◎ 僕等バラ色の日々-4
あなたの落としたのは
金の斧?銀の斧?それとも古びた斧?
人間ってすごく悲しいの。
自分の手にないものを欲しがってしまうから。
商人は古びた斧、大切な斧を捨てて
金の斧を手に入れました。
さて、物語はどうなったでしょう………
僕等バラ色の
日々夕暮れの屋上には、もう冷たい風が吹いていて。目の前に立つ左之助くんは、どこか見ているようで見ていないようだった。
「……左之助、くん。」
最近口にしていなかった名前を声に出せば、左之助くんは何も言わずこちらを見た。
「どうした、ここは立ち入り禁止だぜ?」
「……終わったの?千鶴ちゃんと。」
ほら、なんて顔してるのよ。千鶴ちゃん、って聞いてそんなに驚いたかしら。でももう知ってる、あなたは悪くないって。
「……千鶴から、聞いたのか。」
「ご丁寧に手紙寄越してくれたわよ。」
そうか、と呟いて左之助くんは缶コーヒーを口にした。彼の好みは、微糖。それは今も変わっていないみたい。
「……どうして、あんな、無理したの。」
「無理してるのは、お前の方だろ?土方さんと付き合うフリなんかしてよ。」
確かに、無理はしている。
だけどわたしが聞きたいのは「その」理由ではない。
「お前、なんで土方さんとそんなことしてんだ?」
「……関係ないでしょ。」
「まあ落ち着けって。少し、遠回りしようぜ。」
仕方ない。こうなったら左之助くんに付き合わなければならないことは、嫌なほど知っている。
とにかく焦る気持ちを抑えて、その遠回りとやらに付き合うことにした。
言われて見れば、なんで土方さんの提案にのったかは、いまいち分からない。今日までにおいて、目立ったメリットもなかったわけだし(ただ合コンには誘われなくなったかな)。気持ちよくないセックスも相変わらずだけど、恐らく惰性で続いているこの関係をなぜ断ち切れないのかは、まるでパンドラの箱だった。
土方さんのことは嫌いじゃない。それだけは確かだけど。
それらを取り巻く感情が、理解できない。
「向こうからの提案だったのよ。フリさえすれば、面倒事が減るって。」
「それでお前は引き受けちまうんだ?」
斜め上からの視線が、むかつく。
というか土方さんがこんな提案をしてくる環境をつくったのは、誰だ。
「ええ……そうよ。あなたと別れたばっかりだったしね!」
語尾を強めれば、左之助くんは少しだけ肩を震わせた。缶コーヒーを足元に置き、落ち着けとジェスチャーで示している。
「…でもよ、付き合うフリってのも、労力いるだろ?」
左之助くんの言葉は、かなりの重みがあった。まるでひしひしと自分が感じてきたかのように、重い。千鶴ちゃんとの一件で身に染みたのだろう。
「それじゃあっ……左之助くんこそ、千鶴ちゃんとそうした理由、教えてよ…!」
きっと彼は彼なりに考えた結果が、あれだった。そうした理由を、私こそ聞きたかった。
「私のためって言っても、手段は他にもあったでしょう?なのにどうして、その提案にのったわけ…?」
置かれた缶コーヒーを蹴った。無機質な音を立てて、端のほうへ転がっていく。その様子が、とても虚しかった。
「んなこと、簡単だぜ。」
左之助くんの顔が、ようやく見えた。夕日に照らされ、どこか哀愁漂うそれは、儚くて悲しい。
「千鶴のことも、好きだったんだ。」
その眼差しが、嘘偽りない左之助の心を表していた。最も強調された「も」の部分に、全てが凝縮されていると、さとった。
「千鶴のことも気になっていたのは、事実だった。多分惚れてたんだと思う。でも、ありすも好きだった。えらべなかったんだ、俺は。」
どちらを選べず、一方を指に咥えていたある日。その一方が、エデンのリンゴ手渡した。私と付き合うフリをしてみない?それは左之助くんを誘惑するには最上級の言葉だったのだと思う。フリとはいえ、いつの間にか私は、天秤にかけられていたのだ。
「それでお前に見つかって、ぶん殴られて……それでも俺は、お前を追いかけられなかった。」
「ほんと……最低な、男。」
比べないと、お互いのいいところって分からないでしょ。全ては無いものねだり。人間の習性。どっちがいい女ってことさえも、そうしなければ分からないとでもいうのか。
「……ほんと、最低だよ、俺は。お前のためだと言って、二人の女を試してたんだぜ?」
左之助くんのその乾いた笑い声は、自嘲にも聞こえた。
「だから、お前もさ……。土方さんのこと、好きなんだろ、きっと。」
え、今。なんと言った?
「好きでもない男となんて、フリって言っても付き合えねぇよ。お前は気付いていないかもしれないが……きっと。」
左之助くんが、あえて遠回りした理由がわかったようだった。
左之助くんの場合、付き合うフリをしたのは私と千鶴、二つの好意を計るためだった。
そこで私の為と言って、千鶴ちゃんと付き合うフリをした。結果的に私の仕事はうまくいったけれど、それが当の本人に見つかって。ただその時気付いたのは、私に対する本当の気持ち。
じゃあ、私は?
面倒事を避けるってことで、土方さんと付き合うフリを了承したけれど、それは私が土方さんへの気持ちを試しているってこと?
実は、惰性で続いていたセックスも望んでいたものだったと?
「……わからない、わからないけど…。でも千鶴ちゃんは……。」
「俺はまだ、ありすが好きだって言ってただろ?」
まさに言葉にしかけたことを言われ、驚いた。ゴクリを唾を飲んだ。
「落ち着いたと思った頃…千鶴の父さんから、縁談話がもちかけられた。もちろん千鶴と、のだ。」
「そんな、私の案件は終わったというのに…?」
「確かに千鶴はいい子だったぜ。だけどよ、やっぱり……違った。それを伝えたら、父親はすげー怒っちまって、あやうくお前の案件の話を無しにされそうになった。」
今度は少し、違う方向へ話が進みだした。
左之助くんとしては軽い気持ちだったのが、いつの間にか発展していて。天秤にかけているだけなのに、結婚はできない。左之助くんは断るしかなかった。
「でも、私のプロジェクトは潰れてないよ……?」
「ああ……それは。」
背後で、錆び付いたドアが開く音がした。
独特のビジネスシューズの音が、木霊する。この歩き方、その音は。
「………土方さん………。」
これで役者は全て揃った。
続
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