◎ Bitter Valentine with T.Hizikata
「うっわ……相変わらず、だね。」
トシくんに呼び出されて、彼のいる駅にまで迎えにいく。
改札をおぼつかない足取りで出てきたトシくんの両手には、大量のチョコレートが入った袋があった。
「悪いな、呼び出しちまって。これじゃあまともに歩けなくてよ。」
「いいよ、いいよ。毎年恒例だし。」
トシくんは、モテる。
そりゃあそうかもしれない。だって、べらんめえな口調の割には本当はすごく優しい人で、それからスラリとのびた体、あと瞳がすっごくきれい。他にもカッコイイところは、たくさんあるけれど、それは言葉で言い表せないくらい。
そもそもトシくんは、私の幼馴染。
二軒先のご近所さんで、同い年。幼稚園の時から一緒に遊んだり、通学もした。
鬼ごっこで遊んだとき、本気で追いかけて彼を泣かせたのはいい思い出だ。今だったら絶対に泣き顔なんてみせないから。
そんな彼の背中をずっと見ていたから分かる。トシくんはどんどん素敵な男性になっていって、随分その距離を離されてしまったなあって、思う。
私みたいな平々凡々な女の子じゃ、手が届きそうにないくらい、こうやって彼のとなりを歩いているのが不思議なくらい、遠くへ行ってしまった気がするのだ。
多分物理的な距離は変わっていない。こうやって社会人になった今も、幼馴染は幼馴染。言葉だって交わすし、昔みたいなボケとツッコミの関係も変わっていない。時折お酒も飲みに行くし、私だけに(多分、ね)話してくれる普段言えないことだって打ち明けてくれる。
「お前しか頼めなくてよ、助かってる。」
ねぇ。トシくんは、その言葉を分かって言っているの?
私もいつの間にか、「トシくんのことを好きになっていた」、なんて知ってる?
いつ頃か、なんて覚えていない。だけどそれは彼を間近で見てきたからこそかもしれない。
昔のやんちゃな姿からは想像もできないくらい男性らしくて、意識せざるを得ない。私が彼に向ける視線はいつからか、女性から男性に向けるものになった。
だからすごく皮肉なのが、この2月14日。
バレンタインデーの日はもうやってトシくんを、自宅の最寄駅にまで迎えに行くのが恒例になっているから。
両手いっぱいのチョコレートをもって帰ってくるトシくんの、荷物運び。それから仕分け。そして最後にお礼として、手作りのものはさすがに悪いから、ブランド品のものはこっそり分けてもらっている。
渡そうと思えば、渡せるし。
幼馴染の義理だって言ったら、それはそれで自然。
世の中のトシくんを想う他の女の子たちと比べたら、何倍も渡しやすい。
でも私は、絶対に渡さない。
そう決めたのだ。
「まったく世の女たちはチョコなんざ渡してどうするんだ。」
「やだ、これだからモテる男は失礼ね。こうやって自分の気持ちをチョコに託すの。ホワイトデーにね、たった自分にだけに特別なお返しをしてくれると信じて。」
「ったく...菓子メーカーの陰謀にまんまと引っかかりやがって。」
そういうトシくんの表情は、まるで本当にそう思っているみたいで。
女の子からの好意なんてものともせず、バレンタインデーをただ面倒な行事としか思っていない。
...もう少し喜んでいた方が、健全な気もするけど。
「ねぇ、なんやかんや言って、気になる女の子とかいないの?」
「馬鹿言ってんじゃねーよ。顔と名前が一致しないヤツが、ほとんどだ。」
「げっ、まじ引くわ。トシくんのために想いを犠牲にしてる女の子たちが本当可哀想...。」
そうね、本当にかわいそう。
トシくんに名前も顔も、覚えてくれないなんて。
「お前だってそうだろ?一回や二回しか会ったことねぇ男の名前なんて、覚えてるか?普通。」
「モテない人間はちゃーんとそういうとことで、おさえるんです!ほんとモテ男相手だと話にならないわ。」
「うるせぇな、別に俺だってモテたくてそうしてるわけじゃねぇんだから。」
大通りを抜けて、ひとつ裏道に入る。
寒いね、なんて言いながらコツコツと足音を響かせて歩く、帰り道。
「……ねぇ、じゃあ私の名前と顔は一致してるの?」
「何言ってるんだ。当たり前だろ。」
「じゃあ言って。」
「じゃあって…さとうありすだろ?」
ほらみて、私のことはちゃんと分かってるの。
だって私とトシくんの間には、ちゃんと「幼馴染」っていう特別な関係があるから。
そう得意気になる私を、怪訝そうな顔でトシくんは見た。
たかが幼馴染の名前がなんだ、そう言わんばかりに。
「どうした、今日のお前…何か変じゃねぇか。」
「そんなことないよ!ただ誰かさんみたいにモテる人はいいなぁって思っただけ。」
そうよ、変になっちゃいそう。
幼馴染という関係に縛られてこそ、伝えられない想いで心が張り裂けそうだから。
だってね、トシくん。
ここで私が貴方にチョコレートをあげたら、その紙袋の中に入れるんでしょ?
そしたら私、特別じゃなくなっちゃうじゃない。結局は名前も覚えてくれないような女の子たちと一緒にされて、そういう扱いになっちゃうんでしょ?
トシくんに、「好き」とさえ言わなければ。
私はあなたと幼馴染でい続けられる。
そうすれば、他の女の子たちとは違う「特別な関係」であり続けられるから。
「はい、きちんとお返しするんだぞ!」
「うるせぇ、あげてもない奴が何言ってるんだよ。」
途方もない自問自答を繰り返していたら、自宅にたどり着いた。私の家の、2軒先。
持っていた小さな方の紙袋を、トシくんに渡す。
「いいんです、私は。だって今更でしょ?」
それもそうだな、そうしてトシくんは温かな明かりの灯る自宅の扉を開いた。
ドアの隙間から、ご両親の「おかえりなさい」という声が聞こえてくる。
とても優しい家庭だ。私も家族ぐるみでお付き合いさせてもらっている。
「ああ、そうだ……、ありす。」
「ん、何?」
閉まりかかっていた扉を開けて、その向こうに消えかかっていたトシくんが姿を再び現した。
手にチョコレートは、もうない。
「....突然だけどよ。来月越すことになった。一応、お前にも伝えとく。」
「…それまた、急だね。もしかしてご家族で?」
目の前が真っ白になった。
これじゃあ、私が意地張っていた理由がないじゃない。
「…いや、一人でだ。そろそろこの実家出てこうと思っていて、な…。」
「そっか...会社、少し遠いもんね。」
トシくんが違う所へ行ったしまったら、こうして一緒に帰ることも、暇な時に押しかけることも、「特別」だから出来たことができなくなるじゃない。
「そんだけだ、引き止めて悪かった。おやすみ。」
「……おやすみ、なさい…。」
閉じられた扉に、小さく手を振った。
無駄に切ない、バレンタインデーになった。いや、されてしまった、が正しい。
冷たい風が雲の流れを加速させ、月が顔を出す。私を照らす月光が、妙に温かい。
(あーあ…やっぱりあげておけば、よかったなぁ…)
実はこっそり、トシくんのために作ったチョコレートを取り出した。本当は渡したくて仕方のない自分が、カバンに忍びこませていた。
渡さない、そう決めて毎年作り続けてきたチョコレート。
(もう二度と……あげられないかも、しれないから…)
行き場を失い手のひらの上で佇むそれをひとつ、思い切って彼の家のポストにいれた。
ラッピングのリボンにくくりつけた、メッセージカードを外して、から。
びりっ、と外した勢いでその場に舞い落ちたカードを拾い上げる。
読み返してみれば、伝えられなかった想いが文字になって、踊っていた。
(本当に遠くへいっちゃうんだね……)
玄関を出て数秒で見れたはずの、トシくんの姿がもうないなんて。
トシくん
あなたのことが、大好きです。
もちろん一人の男性として。
ありす
fin.
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