◎ Blue Regret
別れの言葉を伝えられなくてもいいから、ただ、どうか。
どうやら今日も仕事は終わりそうにない。
ついこの間、部長に出世できたと思いきや、名誉とともに手に入れたのは、膨大な仕事量だった。新年度が始まってから、ほとんど定刻に帰った記憶がない。
時刻は午後17時30分を示していた。
山積みになった書類の向こう側を通り過ぎる、ふたりの人間。
一人は隣の部署で働く原田左之助、そしてもう一人は。
死ぬほど後悔しても二度と手に入らない女、だった。
今日は金曜日だから、二人で定刻に仕事からあがり、どこか飯にでも行くんだろう。
俺には到底花の金曜日は望めなかった。目の前の膨大な書類に圧倒され、派手に椅子の背もたれに項垂れた。
アイツを失ってから、もう1年も経つのか。
目頭を抑え、俺は少しだけ眠気に身を任せた。
アイツと出会ったのは、多分2年くらい前の春だったと思う。
新入社員として入社してきたアイツは、俺が所属する部署に配属された。当時俺はその部署内で特別偉い役職ではなかったが、仕事の出来る方として将来を期待されていた。
同期の原田と比べても、間違いなく次に昇格できるのは俺だと言われてきた。だからアイツの研修は原田が担当し、俺は会社のお偉いさんたちと仕事をしていた。
原田がすぐにアイツを好きになったのは、一目瞭然だった。
親しみやすい顔立ちに、可愛がりたくなってしまうような妹タイプ。何かと世話を焼きたがる原田にとって、アイツはこの上なく可愛かったのだろう。
だがそんな原田にあるとき、こっそりと言われた。
「ありすさ、土方さんのこと、好きだって言ってたぜ。」
原田からしてみれば、特に悪気や詮索といった気持ちはなかったのだろう。
俺も特にどうする気もなかったが、自分の気持ちが知られてしまったからか、それ以来アイツは俺を避けるようになった。正しくは、嫌われたのではなく、恥ずかしがっているようだった。
毎度すれ違うのにど緊張されても、こっちが堪んねぇ。
だから俺はアイツに、付き合ってもいいぜ、そう言った。
当時俺は、だいぶ派手な遊び方をしていたと思う。
アイツに付き合おうっていったその瞬間にも、2,3人の女と付き合っていた。その女全員を好きなわけではなくて、大抵はノリで付き合い始めた女ばっかりだった。飲み会帰りに酔った勢いでホテルに行っちまったとか、その行きずりだった。要はお互い恋愛ごっことその延長線上にあるセックスさえできれば、よかったのだ。
そしてそういうのに乗っかってくる女もだいだい、ほかの男がいる。
他にも肉体関係を持っている人がいるとお互い分かっているうえで、付き合うのが俺のやり方だった。
そっちのほうが断然面倒でなくていい。幸い俺は女性を手に入れるのに、苦労したことがない。少々向こうがこじらせて真剣な交際を求めてきても、そんな面倒なのはまっぴらゴメンだった。つまり派手な遊び方をしていたというよりは、ただの質の悪い男だったというだけだった。
だからアイツが一人増えたところで、なんの支障もなかった。そうして付き合おう、なんて適当に言ってやったら、犬が尻尾振るように喜びやがった。
アイツは俺が付き合ってきたなかで、珍しいタイプだった。連絡はこまめにくるし、とにかく俺に尽くす。仕事が遅くなりそうなときは、アイツは仕事上がりでも飯作ってわざわざ会社に届けにきてくれるし、何処も連れていかなくても文句一つ言わずにただ笑顔をみせる。
初めてアイツの体を求めた時は驚いた。彼女の体に触れる前、アイツが言った言葉を今でも覚えている。
「私は、土方さんに見合う女になっていますか?」
内心俺はそんないい奴じゃねぇよ、と思った。だけど目の前にある女の体に、男として黙ってはいられなかった。
「あまり、こういうこと、したことなくて。その、土方さん。教えてくださいね。」
そんな事言うから、俺は教えると称してさんざん手荒くアイツを抱いた。
それでもアイツは必死に受け容れていた。
「土方さんは、色々な事知っているんですね。」
事が終わると、アイツはいつもそう言った。何一つ俺を責めず、癇癪だっておこさない。
俺はあの時狂っていたから、良心の一つも働かなかった。むしろ恋愛偏差値の低い女だ、としか思っていなかったのだ。
アイツのすごいところは、俺に複数の女の影があるって分かっていながら、とにかく俺に忠実だということだ。
社内でも俺の噂は嫌なほど流れていたし、アイツが気が付くのも時間の問題だった。いや、もしかすると既に気付いていたかもしれねぇ。
それでも、滅多にない、ともに過ごす週末には毎度アイツはこう言った。
「私、土方さんに見合うような、一番の女性になりたいんです。」
その一番が、どういう意味かは分からない。だがおそらく、何人かいる俺の女の中で一番になりたかった、ということだろう。アイツは、とことん俺に優し過ぎた。
アイツに俺は救われていたのだと気付いたのは、馬鹿なことに、アイツがいなくなってからだった。
いつもとアイツの様子が違う、そう感じた時は既に手遅れだった。
定刻通りに俺の携帯に届く、アイツからのメールがピタリと止んだ。頼まなくても持ってきてもらえた夜食も、なくなった。そして何より、俺を見るたびに照れ臭そうにしていたアイツの表情が、俺の前ではまるで凍り付いたように動かなくなった。
とうとう我慢できなくなったか、アイツは頭がいいから俺の一番になったところで虚しいことを、理解したのだろう。それでいいと、思った。
それでもそう思うほど、ちらちらとアイツの笑顔が脳裏をよぎって。
考えるのは、アイツと過ごした僅かな時間ばかりだった。
暖かい他愛のない会話も、作ってくれた飯の優しさも、快楽だけを求めようとしないセックスも。アイツが、アイツだけが教えてくれた。
(俺は何故、目を背けていたのだろうか。)
こんなことを教えてくれる女は、もう二度と俺の前に現れないだろう。
俺にあんな柔らかな恋を味あわせてくれたのに、手放してしまったのだ。
今更何と言葉をかけてよいのか分からなくて、結局俺たちは自然とその関係を消滅させた。
別れの言葉を望んだわけではない。
ただアイツに許してもらうことだけを望んだのだった。
頼む、どうかお前の気持ちに気付けなかった俺を許してくれ、と。
アイツが原田と付き合い始めたと聞いたのは、それから数ヶ月後のことだった。ちょうど俺が部長に昇進することが決まった頃だった。
仕事では俺が上だったが、俺は原田に完敗した気分だった。アイツの笑顔を十二分に堪能しているし、アイツの想いに気付けている時点で俺は負けた。
だけど、これでよかったのだと思っている。アイツみたいな女に、俺みたいなまともな恋愛ができない男は勿体無い。
そして何より、他の男と付き合えるのは、俺の事を忘れることの出来た何よりの証だ。
アイツにとっては苦しい恋だっただろうし、俺はこれで許してもらえたのだと思う。
瞼の隙間から、光が差し込んだ。
ゆっくり目を開くと、金曜にしては慌ただしいオフィスだった。まだ八割くらいの人間が仕事をしていた。
時計に目を遣ると、先程時計を見たときにから15分程しか経っていなかった。
(随分と、長い夢を見ていた気もするが……)
何も変化のないであろう、デスクの上の書類を見直した。
すると、先程までとは光景が少し違った。
(なんだ、チョコレート、か?)
デスクに置かれたチョコレートが二つ、あった。
『書類整理お疲れ様です。お先に失礼します。 ありす』
うたた寝している俺を気遣ってだろうか。
甘いものが苦手なことを知っているアイツは、カカオ含有率が高めのビターなチョコレートを置いていったのだ。
(まったく、つくづく優しいんだからよ、アイツは)
そんな彼女の一面に、原田も惹かれたのだろう。
おそらく原田は、この行動をしたアイツを責めていないと思う。
(もしかすると、俺はまだ許されていないのかもな。)
山積みになった書類に手をつけた。
今夜は、もう少し頑張れそうな気がした。
end
1000HIT感謝祭フリリク企画、みや様よりリクエスト頂戴いたしましたお話です。
尽くしてくれるヒロインちゃんをよそ目に浮気に明け暮れ別れ話を切り出そうとしたら逆に捨てられちゃった土方さん(要約byありす)とのことでした。ヒロインちゃんが彼を許すかどうかはお任せとのことでしたが、結局中途半端になってしまいました!!!みや様お言葉に甘えます!!
お気に召して頂けましたでしょうか?お持ち帰りの際はみや様のみでお願いいたします。
この度はありがとうございました! ありす
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