪崩を起こしている。モテるって困るのよ、ほんと。
「…お前、顔死んでるぞ。生きてるか。」
「あーどうも、こんにちは。生きてますよ、心臓動いてますから、ちゃんと。」
私の前に、ビシッとスーツを着こなした男性が現れた。この人の名前は、土方歳三。生まれ持ったその端麗な容姿を武器に、べらんめえ口調で数々の女性をめろめろきゅんきゅんにしてきた、罪な男だ。私とは同期にあたるけれど、すっかり出世街道真っしぐらの彼とは随分と遠く離れてしまった。ただ煙草という共通点があってか、そこまで疎遠ではない。喫煙室のお友達、といったところ。
「聞いたぜ、お前彼氏と別れたんだってな。」
「土方さん、からかいに来たんですか。そんな暇な人じゃないでしょう、あなた。」
私はメールの確認それから消去、という単純作業を繰り返す。周囲が少しざわつくのを感じた。どこのどいつもそういうネタが好きなようで、結構なこと。
彼もなかなかの伝説をつくってきた。
学生時代突っ立っているだけでスカウトの嵐だったとか、飲み会後のお持ち帰りには困らなかったとか、意外と下半身の方はイケメンじゃないとか(これは伝説か?)。それは相変わらず社会人になってからもで、「土方さんとお付き合いしたーい!」とか喚く新入女子社員をちらほら見かけるけれど、個人的にはあまりオススメしない。一度喫煙室の彼を見た方がいい。
「からかいに来たんじゃねーよ。ただ風の便りで聞いたもんでな、励ましてやろうと思って来た。」
「仕事の懇親会やら打ち上げと称した合コンならお断りです。それは土方さんだってそうでしょ。私の気持ちが痛いほど分かるんじゃないですか。」
土方さんは、隣の空席の回転椅子に腰掛けた。妙な沈黙がひとつ。すると胸ポケットから、小さな箱を取り出した。私の好きな銘柄の煙草、だ。ご丁寧に周りのビニール袋までついている。ついさっきコンビニで買いました感が半端ない。
「話がある。ちょっとこっち来ねぇか。」
そして土方さんも、自分の煙草を一本とり私に見せつける。つまりこの人が言いたいのは、ちょっとごにょごにょした話がしたい、ということだろう。
「土方さんが買ってくるなんて…なんだか気色悪いんですけど。そちらこそ、生きてます?」
「うるせぇ、いいから黙って来い。それごとやるからよ。」
器用に椅子を回転させて、土方さんは立ち上がった。仕方なく私もそれに続く。未読メールはまだたくさんあったけれど、まあいいや。どれもあんまり、急ぎじゃないだろうから。
喫煙室の扉を開ければ、生温い空気が私達を出迎えた。たいていの人が嫌がる匂いもたちこめている。この会社に勤めて良かったと思ったところは、完全分煙で手を打ってくれたところだ。周りの目は厳しくても、ここだけは全員味方。非常に心地がいい。
「……ありがと、ほんと今日の土方さん優しくて調子狂うわ。」
口元に煙草を咥え、火をつけようとしたその時。土方さんがそっとライターを差し出してくれた。手付きが完全にホスト。きっと土方さんがホストでもしたら、今は優雅なご隠居生活でもエンジョイしていただろうに。
「おう、褒め言葉として受け取っておくぜ。」
そうぶっきらぼうに答えた土方さんも、自分の煙草に火を付けた。一足お先にニコチン摂取した私は、大きく煙を吐く。その煙は丁度いい具合に土方さんの前で、消えて行った。
「…それで?わざわざ煙草まで買ってきて、ここに呼び出して。どういう風の吹き回しかしら。」
土方さんは私が吐き出したそれを、煙たそうに手で煽った。自分だってぷかぷか吐いてるくせに、人のは嫌がるんだな、この男は。
「別に大した事じゃねぇ。お前に提案がある。」
「悪いけど、昇進の話ならお断りよ。私一応、結婚願望あるし。」
「…相変わらず随分と自信家だな。んなわけ、ねぇだろ。」
そう言って土方さんは、私に軽くデコピンをお見舞いした。私はこれが嫌いだ。だってバカにされているみたいだから。というか、自信家はそっちだろう。そんなところ含めて、仕事ができるのは認めるけど、苦手…だと思う。わりと、全体的に。
「いててっ…、はい、すみませんでした。で、提案って?」
わりとマジで弾かれた額を抑えながら、土方さんの方を見る。こっちは難しそうな顔をして煙草を満喫中。この人にストレス解消という文字はなさそうだ。
「…俺と、付き合わねぇか。」
「………………はい?」
え、何?この人、何て言った?
付き合う?俺と?バカじゃないの?なんでこの流れでこうなるわけ?
「…煙を人に吹き掛けるな…。灰、そろそろやばいぞ。」
呆気にとられ、口が閉じない。
気付けば指先まであともう少し、というところで灰が絶妙なバランスをとっている。危ない、お気に入りのスーツに落とすところだった。
「いやね、お兄さん。これは貴方のせいだから。というか、どうしたの?頭でも打った?」
「黙れ。俺はあくまで、正気だ。まずは落ち着け。」
土方さんは、さりげなく灰皿を差し出す。きれいな灰皿だった。アルミ製のそれにぼんやりと写った自分の顔が、情けない。
「いいか、これは契約だ。俺たちはこれから付き合うフリをする。そしたら楽だろ、これ以上迫ってくる奴はいねぇ。」
「成る程?あくまでフリってことね。驚いた、土方さんのことなんて意識したこともなかったから。」
「当たり前だ。その台詞、そっくりそのままかえしてやる。」
今度は土方さんが、その火を消した。ぷつりと煙が途絶える。そしてこれから始まる不思議な関係についてそのルールを付け加えた。
「この社内では、そんな感じに思わせればいい。あとは自由だ。誰と飲みにいこうが誰と寝ようが関係ねぇ。どちらかが必要なくなるまで、付き合うフリをする。どうだ?」
確かに土方さんの提案は非常に合理的だと思う。けれども、好きでもない男とどうやって「そういう雰囲気」を出せばいいのかわからない。ああいう類の雰囲気というのは、作るものではないと思うけど。
「それ、純情可憐なこの私をバカにしているようにしか聞こえないような…。」
「よし、決まりだ。じゃあとりあえず、今夜飯食いに行くぞ。仕事終わったら裏の駐車場で待ってろ。」
「ちょっとまだ私はっ……!」
人の話を聞け、土方歳三。
いい条件だけど、そう簡単に飲めるはずないじゃない。弄ぶつもりか、私を。
土方さんが彼氏役ならうざい合コンに誘ってくる男どもに勝ち目はない。けれど偽の関係を築いたところで、マイナスにもプラスにもならないのは分かり切ってる。
それなのに、なぜ。
「それ、やるよ。だから俺の戯言だと思って付き合ってくれ。これで今日からカップル誕生だな。」
話はどうやら終わったらみたいだった。
自分で持ち掛けといて、土方さんは早々にその場から立ち去った。投げられた煙草一箱。私がこれで買えるとでも思ったのか。
「安っ………。」
穏やかな春の風が吹きはじめたとある昼下がり。新しい嘘の恋が始まった。
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