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 Bitter Valentine with S.Harada

大量の書類に一枚ずつ丁寧に目を通す。

訂正や確認が必要と思われる箇所に付箋を貼り付け、その内容を書く。

一通り確認し終えたところで、それぞれに書類を返していく。



『原田くん、この書類の確認お願いします』



主任の重要な業務のひとつ。

土方課長に提出する書類の事前チェック。

二年後輩の原田くんや永倉くんあたりはもう、ほとんどミスはない。

それでも、怪しいところは再確認してもらうだけで契約後のトラブル防止につながる。



「ういっす……やっぱしさとう主任の目は誤魔化せないっすね」

『土方課長の目はさらに誤魔化せないから、今のうちにもう一度確認してね』

「………了解っす」



沖田くんや斎藤くんには、何が足りないのか何を確認すればいいのか説明しながら丁寧に返していく。

この手間を惜しまないことが結局は、管理職業務の効率をアップさせることになる。



問題ないと判断した書類を土方課長に提出する。

『課長。こちらの確認をお願いいたします』

書類を土方課長に手渡すと、私の目をジッと見つめたあと微笑む。

「おう。助かるぜ。いつもありがとよ」

優しい声でお礼を言ってくれる。



土方課長……もとい土方は私の同期で上司。



主任という役職はいわば土方の補佐みたいなもの。

【さとうは土方の右腕】って言われるのは嬉しいけど。

恋人同士だとか婚約してるって噂もある。



土方はこの噂を肯定しない代わりに絶対に否定しない。



私にだって好きなひとはいる。

片想いの相手に私が何のアクションも起こせないのを知ってか知らずか、土方はこんなふうに私との書類の受け渡しの時に無駄に微笑んだりする。



「女避けとしてお前ほど適任な女はいねぇ」



そう言われたときは呆れたけど、実際土方にはストーカー紛いのファンも多勢いて業務に支障をきたすほどだった。

土方は私にとって仕事をする上で最高のパートナーだったから、私は甘んじてその役を引き受けた。



土方にも心に決めたひとがいるんだと思うけれど、私がそれを尋ねたことはない。

土方も私の想う相手の名前を知ろうとしたことは一度もなかった。

敏い男だから気がついているのかもしれないけれど、私のことを詮索しない土方はある意味女友達よりずっと付き合いやすかった。



カムフラージュ云々よりも、同期の中でもずば抜けて出世の早い土方は、それを妬んだり嫉んだりしない女の私の方が気楽に付き合えるんだと思う。



多分土方は仕事に真摯に取り組むあまり、恋人とのプライベートを犠牲にしてしまうに違いない。

「めんどくせぇんだよ」

その言葉は土方の心を表している。

めんどくさいのは女性の存在じゃない。

好きな女を笑顔にさせられない自分にイライラしたり自己嫌悪に陥るのがめんどくさいんだろう。



恋愛が絡まないから、私たちは上手くつきあって来れたしこれからもそれは変わらない。

同じように私の片想いの相手とも恋愛か絡まないから、職場の仲間としてそれなりにしていられるんだろうな………

そんなことを考えながらフロアの一番奥に陣取る土方の顔をぼんやりみていたら、声がかかる。



「さとう主任……コレお願いします」

原田くんから手渡される書類はきちんと訂正されている。

『………はい、オッケーです。ご苦労さま』

いつもならそれで立ち去るはずの原田くんが動かない。



視線を感じて座ったまま見上げれば、原田くんが鋭い眼差しで私を見下ろしている。

『何か質問?』

笑顔で優しく尋ねたつもりなのに。

「いや……なんでもねぇっす」

原田くんは不機嫌そうにふいっと顔を背けて行ってしまう。



彼がこんな態度をとるなんて考えられない。

女性には誰にでも優しいし、目上の者への配慮も完璧なのに。

わたしはその両方に当てはまるのに………はあ……やっぱり望みはないんだな………



そう。

私の片想いの相手は二つも年下の原田くん。



いつから?どうして?

……そんなこと上手く説明できない。



ただの後輩でしかなかったのに、数年前の忘年会で永倉くんとお酒を飲みながら、仕事の目標をイキイキと話してる時の少年みたいな顔にドキドキした。

美味しそうにお酒を飲んでは、怒ったり笑ったりしながら理想を語っていたあの表情をずっと忘れられない。



派手な外見とは裏腹に、仕事も人間関係もコツコツと日々の積み重ねを大切にするタイプ。

意外にも几帳面で真面目な性格は仕事にも活かされていて、ポスト土方って言われてる。



そんな原田くんに惹かれていく自分に、いくらブレーキをかけても止められなかった。



ただ見ているだけ。

何も言わず想っているだけ。

告白なんて絶対できない。





だって。

怖いんだもの。





背が高くて格好良くて将来有望な原田くんを女の子たちが放っておくわけがない。



明日はバレンタインデー。

恋人ならば土曜日のバレンタインデーは大当たりなんだろうけど、片想いの女の子たちには死活問題。

想いを受け止めてもらって、土曜日に彼女としてデートしたいのが乙女心というものだろう。



私は原田くんのために、ブランデーによく合うゴディバのカレを選んだ。

毎年同じものを支度してるのに、一度も渡せたことがない可哀想な私のチョコレート。

美しく施されたラッピングが哀れに思えてくるけど、今年も私の自棄酒のお供になりそうな予感。



社内のあちこちで目にするチョコを渡される原田くんの姿。

若くて可愛い女の子ばっかり。

定時を過ぎた途端、原田くんのデスクに群れをなして押し寄せる女の子たち。



これじゃあ私の番はまわってこないわね。

この騒ぎを見ているのが辛くて、私は資料室へと逃げ込んだ。






定時を過ぎた資料室は静かで仕事をするのにはもってこい。

私には仕事しかないんだから。

頑張るしかないんだから。



どのくらい時間がたったのか……



「おい。ありす!」

突然名前を呼ばれて飛び跳ねるほどビックリした。

『やだ……ビックリさせないでよ。心臓止まるかとおもったわよ……』

胸に手を当てて土方を睨む。

「もう9時過ぎてんぞ。いい加減帰れ。明日はバレンタインだろうが」

『いいの。私には関係ないし』

「てめぇはまったく……本当に馬鹿だな。拗ねてねぇでいいから帰れ、な?」



やけにしつこい土方に辟易した私は荷物をまとめてデスクに戻る。

片付けをしてコートを羽織り、バッグを持つ。



バッグの中には、出番を待つ本命チョコと土方への義理煎餅。



せめて、土方にだけでも渡して帰ろう。

『土方課長、よろしかったらどうぞ』

そう言って渡せば、包みに触れただけで土方は中身がわかったらしい。

「気が効くな。毎年ありがとよ」

チョコレートが苦手な土方には、お煎餅って決めてる。

『どういたしまして。ホワイトデー期待してますから、よろしくお願いします』

「おうよ。リクエストあったら言えよ」



こんなふうに原田くんにも気軽に渡せたらいいのに。

俯いていると泣いてしまいそう。

しっかりしなくちゃ。



『お先に失礼します。お疲れさまでした』

土方やまだ残っている男性社員に挨拶してから歩き出す。

原田くんの姿も見えたけど、本命チョコをここでは渡せない。



今年も渡せなかった………

涙がこぼれないようにエレベーターの数字を見上げる。



泣いちゃだめ。

奥歯をぐっと噛みしめた私の背後から聞こえてきたのは大好きな声。



「さとうさん。帰るとこすんません。コレ見てもらってもいいっすか?」

原田くんに見せられたのは芹沢建設の見積書。

ここの事務処理は特殊だから、マニュアルの場所を説明する。

『それを見て処理してみてね。でも月末まででいいから慌てなくていいのよ?』

「………引き止めてすんません。お疲れっす」

『お疲れ様でした。もう遅いから原田くんも切り上げて帰ってね』

そう言うと原田くんはまた不機嫌そうな顔になる。



どうして……?



イライラした様子の原田くんは私に何か言おうとしてるけど、何も話してはもらえない。


そうだ、せっかく二人きりになれたんだし。


義理チョコとして渡すならいいよね?


『は、原田くん。あの……これ。よかったら』


勇気を出して原田くんにチョコを渡す。


「えっ?………俺?……ありがとうございます」


原田くんの少し照れた顔……初めて見た。




たとえ大量のチョコたちに紛れてしまっても、受け取ってありがとうって言ってもらえたことが本当に嬉しかった。




さっきまでは悲しくて泣きそうだったのに、今は嬉しくて泣きそう。




お礼を言うのは私の方なんだよ……原田くん。




受け取ってくれてありがとう。


ありがとうって言ってくれてありがとう。





半ば諦めていたバレンタインのチョコを手渡すという数年来の目標を達成できた私は幸せな気分で週末を過ごした。










それなのに。





週明け、出社すると休憩室で女の子たちに囲まれてる原田くん。



彼女たちは、興奮して大声でまくし立てている。



「聞きましたよ!さとう主任からのチョコ受け取ったって本当ですか!」

「原田さんより年上のオバサンじゃないですか!なんでですか!」

「アタシ絶対納得いかない!ムカつく!原田さん騙されてる!」



親の仇を見つけたかのような大騒ぎに思わずドアの陰に隠れる。



私のこと……?

誰かに見られてたんだ。

やだ……どうしよう。



想いを伝えたわけじゃないし、原田くんだってただの義理チョコだと思ってるだろうし。

何よりこの状況に、原田くんはさぞ迷惑しているだろう。

あのチョコレートには特別な意味はないことを説明しようと休憩室に入ろうとしたその時。




原田くんが発した言葉に動けなくなる。






「おいおい……やめてくれよ。まったく……上司からチョコ差し出されて断れるかよ……仕方ねえだろ?」






誰にでも別け隔てなく笑顔で接して。

特に女性には優しくて親切で。

目上の者への気配りを忘れない。






そんな原田くんの言葉は………

私の恋心を一瞬にして殺してしまった。






「原田さんも苦労してるんですね〜!かわいそう〜!」

「コレって………セクハラ?パワハラ?ヤバくない〜?」

「いえてる〜!部下にチョコレート強制!キッツ〜!」






ひどい……ひどいよ……

原田くん。

迷惑なら断ってくれたらよかったのに。







ジ ョ ウ シ カ ラ

チ ョ コ サ シ ダ サ レ テ

コ ト ワ レ ル カ ヨ ……


シ カ タ ネ エ ダ ロ ?







原田くんのこんなに冷たい声……初めて聞いた。

女の子たちの甲高い笑い声に足がすくむ。





涙がぼろぼろこぼれる。





もう二度とチョコレートなんか買わない。

もう二度とバレンタインになんかに踊らされない。









もう恋なんか………


絶対しない。









fin.





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