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 サロメ10

土方とありすの目の前で、芹沢鴨はついに羅刹と化した。

瞬く間にその髪は白く染まり、瞳は真っ赤な血の色に染まる。
間髪入れずに刀を抜けば、土方に襲いかかった。

「土方さん、後ろ!」

ありすの一声によって、なんとかその刃を受け止める。
あと一歩遅れていたら、間違いなく背後を斬られていただろう。

一方でありすにもそんな余裕はなかった。
大分数は減ったとはいえ、まだ生き残る羅刹相手に苦戦を強いられていた。
土方の助言のおかげで時折羅刹を仕留められるようになったが、思ったよりも体力を消耗していた。呼吸が荒くなっているのを感じる。

「ありす大丈夫かっ...て芹沢さん!?」

中庭で戦っていた他の隊士たちが、その事態を察知した。
斎藤が得意の居合で羅刹を一掃すると、他の羅刹たちを自分たちの方へ引き寄せた。

「あんたは早く、自室に戻れ。」

斎藤はそう言い残して、再びその混沌とした刃の音が鳴り響く中へ姿を消した。
隊士たちが優勢なのは一目瞭然だ。じきに、こちらの戦いは終わる。

心配なのは、むしろ土方の方だった。
羅刹化した芹沢鴨に防戦一方を強いられる。いつもの威勢が、腕の立つ芹沢鴨、それも羅刹化した芹沢鴨相手にだせるわけがない。

この様子では、芹沢鴨を殺す覚悟を決めたのだろう。
ありすは、土方の刀の動きからそう読み取った。
もう一度芹沢鴨の囮になってもいい、そうすればその首をとるか心臓を一突きにsることができるだろう。

そう思った。
だけど、芹沢鴨を殺すことは、ここでの自分の居場所を失うことを意味していた。

もとは芹沢鴨に気に入られた芸妓として屯所に侵入したことが始まりだった。
偶然変若水に狂った芹沢鴨側の人間からありすを守るために土方のそばに置いてもらったわけだったが、その意味もない。
下手すれば変若水や羅刹といった秘密裏のことを知ってしまった故に、むしろこっちが殺される可能性がある。
新選組だったらやりかねない、けれども。

土方はあえて自分を信頼して、このことを教えてくれた。
ならば少しは期待できないだろうか。
このままここに残してはくれないだろうか。

「ありす!ここはさっさと部屋に戻ってろ...!」

土方が遠くから大声を上げた。
明らかに苦い表情だ。ひょっとして、ひょっとするとこのままでは土方がやられる。


土方が、殺されるくらいなら。
自分の手で殺す。

自分の手で殺すくらいなら。
自分が死にたい。

自分が死ぬくらいなら。
せめて役に立ってから、死にたい。

ありすは覚悟を決めた。
この場所に残れるかどうかは、生き残ってから考えればいい。そう思った。




土方の背後、芹沢鴨の視界に入るように立った。
ありすの身を隠すたった一枚の長襦袢に手をかける。
胸元まで大きく開けば、芹沢鴨の寵愛を受けた跡がくっきりと残っていた。

芹沢鴨が「まるで絹のようだ」と言った、この肌を見せつける。

芹沢鴨の目の色が一瞬だけ変わったのを見逃さなかった。
ひと欠片でも、人間としての「男」が残っていれば、彼は反応するかもしれない。
ありすは捨て身覚悟で、芹沢鴨を殺す道を選んだ。

その一瞬をつき、土方が攻撃に転じる。
しかし芹沢鴨は、逆に脇を抜けてありすの方へ飛び込んだ。
ささやかな抵抗にしかならない仕込み刀を取り出し、構える。
せめて綺麗に死ねるように。そのくらいのつもりだ。
一切攻撃する気は、ない。あくまで囮になると決めたからだ。

「ありす、お前何やってやがる...!」

土方の声は、聞かないことにした。

猛烈な速さで、まるで野獣が獲物に食らいつくかのように、ありすに襲いかかる。
構えた仕込み刀は案の定何の役にも立たずして、ありすは壁に押し付けられる。
芹沢鴨はそのまま壁に押さえ込んだありすの肌を舐め上げる。

相変わらず、嫌な感触だ。
土方の首をとる機会を伺えないまま、ただひたすら毎晩芹沢鴨に啼かされた。
おそらく新見や平間が羅刹化したあたりだっただろうか、その頻度は少なくなったが、まさか今晩このような形で最期を迎えるとは思ってもいなかった。

きっとこのまま土方が背後をとって、芹沢鴨の心臓を貫く。
そうすれば自分の身もただでは済まない。
さっぱり芹沢鴨と共に死ぬか、手のつけようもない重傷を負って苦しみながら死んでいくか。できることなら前者がいいけれど、それは芹沢鴨次第である。

うっすら目を開ければ、土方が刀を構えるのが分かった。
結局自分が殺さなくてならなかった相手に、殺されるとは。

しかし皮肉なことに、それがありすにとって何の苦でもなかった。

ひゅっ、と刀が空気を切った。
ありすは目を閉じる。
どうか、せめて楽に死なせてくれれば、と願った。
それと同時に最後の抵抗として、愛用の仕込み刀を芹沢鴨の首にあてる。

鈍い血が噴き出す音と、その匂いがあたり一面を覆い尽くした。













「....女がそんな、物騒なもん振り回すんじゃねーよ。」

柔らかい土方の声で、ありすは目を開けた。
不思議と痛みはない。それどころか、絶命しているのは芹沢鴨だけだった。

「私....どうして?」

ありすは気がついた。
土方の刀は確かに芹沢鴨の心臓を貫いているが、その剣先はありすの脇腹のすぐ横の壁に刺さっていた。

「まったく、無茶なことしてくれるぜ..。」

大きくため息をつくと、その刀を引き抜いた。
芹沢鴨はそのまま灰となると、あっという間にありすの目の前から、消えていなくなった。

土方とありすの間にいら芹沢鴨が消え去ることで、真正面から向き合う形となった。
しかも芹沢鴨にあてていた仕込み刀の腕が硬直して動かない。
まるでそれは、土方の首にあてられているようだった。
恐らく今なら、土方の首をとれる。

だが自分の身を捨ててまで守ろうとした土方の命を、今更奪うことはできなかった。
そしてありすがここにいる理由も、なくなった。

硬直した手が、震える。
どうしたらいい、私はまた元の場所に戻されるのだろうか。

(新選組が好きだ、私は土方さんが好きだ)

「....おい、泣くな。」

知らないうちに、涙がありすの頬を伝った。
そっと土方の手が、ありすの頬に触れる。

「度胸があるのかないのか、分からねぇな。」

何事もなかったかのようにありすの長襦袢を直すと、頭をそっと撫でる。

「怖い思いさせちまって、すまなかった。」

とにかく今はそういうことにして、ありすは思いっきり土方の胸の中で泣いた。









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