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ワタルさんといると不幸になるそうなので




「アンタ…今の男と付き合っていたら不幸になるよ」

ビシィ!と、しゃがれた指を突きつけて、その占い師は断言した。

「そ、そんな…ことは…」
「ナイって言い切れるのかい!?ならなんでワシに占ってもらいにきたんだい、えぇ゛!?」
「バリバリバァ〜!?」

もっとしっかり否定したいのに、出てくる言葉はしどろもどろ。そんな弱気なわたしに畳みかけるように、路上占い師の老婆は言う。

「男の性格に難ありだね、自分勝手で仕事にかっこつけてアンタのことなんておかまいなし。いつも放っておかれるくせに、『仕事だからしかたない』なんて自分に言い聞かせて何から何まで世話を焼いているんじゃないのかい。そんなの恋人なんて言わないよ、精々金払わなくて済む都合の良い家政婦さ!!」
「バリヤ〜ド」

老婆言葉に合わせるようにして、バリヤードが怪しく揺らめいて踊っている。

「このままじゃアンタの心はガラスのように砕け散ってしまうよ、無神経な男はどこまでもズカズカあんたのテリトリーに上がり込んで今の生活から仕事、大事なもんを何から何までぜ〜んぶ奪って行っちまう」
「バリバ〜リ」

「アンタに残るのはみじめな自意識とこれっぽちのプライドだけ。でも男はアンタを顧みちゃあくれないよ、男にとって大事なのは世間体と自分がどうしたいか。アンタの気持ちなんてしったこっちゃないのさ」
「バリヤ〜バリヤ〜〜〜ド」

「富も財も奪われて、大勢の前で恥をかかされる未来がみえる!アンタが泣いても男は決して振り向いちゃくれない、そこから待っている生活は地獄だ_____」
「バリッ!?」

「心しておくんだね、正しく幸せになりたいなら今すぐそんな男とは別れるべきだよ」
「あのぉ、ちょっと良いおばあちゃん? ここ商売をするためには許可書が必要なんだけど」

_____凄まじい衝撃だった。
老婆から言われたことが頭から離れない。わたしは呆然自失としたまま、ふらふらと家路についた。後ろの方で、老婆とジュンサーさんが何やら揉めているがそんなのどうでもいい。大切なのは、いま老婆に占ってもらった結果だ。


(____都合の良い、家政婦)

ずしりと、その言葉が心に重く圧し掛かる。
…思ったことがなかったわけではない、想像はできたけど認められなかっただけ。だってそんなことを思う人じゃない、誠実で実直な男の人だと信じていたから。

(わたしのことなんて放ってばかりで、でも仕事なら仕方ないって言い聞かせて)

それでも彼の助けになればと。必要な生活用品があれば補充して、土日には食べれそうな食事を作ってタッパーに詰めて、部屋の換気をしてお掃除もして、回覧板を回して____ああ、そうか。

(わたしって、恋人じゃなくて)
______こんなの、ただの家政婦だ。

『不幸になるよ!!』
老婆の声がリフレインする。さあと血の気が引いた、多くの人が行きかう道の中でひとりだけ取り残されたような心地だった。冷たい冬の湖に突き落とされたように、寒くて体が震える。ああいやだ、わたしは。




(不幸になんてなりたくない……!)
____でもそのためには、ワタルさんの手を放さなければいけない。




ワタルさんの大きな手が好きだった。わたしの脂肪ばかりでぶよぶよの手とは違う、沢山の人とポケモンを助けてきた大きくて暖かい手。傷だらけで皮が分厚くて、たまにささくれが刺さって痛いけれど。少しでもわたしがビックリすると、ワタルさんは困った顔をして大丈夫かと聞いてきてくれる。

優しい人、温かい人、強い人。
だからこそ___わたしは彼にとって必要なものになれなかった。

(……今日も、来てしまった)

どんと。目の前に聳え立つワタルさんの家、リーグと近いからという理由で買い上げた民家らしく、必要最低限しか帰宅しないという理由であまり改修はされていない。年季が入った古いばかりの家だけど、庭が広くドラゴンタイプのポケモンたちが羽を伸ばせるから気に入っていると、言っていたのを思い出す。

(…止めよう、考えるの)

だって、今日はわたしの誕生日じゃないか。めでたい日に、暗くなることばかり考えていては損だ!

今夜は帰れるようにするとワタルさんから連絡がきている。忙しい時間の合間を縫って、わたしのために帰ってきてくれるというのだから出迎えの準備をしないといけない。

「フシギダネ」

モンスターボールを投げると、赤い閃光と共に頼もしいパートナーが飛び出してくる。ふるりと頭を振って、イチジク色の大きな瞳でわたしをみると元気よく挨拶してくれた。

「お掃除手伝ってくれる? ワタルさんが帰ってくるまでに済ませないと」
「ダネッ!」

その笑顔に、僅かに心に残っていた蟠りも晴れていく。そうだね、笑顔でいないと。今日は大事な日なのだから。いつだって笑顔でわたしを励ましてくれるフシギダネには、本当に感謝しようがない。

フシギダネがツルを伸ばして高い所を掃除してくれる間に、部屋の換気をすべく窓を開けて回る。ワタルさんが唯一使っている居間と寝室には、少しだけ生活の痕が見えた。どうやら最後に訪れた日から、何回か帰宅しているらしい。

(えっと、こっちは公共料金の支払い…明日までか、後で払ってきちゃう。こっちは個人宛、解らないから触らないでおこう。まとめていつも通りテーブルの上に)

ワタルさんはセキエイリーグのチャンピオンとして、各地から要請を受け忙しなくカントージョウトの端から端までを駆け回っている。リーグに戻れば決算や承認を通さないといけない書類が山のようにあり、仮眠室で僅かな時間睡眠をとってはまた出かける。

常人ならあっという間に体を壊しているであろうルーティン。それでもワタルさんは嫌な顔一つしない、だからわたしもそのお手伝いがしたいとおもって…、

(つい、お世話を… いや、頼まれた訳でもないもの。わたしが勝手にしているだけ、)

自己満足なんだろう、ワタルさんがそれについてどう思っているのかなんて…知らないことに、今更気付かされる。その事実に、ズキンと胸の奥が悲鳴をあげた。

掃除をしていた手が止まったのを不思議に思ったのか、すぐ隣までフシギダネがやって来た。ちょんとツルで肩を叩かれるまで気づかなくて、フシギダネが不思議そうな…心配そうな顔で、わたしを見上げていた。

「だ、 大丈夫、なんでもない。占い師の人に変な事いわれて、ちょっと気分が沈んじゃってたみたい」
「ダネェ…」
「心配しないで、わたしは大丈夫よ」

フシギダネに言って頭を撫でてあげる。ああ、違う本当は。止めて。本当はそうじゃないでしょう。違う、ちがうったら。違うよね。_____違くない、


そうやって、自分に言い聞かせたんだよね









「_______違う、って」

目が覚めた。いつの間にか机に伏せて眠ってしまっていたらしい、隣にぴったりと寄り添ってフシギダネが寝息を立てている。雨戸の開いたお庭は既に夜の色に染まっていた、どこからともなく聞こえてくるホーホーの声をぼんやりと聞く。

(…ご飯、無駄になっちゃったな)

見上げた時計は、既に12時を回ろうとしていた。キッチンに用意した食事は全て片付ける必要がありそうだ、日持ちしそうなものはパックに詰めて冷蔵庫にいれて。今日中に食べないといけないものはわたしが持って帰って家で_________、

(いつまで、)

_____いつまで、こんなことを繰り返すんだろう。

もう涙もでなかった。ただただ苦しい、息ができない。ワタルさんから連絡のひとつこないスマートフォンも、それでも彼のために何かしようと自分をないがしろにする自分も。………全部、大嫌いだ。

「わたしは、こんなことのために、」

産まれてきたんじゃない、わたしは。

_____『不幸になるよ』
…しあわせに、なりたい。

その幸せは、ワタルさんが繋いでくれた手の先にあると思っていた。でも違う、そこにあるのはきっと…“わたし”のしあわせじゃない。“ワタルさん”の幸せだ。

(このままじゃダメ、)

きっとわたしはダメになる。ワタルさんも…そうかは解らないけど、こんな関係は終わらせるべきだ。零れ出そうになる涙をのみ込んで立ち上がる。フシギダネがびっくりして起きたけど、ごめんなさい今は少しだけわたしのために動かせて。

戸棚から引っ張り出したメモ帳は、新聞屋のおじさんが置いて行った社名が入ったシンプルなもの。それにボールペンを走らせる。ああ違う、これも違う。なんども書き直して、書き損じをゴミ箱に捨てて____そうして出来た書置きを、ベッドの上に置いた。

テーブルの上だと気が付くか解らない、この家は寝に来るだけと言っていたからベッドの上の方が確実だ。ふいに、ちりと金具が髪をひっぱるのを感じた。…どうやら眠っている間にネックレスが髪に絡まったようだ。

(これもいらない)

ワタルさんがくれたネックレス、今思えばワタルさんがわたしにプレゼントしてくれたものはこれが最初で最後だった。何年も大事に着けていたけれど、これももう必要ない。

むしり取るように金具を解いて、メモの上に寝かせる。銀色のネックレス、わたしに似合うと思ってと。すこし照れ臭そうにワタルさんが渡してくれた。その日のことを今も鮮明に覚えている、…きっとわたしばかりが、ワタルさんを。あの人を愛していて、

でもそれだけではダメ、ならわたしのことは誰が愛してくれるの。わたし以外に、誰がわたしの悲鳴に気づいてくれるというの。


「さようなら、」


もう二度と、会うことがありませんように。
悲しそうな顔をするフシギダネを抱きしめて、モンスターボールに戻す。遺恨を残したくなくて、家はきっちり片付けておいた。最後にカギをかけて…郵便口に投げ入れれば、終わりだ。

(バイバイ、)

わたしの恋心、名残惜しさは全てここに捨てていきます。
投げ入れたカギが、玄関に落ちて乾いた音を立てた。その音と一緒に、これで終わりと恋心に蓋をする。







それからというもの、わたしの生活は見違えたと思う。

これまでワタルさんのために使っていた時間は、すべてわたしとフシギダネのために費やした。土日は寝坊してゆっくり起きる、好きな時間にご飯を食べて気がむいたら2人で公園に散歩にでかけた。

しっかり休みをとっているからは、平日の仕事は捗ったし。誘いを断ることの多かった友人たちに自分から声をかけてランチやショッピングに誘った。彼女たちも思うところはあっただろうけれど、快くわたしを迎えてくれたのは幸運だった。

順風満帆、それに尽きる。
同僚には『まるで憑き物が落ちたみたいに明るくなった』と言われたのだから、その…なんというか複雑な気持ちだ。

ワタルさんと過ごした時間は特別だった。何よりもかけがえのないものだったし、彼なりにわたしを大事にしてくれていたのだと思う。ただ想い描いた関係性が違うから、それはいつしか互いに重しになってしまっていたのだろう。

(…と、本人に聞いたわけではないけれど)

なにせあの時のわたしは、今思えばかなり怒っていたようで。勢いのままスマートフォンを壊して、完全にワタルさんとの連絡手段を断ってしまったのだ、物理的に。そのせいで、あのメモを彼が読んでくれたのかも分からず仕舞い。

だがお陰でずっと欲しかった最新機種に変えることができたのだ、ラッキーだと思うことにしよう。それにそのまま持っていたら、未練がましくいつまでも連絡先を消せずにいただろうから。これで良かったのだ。

____『で、そうしたら彼なんて言ったと思います?わたしといるより、ウソッキーといた方がマシって』
____『なんやそれ〜〜!?』
____『アハハハ!』

ぼんやりとテレビを見る、何が見たいという番組はなかったので暇つぶしだ。平日の連勤を終えた金曜日、明日はどんなことをしようかと考える。フシギダネの新しいアクセサリーを買いに行こうか、たまにはお菓子作りをするのも良い。そういえば、この前あそこのお店が新装開店するって言っていた美味しいメニューができているかもしれない。

やりたいことを上げればキリがない。なにをしようかと考えながら、クッションの上で眠るフシギダネの耳を撫でる。指で根元をカイカイしてあげると、気持ちよさそうにごろごろと喉を鳴らした。その様子はとても癒される、ほんわかとした寝姿にわたしまで眠くなってきてしまった。

(少し早いけど、寝ようかな…)

抱えたクッションの顔を埋めながら、ぼんやりと考える。
____そんな風に寝ぼけていたからだろう、わたしは予期せぬ来訪者に気づくのが遅れてしまった。いや、気付いていたらどうにかできたかって、それは定かではないけれど。

ドスンと、重いものが落ちるような音に目が覚めた。
咄嗟に音のしたほうを見る、___ベランダだ。カーテンをきっちり閉めているからわからないけれど、鳥ポケモンでもぶつかったのだろうか。

ドキドキする心臓を抑えていると、ぼんやりと起きたフシギダネが何かに気づいたようにベランダへと駆け寄る。その姿にぞっとする、まだ何がぶつかったのか正体が知れない。ポケモンではなく泥棒の可能性だってあるのだ。慌ててフシギダネを呼び戻そうとしたが、それよりもフシギダネがツルを伸ばしてカーテンを開く方が早かった。


「_______ぁ、」


そうしてベランダに見えたものに、わたしは正しく言葉を失った。夜の空を裂くように広がる三本爪の翼、獰猛な光を宿すポケモンを、慣れた手つきであやす傷だらけの手。

忘れられるはずがない____脳裏に焼け付いて離れない、真紅の髪。

「ダンネッ!」

フシギダネが一際嬉しそうに声を上げた。トントンとツルでガラス戸を叩くのを見ながら、ベランダに降り立ったひとは笑って手すりに止まっていたプテラをボールへと戻した。そうしてフシギダネに向き合うと、目線に合わせて指でガラス戸を叩き、そのまま視線を誘導するようにして内側のロックを小突く。

___開けさせようとしている、ガラス戸を。
賢いフシギダネが意図に気づいて、ツルを内側のロックへと伸ばした。その様子に頭が真っ白になり、わたしはフシギダネの上に半場被さるようにして、その行動を止めた。

「ダッ ダネ〜?」
「ご、ごめんね。少し大人しくしていて、おねがい」

いつも素直なフシギダネが駄々を捏ねるように四肢をバタつかせた、それを抑えてそっとガラス戸から離れる。___彼が、硝子越しにこちらを見ているのが解る。視線を合わせたら最後、なにもかもいうことを聞いてしまう気がして…目が、あわせられない。

(…お願い、帰って)

はやく、はやく帰って。お願い、居なくなって。祈るような気持ちで繰り返す、___だが終わりはやってくる。ガンッと、突然響いてきた大きな音に驚いて顔を上げてしまったのだ。すわガラスを叩き割ろうとするほど大きな音であったのだ、見ないでいることなんてできなかった。

視線が合う、ワタルさんが____わたしを見て。シッシと、手を払った。

「…?」

シッシと手を払って、え。下がれ、という仕草に見える。だが、どうして。
混乱している間にも、ワタルさんはさっさと何事かを始める。

@ 上着を脱いで
A 腕に巻き付けて
B 背を向けて肘で位置を確認して
C せーの

「_______!!!?」

何をやろうとしているのか察して、さあと血の気が引いた。慌ててフシギダネを抱えて下がるのと、ワタルさんが振り下ろした肘が…ガラス戸を叩き割るのは同時だったと思う。

バキンっと、凡そ日常生活で聞いたことのない音に腰が抜けた。リビングにガラスの破片がパラパラと落ちている、そうして空いた隙間からワタルさんが腕を通してパチンと内カギを開けた。からりとガラス戸が開くと、少し冷たい秋の夜風が室内に入り込んでくる。

『不幸になるよ』

ワタルさんのブーツがガラスを踏んで、ぱきんと音を立てた。人の窓ガラスを叩き割って侵入してきたとは思えないほど、ワタルさんは悠然としていた。頭の中に老婆の警告が蘇る、___ゆっくりとわたしを見止めるグレイの瞳。

その瞳になぜか、わたしは大型ポケモンを前にしたむしポケモンの気持ちにさせられる。ああ、なにかとんでもないものを怒らせてしまったという後悔が押し寄せて。意味もなく頭を地面に擦りつけて謝り倒したくなる。なにもわたしは悪いことをしていないというのに。

「…ミシャ、」

その声に、びくりと体が震えてしまう。忘れようとしていた声、…いや、確かにさっきまで忘れていた声なのに。どうしてこんなに嬉しいんだろう、

(いや、)

パキリと、ワタルさんが進む。わたしの方に来る、視界の隅に彼のブーツの先が見えた、その瞬間頭の中の何かがプツンと切れるのを感じた。

「こ、 ____来ないでください!!」

我ながらヒステリックな叫びだったと思う。だがワタルさんには効いたようで、ぴたりと彼のブーツが歩みを止める。その様子に僅かな勝機を見て、わたしはフシギダネを抱えたまま立ち上がり、二歩三歩と下がった。

涙が出るのを堪えて、ぐっとワタルさんを睨みつける。
ワタルさんはそんなものどうということはないという風に、ただ黙ってわたしを見返した。その表情には微塵の揺らぎも感じられない、まるでわたしのことを相手とすら感じていないと言った様子にカッと体が熱くなる。

「どういうつもりですか、ガラスを割って入るだなんて」
「すまない、君が開けてくれる様子がないから強硬手段をとった」
「そんなこと」
「電話に出ないどころか、番号すら変えてくれた相手にどう交渉しろと」

呆れた様なため息を零す様子に、どれだけこちらが小馬鹿にされているか知れた。まるで自分が正しいとでも言わんばかりの様子に、腸が煮えくり返りそうだ。

「こんなの泥棒と同じです、警察を呼びます!」
「かまわないが、君の立場が悪くなるだけだ」
「なっ」

「ただの一般市民である君と、セキエイのチャンピオンである俺の主張。果たして警察はどちらを信じるかな」

___それは、明確な脅しであった。
つまり、彼は。ワタルさんは、こう言っているのだ。

いざ警察を呼んだとして、ワタルさんは自分の都合の良いように警察に説明する。緊急性があったとか、理由なんていくらでも着くだろう。彼はそういった時に強硬手段を取る権限を有しているのだ、理由があればその行動は必ず正当化される。

対してわたしは、何の権利もないただの一般市民。…警察がどちらを信じるか、なんて考えるだけ無駄なことだった。

言葉を返せず、フシギダネを抱きしめる。悔しい、それ以上に情けない。零れそうになる涙を必死に堪えて唇を噛むわたしを、フシギダネが心配そうに見上げる。伸ばしたツルで頭を撫でてくれる優しい子、ああでもこの子のために、わたしは_____抱きしめていたフシギダネが、目の前で赤い閃光に包まれた。

何の光かなんて言われずともわかる。フシギダネが驚いて声を上げる、だがそれよりも先に、わたしのフシギダネを掻き抱こうとする腕をすり抜けて___赤い光に包まれたフシギダネは、ワタルさんが持っているモンスターボールへと吸い込まれた。

「…ゆっくり君と話がしたい、悪いが彼には少し休んでいてもらう」

モンスターボールをスタンバイモードに切り替えて、ワタルさんは自分のベルトにセットしてしまう。それは、フシギダネを人質に取られたも同然だった。彼は自分が満足する話ができるまで、わたしにフシギダネを返さないつもりだ。

「…返してください」
「駄目だ」
「…返して、ください」
「…ミシャ、まずは話を」

「かえして!!」

こんな大きな声を出したのは、人生で始めてだ。泣叫ぶようなわたしの声に、ワタルさんが少しだけ目を見開いた。体中が熱い、頭が真っ赤になっている。込み上げてくる怒りが止まらない、叫んだせいで喉が痛いし、心臓がうるさい。

ぼろぼろと、耐え切れない涙が零れた。泣きたくない弱みを見せたくないのに、この目からこぼれる涙は、わたしの意思に反して止まろうとしてくれない。

ぐいと袖口で乱暴に拭えば「ミシャ」と、妙に生易しいワタルさんの声が聞こえた。近づいてくる気配を感じて咄嗟に下がる、だがすぐに背が扉に当たってしまう。逃げ場がない、

それでも彼の熱を感じるのが嫌で、反射的に扉を開けようと背を向けてしまった。それがいけなかった、その隙を見てワタルさんが一気に距離を詰めてくる。扉を開けようとした手にワタルさんの手が重なった、大きな手がわたしの手を握っている。その事実に、ぞっとした。

「いや」
「ミシャ」
「いや、 いやはなして」
「ミシャ、」
「いや いや、いや!」

突き放そうとするわたしの手を絡め捕って、ワタルさんがわたしを抱きしめた。癇癪を起した子どもを抑え込むような優しい力が癇に障る。逃げようとしても、扉とワタルさんの身体に挟まれてうまくいかない。足で何度も床を叩けば、身体ごとすくい上げられワタルさんの膝の上に抱えるようにして拘束されてしまう。

「…いや、 いや」
「ミシャ、俺は」
「ききたくない!!」
「……わかった」

そういって、ワタルさんはわたしを抱きしめた。その事実に鳥肌が立つ、なにもかも優しくして曖昧にしようとされている気がしたから。そんな安っぽい女だと思われている事実が、許せない。

それなのに、どんなに力を込めてもワタルさんの身体が剥がれない。力の差は歴然だった、わかっていても止められなかった。泣叫んでいる所為か、わたしの体力の限界が来る方が先で…荒い呼吸と一緒に、四肢の力が抜けていってしまう。

「……かえして、ください」

ぽつりと、そんな言葉がでた。もう涙しか流れない、悲しくて情けなくて死んでしまいたい。「かえ、してください」わたしの大事な子、返してください。それだけを繰り返す女を哀れに思ったのか、ワタルさんは少し黙った後ベルトからモンスターボールを外して、わたしの手に返してくれた。

…わたしのモンスターボール、わたしの大事な子。

もう誰にも奪われない様に抱きしめる。モンスターボールを抱いて涙を流すわたしにワタルさんは何も言わなかった、だけど決して放そうとはしてくれなかった。



「…ミシャ、」

それほどの時間をそうしていただろう。火照った体が、夜風で冷やされた頃合い。ワタルさんがぽつりと、わたしの名前を呼んだ。

「悲しませてすまない、俺も…… いや。冷静さを欠いていたのは俺だ、」
「…」
「俺に愛想を尽かしたのはわかっている、君の優しさに胡坐を掻いていた俺が悪いことも。だが、俺の前から黙っていなくなることだけはしないでくれ」

頼むから。と、ワタルさんは言う。

「愛していなくてもいい」

なんだそれは。冷静なわたしが言う、だっておかしい。愛してなくても傍にいて欲しいなんて矛盾している、そんなものにどんな意味があるというのか。相手にとっても、わたしにとっても…良い結果にならない。

「いや、」
「ミシャ」
「いや、いたくない」
「ミシャ、頼むから言うことを」

「わた、しは つらい、です」

傍にいるだけなんていや、愛してなくてもいいなんて言わないで。わたしは、……愛してくれないといやだ。

「つらい、の」

誰かを愛することがこんなにも辛いことなら、もうわたしは一生恋なんてしたくない。
ワタルさんは何も言わなかった。ただ静かな夜に、二人の沈黙だけが流れる。忘れていたテレビの声が聞こえた、割れたガラスの修理をどうしようか。考えることに疲れて、そんなどうでもいいことに考えを巡らせていると___不意に、ワタルさんが立ち上がる。

「…? わたるさ、 ___!」

ぐいと抱き上げられたので、慌てて目の前に首に縋りつく。ワタルさんはわたしが抱き着いたのを確かめると、ずかずかと部屋を歩いてテレビを消した。そうして電気を消して玄関へと向かう、外に出るつもりだ。何をする気かわからないことが怖かった、僅かに残った力で暴れてもワタルさんの腕はびくともしない。

「なに、どこへ」
「近くにホテルをとってある」
「いや!」
「窓は明日修理してもらえるように手配する、そうしたら家に帰す。だから今は言うことをきいてくれ」

わたしの返事など聞かないと言った様子で、ワタルさんは玄関を開けて外に出てしまった。扉にかけておいたカギをむしり取って、乱暴にカギを閉める。

靴を履いていないわたしは、完全に彼に抱えらえる以外の移動手段を奪われた。何を言っても聞きやしない、自分本位なワタルさんに疲れた。もう抵抗する気もなくて、わたしはくたりと彼の肩に凭れ掛かった。

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