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ワタルを着付けてウィンターパーティーに見送る


一年の終わり、12月になるとセキエイ高原は最難の地に相応しい厳しい冬に閉ざされる。荘厳な岩門を開き資格ある挑戦者を受け入れるセキエイリーグが、唯一閉じる季節がやってきた。

空は厚いグレイの雲に覆われて、降り積もる雪が音を掻き消し…リーグへと続く試練の道が過酷を極めるためだ。予想危険レベルが規定値を超えると、チャンピオンと委員会判断を持って門は閉ざされる。そうして年が明けるまで門は閉じられ…冬化粧が施された山の雪が解けて大地へと流れ、太陽の恵みの下で新芽が芽吹くころ。

岩戸の開闢を告げる鐘の音と共に、ポケモントレーナー最たる祭典マスタークラス・セキエイ大会の開催が宣言される。万の花火と千の歓声、世界各国から集まったポケモントレーナーが一斉にセキエイリーグの門を潜る様子は壮観の一言だ。

____というのは、年が明けてからのはなしで。今これからはじまるのは、そんな夢のような日々を前に慌ただしく過ぎる年末のおはなしである。




「クゥゥル クゥゥル」

深い水の洞窟の奥深くから響くような歌声。その音色に深い眠りに落ちていた意識が少しだけ浮遊したのが解ったのか、仕上げと言う様に冷たい舌がべろりと頬を舐めた。

「ちべ たっ」
「シッ」

驚いて飛び起きれば、反対側から冷たいものがまたべろり。布団の中を満たす優しい暖かさが恋しくて無意識に戻ろうとするわたしに、そうはいくかと二匹は更にぺろぺろとわたしの顔を舐めたてる。

「う、う ごめんなさい、起きた! 起きたから、ねえ おはようシャワーズ、グレイシア」

ベッドの上に乗り上げてじっとこちらを見つめてくる挨拶すれば、満足したように二匹は喉を震わせて体を寄せてきた。ぐりぐりと匂いを擦り付けるように頭体を押しつけてくるのはイーブイの時からの癖で、昔はあんなに小さかった毛玉が…と感慨深い気持ちにさせられる。

「昨日はボールに入っていた筈でしょう、さてはワタルさんにおねだりしたのね」
「クン!」

しれっと前足を舐めるシャワーズはともかく、どこか誇らしげに胸を張るグレイシアの憎たらしいこと。ワタルさんがシンオウ地方の極寒の荒地に連れて行ってくれたおかげで、立派なグレイシアになれたことは忘れているようだ。

ちなみに、氷に覆われた大岩に突撃せんとワタルさんに抱えられたまま必死に四つ足で宙を掻いている姿はマヌケで、今でも彼の名場面集として大事に保管している。

(さむい…)

畳んで置いていたストールに身をくるんで、そっと寝室を出る。続く居間にはストーブが灯されていて、暖かい空気に包まれていた。襖を開けて廊下に出ると、とたんに冷たい空気に包まれる。今すぐ居間に戻りたい気持ちを抑え込み、はあと息をついてガラス戸の向こうを見る。

雪の白に覆われた世界に揺れる、焔のように赤い髪。朝の調整中のようで、彼のポケモンたちがみな顔を揃えていた。寒さを感じないというような堂々たる振舞いでワタルさんの指示に従っている様は、感嘆の一言だ。

しばらく見守っていると、少し離れた場所に座りしていたカイリューがわたしに気づいた。咄嗟に声をかけようとしたが、ガラス戸が閉まったままであることに気づく。…開けて声をかけることも考えたが、ワタルさんにポケモンたちがいる時はなるべく近寄らないようにとお願いされている。ドラゴンポケモンは取り扱いが難しい、わたしが不用意にした行動の何が彼らを刺激するかわからない。

どうしようかと考えている間にカイリューがワタルさんに声をかけたのか、庭石に止まるプテラに向き合っていた彼がこちらに振り返った。空を覆う雲と同じ色の瞳が、わたしを見て笑った。それが嬉しくて、何か彼に伝えたくてしょうがない気持ちにさせられる。どうにかできないかと周囲を見渡していると、ふとガラスを伝う結露に気づく。

(そっか  ___お、)

指でガラスをなぞり、言葉を文字にする。『おはよう』伝わっただろうかと胸を高鳴らせてワタルさんを見れば、彼は少し目を丸くした後おかしそうに笑う。何がそんなに面白いのだろうか、不思議に思っていると掌でサインをくれる。指を合わせた掌を何度かひっくり返しては戻しと…「あ」

そうか、鏡文字。ワタルさんの方から読んで欲しいなら、反転して書かないと意味がない。

失態に気づいてカアと顔が赤くなった。…イキっていた自分が恥ずかしい、慣れないことはするものじゃないな。慌ててパジャマの袖で文字を消していると、こつとガラス戸を叩く音がした。

顔を上げれば、いつの間にかそこにはワタルさんがいて。指でくいと口元に視線を誘導される。

(___『お』)

『おはよう』
伝えてくれた言葉を理解して、胸の内側が暖かくなっていく。いますぐ戸を開けて抱きしめて欲しい衝動に駆られるが、ぐっと我慢する。突然体を強張らせてむうと目をつむったわたしが不思議だったのか、ワタルさんが不思議そうにガラス戸に身を近づけた。

「えっと、  ご・は・ん・じゅ・ん・び・し・ま・す」

ゆっくり口を開けて伝えれば、ワタルさんがうんうんと頷いてくれた。

「か・ぜ・ひ・か・な・い・よ・う・に ね、」

ワタルさんが眩しそうにわたしを見て、ひとつひとつ言葉を読み取ってくれている。しっかり頷いて返してくれたので、わたしは嬉しくて笑った。…もう、廊下に冷たさなんて気にならないほど暖かくなっていた。





「ひと段落したら、お風呂に入ってくださいね」

ほかほか白米を口に運んでいたワタルさんがぴたりと止まる。そうして静かにカレンダーを見た、すぐに意図を察したのか途端に不機嫌な顔をする。

「……そういえば、今日だったか」
「はい、パーティー用の服も届いていますよ。デザイナーさんにきちんとレクチャーして貰ったので、腕によりをかけて仕上げてみせます」
「朝餉だけで十分だよ」

彼の故郷に合わせた味付けが気に入ったのか煮物鉢がもう空きそうだ。ストーブの上で沸かしていた薬缶が笛を吹いたので、箸を止めて暖かいほうじ茶を準備する。ちらりと盗み見たワタルさんは、顔に乗り気でないと書いてあるようだった。

「お洋服とってもカッコよく仕上がっていますから、きっとパーティーも楽しいはずです」
「俺を楽しませたいなら君も出席すればいい、毎年招待状は渡しているだろ」

予想外の反撃に、うぐと言葉を詰まる。そんなわたしを見て、ほら見ろと言うようにワタルさんが難しい顔で汁椀を傾けた。

…冬の終わり、最後のお仕事。カントージョウト地方合同で、二日に渡って開催されるパーティーがある。一日目はリーグ委員会、経営、地方自治に関わる小難しい役職陣を集めて行われるが、二日目はトレーナーのみが集まり情報交換場を称した忘年会のような集まりがある。

手配されるホテルはパパラッチ対策の為、全面貸し切り。多忙なトレーナー職では稀な(実質)休みな上、豪華なホテルがリーグ費用持ち。立場が同じ故か、盗撮や根も葉もない噂を立てるようなトレーナーはいないため、みな気兼ねなく身内や親しい相手を招待するらしい。

「二日目はパーティーと言っても形式張ったものじゃない、皆ホテルで自由に過ごす。バトルフィールドでランダムマッチをしたり、酒を挟みながら話したり色々だ」
「わたしみたいなタイプ相性も覚えてないトレーナーが、トップアスリートの集まる場所に参加するなんて」
「まだ自分のポケモンもいない、こんな小さな子も来るぞ」

そう言って、座卓の少し上を掌で示して見せるワタルさんに続く言葉が引っ込んでしまう。そんな小さい子なら…逆に物怖じしないといいますか…!そんなわたしに追い打ちをかけるように、ワタルさんが続ける。

「イブキも来る、まったく知らない相手ばかりじゃないだろう」
「ぐう」
「ぐうの音が出たな、降参する気になったか」
「…う、」
「う?」

じっと、ワタルさんのグレイの瞳が見つめてくる。この途方もない熱を孕んだ目が苦手だ、つい言うことを聞いてしまいそうになる。それが解っているから、彼もわたしから目をそらさない。

「…でも ドレスとか、ないで」
「用意してある」
「……… え?」
「実を言うと、君がいつ心変わりしてもいいように毎年用意していた。当然今年も、」
「さささ サイズはどうしたんですか!」
「寝ている間に測った」

なんていう人だ!
しれとネタバレをして食事を続けるワタルさん、わたしの頭はもう真っ白だというのに。隣で呆れたようにシャワーズが鳴いた、まるで諦めろというように前足で叩いてくれる。ぐうう…否定の言葉も疲れ果てた、観念して湯呑を渡せばワタルさんが「ありがとう」と受け取る。

良い笑顔、背中におこぼれを狙って目をキラキラさせているグレイシアをずっと張り付けている男とは思えない用意周到さであった。いい加減離れなさい、まったく。




「シャツとズボンは吊るしてあるものを着てください」
「ああ、髪はもう上げてしまっていいのか」
「お願いします」

風呂から上がったワタルさんに、デザイナーさんから届いた礼服をひとつひとつ着せていく。そもそもワタルさんには専門のデザイナーがいて、毎年役職にあわせてデザインをしてくれている。だが、何かにつけてその服を纏うことをワタルさんが厭うとスタッフさんは困り果てていたらしい。そんなスタッフが最終兵器として目につけたのがわたしだ。わたしの今日のお仕事は、最低限着付けをしたワタルさんをホテル在中の服飾担当スタッフに受け渡すこと。

バスルームから出てきたワタルさんを椅子に座らせて、ウイングカラーより少し襟が高いシャツにタイを回す。教えてもらった通りまずは首に一巡してから長さを揃えると、「苦しい」とワタルさんが煩わしそうに指を差し込んで緩めようとする。

「いつものスーツと同じじゃないですか、我慢してください」
「…」
「いま集中しているから触らないで」

椅子に座っているだけは暇なのか、掌でわたしの腿を撫で始めたのできっぱり拒否する。手は引っ込めてくれたが「キスは」とふざけたことを言うので、きゅっとタイで首を絞めておいた。小さな声で「ごめん…」と謝るくらいなら、最初からしないでください。もう。

「去年のナポレオンジャケットも似合っていましたけど、今年のデザインも良いですね」
「去年は『一昨年の内合せのジャケットが良かった』と言っていた気がする」
「ひとつなんて選べないです、デザイナーさんはワタルさんがどういう服を着れば魅力的になるか良く解っていますね …あ、もちろん着ている人がとてもカッコ良くて素敵ということもありますけど」
「褒め上手だなあ」

太い首筋を隠すようにタイを巻き付けて、ベストの中でヨレないようにタイタックを止める。シックな色合いでまとめられた礼服とは違い、ピンに施された一粒の宝石は彼の髪と同じ…鮮やかなピジョン・ブラッドだ。最後にコートを羽織ってもらい、肩のぺリースを止めて崩れないように背中に流す。裏地に使われている真紅は、彼が普段愛用しているマントのデザインになぞらえたものだろうか。施された微細な刺繍は、細かい意匠ながらワタルさんらしい力強さを感じてとてもよくそぐう。

「寒いだろうとファーも」
「待て待ていらない、俺はもうチャンピオンじゃなくて四天王だ。そんなものをつけて派手に着飾っては、品がないだろう」
「ワタルさんならそういうだろうということで、デザイナーさんから伝言です。『安心してください、チャンピオンに用意した礼服に比べればファーなんて霞みます』と、」
「…他人事だと思って、」
「数十年ぶりの新チャンピオンですから、ワタルさんの紹介ということもあってスタッフさんたちも張り切ったそうですよ。新しいチャンピオンくんは、ワタルさんと違ってファッションに拘りがあるからやりがいがあったと言ってました」

わたしはまだお目にかかったことはないが、新チャンピオンはかなりエネルギーに溢れた少年らしい。だが幼いながら義理人情に厚く、ファッションセンスも良いと褒めていた。未熟で粗削りな部分も見えるが、それもワタルさんが後ろ盾にいるならば心配ないだろうと。

「チャンピオンの服は未だ見てないんですか」
「いや、…最終確認もしている。 そうだったな…確かに、あれに並べば…」
「着けますね」

記憶を思い出してぶつぶつ呟いているワタルさんの肩口にファーを着ける。手触りがいいので、頬に触れてもそれほど気にならない筈だ。…あ、でもくすぐったいかな。

最後に…金色のドラゴンを象ったブローチを着ける。__ブーツこそまだ履いていないが、それでも完成されたといって過言ではない男が座っていた。確かに去年のチャンピオンとしての礼服に比べるとダークトーンで落ち着いているが、彼の壮観な顔立ちに良く似合う精練された意匠でまとめられている。

ほうと感嘆の吐息を零せば、ワタルさんがわたしの手を取って聞いてくる。

「どうだ、君の恋人は」
「今夜パーティー会場で一番素敵な人は、間違いなくあなたです」
「それはそれで困るな、俺はもうチャンピオンではないのに」
「ふふ、そんなこといって」

ワタルさんの腕が腰に回って、浮かせるようにして軽く抱きしめてくれる。いつも土と太陽の香りがする人から、甘いムスクな香りがする。それが酷く背徳的で、…彼をそうしたのは自分だと思うとなんだかぞくぞくした。それはワタルさんも同じなのか、イタズラな手が何かを暗喩するように背筋をなぞった。

「キスを」
「ダメです」

いったいどれほど時間をかけて用意したと思っているんだ。さっさと離れるわたしを恋しがるように、ワタルさんの手が中途半端に止まっていた無視だ。ここでわたしがオーケーを出そうものなら、礼服がシワになるほどに触れあおうとするのは目に見えている。





「忘れ物はありませんか」

自宅まで呼んだタクシー宿泊の荷物を受け渡し、最後の確認をする。休眠ボックスから取り出したボールをホルスターに備えたワタルさんが「ああ」と玄関に出てきてくれる。

「いや、忘れているか」
「え」
「シノノメ ミシャ」

惚けたことを言っていないで、と言おうとした唇は彼の指に封じられる。ゆっくりと唇をなぞりながら、ワタルさんは聞き分けのない子どもに言い含めるように言った。

「ドレスと宝石はリーグスタッフに渡してある、君の準備を手伝ってくれるようにとも。ホテルに着いたら連絡をくれ、すぐに迎えに行く」
「…はい、」

わたしの答えに満足したのか、ワタルさんがくすりと笑って身を屈めた。すわキスをされるのかと身構えたが、ワタルさんは何かに気づいたように止まり…そっと体を戻した。不思議そうにするわたしの頬を指でなぞり、秘密を教えてくれるように囁く。

「後に取っておくことにする」

そういって、赤を纏った王様は家を後にした。ドキドキと煩い心臓の音は彼に聞こえていなかっただろうか、身が疼くような煩悩を部屋に残るワタルさんの残り香が擽る。数時間後に会えることが、あれほど不安だったのに…今は恋しくて堪らないのだから。我がことながら、本当に難儀な相手に惚れてしまったものだと思う。

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