◎ Forgetfulness
がたんごとん。
私の身体が電車の小刻みな振動と一緒に揺れる。
海辺を走る電車の車窓からは、広大な海が永遠と続いて見えた。
頭上には、飛行機雲。青い空が眩しい。
別にこれから旅行に行くわけでも、何でもない。ただ言うのであれば、彼との思い出を忘れるためにきた。
去年の12月24日、私は一昨年の同じ日にお付き合いを始めた彼にプロポーズを受けた。返事はもちろん、Yes。
私のような平民が、彼のような素敵な男性の一生のパートナーとなれるなんて思ってもいなかった。
彼の名は、土方歳三。外資系の会社で働いており、若くして重要部署の部長にまで上りつめた、なかなかの強者だ。その上容姿端麗、という言葉が似合う美貌の持ち主で、非の打ち所がないような殿方。もちろんカッコイイと思うけど、歳三くんの魅力はそこだけじゃない。他人の苦労を奪うように自分が背負うこと、内に秘めた強い情熱をもっていること、ぶっきらぼうに見えて実は一番他人想いなこと。その全てが、歳三くんの素敵なところ、だ。
「お前を一生この手で守りたい。だから結婚してくれ。」
歳三くんのストレートな気持ちに応えないはずがなかった。
プロポーズを受けたその夜、事件は起こった。
興奮冷めやらぬまま、自分の家へ帰宅した後、一本の電話が鳴ったのだ。
その電話は、警察からだった。
よぎった嫌な予感に、手が震えた。
『土方歳三さんが、先ほどトラックにはねられて、病院に運ばれました。』
淡々と伝えられるそれに、怒りすら覚えた。
だけど今はそれどころではない。容体はあまりよくないです、付け加えられた言葉に、ただ病院の名前を書き留めることしかできなかった。
「薄桜、病院....ですね、はい。...わかりまし、た。」
どうしてそうなったかはどうでもいい。
ただ歳三くんが、死ななければ。生きていてくれれば。
急転直下した事態に気持ちがついていかないまま、電話は切られた。
タクシーに乗り込んで、救急の受付に飛び込んだ。クリスマスイブのデート用にセットした髪の毛はぐちゃぐちゃだ。病院に似つかない明るい色のワンピースと、近所にしか履いていかないようなサンダルのアンバランスさが周囲の人の視線を集めていた。
そんなことは、構わないけど。
「歳三くん….土方歳三は、どこに、今ここに来たって...。」
「土方さんですね、今はこちらに...。」
険しい表情が、なんとなく事態の深刻さを物語っていた。
気味悪く脈打つ心臓を抑えつつ、廊下を歩く。
一度ここの救急外来にはきたことがあるけど、この廊下はこんなに長いものだっただろうか。最低限しかついていない明かりが、さらに気味を悪くしていた。
「土方さんのご両親も、じきに来るそうです。」
既に病室には、スーツを着た警察官らしき人が立っていた。
そして目の前には、包帯がたくさん巻かれ、点滴に繋がれた歳三くんがいた。装着されている酸素マスクが、彼の微々たる呼吸で時折曇るのが確認できる。
(……とりあえず、生きててよかった……)
そこに佇んでいた、警察の人と目が合う。軽くお辞儀をされると、どう反応したらよいか分からなくて私は目を逸らした。
「ありす……さんですか。」
「え、はっ、はい。どうして……。」
「申し遅れました。私、警察の者です。土方さんの携帯の履歴に、あなたのお名前が1番上にありましたもので。」
事故に遭った直後、あなたに電話しようとした形跡がありました。
その事を聞いたとたん、さっきまで感覚が麻痺した目元から涙が零れるのがわかった。
きっとその電話が繋がったら、歳三くんはこう言っただろう。
悪い、結婚式延びそうだ。と。
こんな時まで、私のことばっかり気にして。
「……赤信号を突っ込んできたトラックに轢かれそうになった女の子を、助けようと、土方さんは飛び込んだんです。」
知らされた事故の状況に、私はなんとなく納得した。
目の前にそんな子がいたら、それが女の子じゃなくても、歳三くんなら間違いなく助けただろう。
「歳三くん、らしいや。ほら……女の子が心配でしょ?早く起きて…。」
涙の雫がぽたぽた、とシーツに染みをつくっていく。
結局涙が枯れても、歳三くんは目覚めることはなかった。
電車内にほとんど人がいなくなった頃、私はようやく下車した。
潮風がゆるく吹く。辺り一面、人影はない。
歳三くんに連れてきてもらったときは車だったから気づかなかったけど、けっこう遠い所だったんだ。
無人改札を通り抜け、さびれた商店街を通り抜けていく。坂を下っていくように辿れば、大きな海岸通りに突き当たった。
(あの時歳三くんの前で大泣きしたのよね、私。)
歳三くんが目を覚ましたのは、事故が起こってから3日後のことだった。
目を開けたときに、最初に見る姿が私でありますように。その一心で、ずっとベッドのそばにいた。
あれはたまたま、歳三くんの部下の人たちがお見舞いにきてくれていた時だった。
うっすらと、ゆっくり目を開けた歳三くんは、思ったより元気だった。
体をのばし、やっぱり一番初めに助けた女の子のことを心配した。
かすり傷だけだったよ、と伝えると歳三くんはほっと溜息をついた。
歳三くんの、目線がおかしい。
あたりを見回しては、自分の部下の名前を呼んでいる。
確かに3日間意識を失っていたから、それは当然かもしれない。でも、それにしては変だ。
私を見る目が、いつもと違う。
「………お前は、誰だ……?」
目の前が真っ暗になった。
周りの人たちが、とっさに取り繕う。
やだなぁ土方さん、恋人の名前忘れちゃったんですか?と。
歳三くんは、黙ったままだった。
そのかわり眉間にすごく皺を寄せて、考え込んでいる。
きっと歳三くんは、本当に私のことを忘れちゃったんだ。直感的に、思った。
最後まで私を想っていてくれたかわりに、最初に私のことを忘れた。
私もそこまでバカじゃないから、なんとなく予想はつく。
もしかしたら私のことを思い出すかもしれないし、思い出さないかもしれない。
そんなのは、お医者さんに言われなくても分かっていた。
もし思い出したら、笑顔でお帰りって言えばいい。
だけど、思い出すことがなかったら?
仮に私の記憶が戻るのが、何年も先だったら?
自分の知らない人に、何年も想われ続けて、負担が掛かるのは歳三くんの方だ。
「……ははっ、ごめんなさい。知らなくて当然よ、私、病院の者ですから。」
歳三くんに婚約者がいた、そう知られないために、無理な嘘をついた。
その場にいた歳三くんの部下の人達にも、かたく口止めするようお願いした。
「それでは、私はここで。失礼します。」
荷物を纏めて、歳三くんの元から私は消え去ることにした。
とにかく踏ん切りをつけるために、歳三くんとの思い出の地を訪ねる旅を思いついたのは、病院を出たすぐあとだった。
自分なりの期限は、一年。
一年以内、つまりプロポーズを受けたクリスマスイブの日までに、歳三くんが私を思い出せば、もう一度彼の元に戻ろう。そう決めた。
それ以降は、きっとダメだ。
年単位で私のことを忘れた時がある、その事実を私がむしろ受け止めきれない。
そしていずれ、嫌でも私の存在を知る日がくると思う。
歳三くんのことだから、きっと自分を責めるだろう。なんでそんな大切な人を、忘れてしまったんだと。
例えそれは、歳三くんの記憶が戻っていなくても、だ。彼の性格ならよく知っているから、そんな風になるのが手に取るようにわかる。
一年以上後に記憶を取り戻したら、その時私はもう歳三くんの隣にいない。
一年後も記憶がなかったら、見えない私の存在に苦しめばいい。
このタイムリミットは、私なりの仕返しのつもりの意味も込めている。
私だけを忘れてしまった十字架を、一生背負えばいい。
だから、どうか次のクリスマスイブまでに思い出して。
そうすれば誰も傷付かないから。
to be continue……
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