JujutsuKaisen | ナノ

十二支縁起の唯識三世


「子ができたァ?」

すっとんきょんな声をあげた自覚はある。
呆然とする俺を前に、大岩ほどある体を小さくして首を垂れるトラは是と頷いて見せる。

本来、彼岸と此方にある存在の呪霊は生殖能力を持たない。だが俺達鬼はその理の外にある。元々は生物が化けた姿であるからして、同胞と子を成すことは可能だ。だから驚くことではない、相手が堅物を絵に描いたようなトラであっても。そう…相手が、人間の娘でなければ。

「え、 エ それって、… いけるの? てか出来たの? 初耳なんだけど」
「三葉(みつは)」

解りやすく動揺する俺を慮ったのか、トラが女の名を呼ぶ。
隣で決して顔をあげなかった娘が首をあげる。この時世にしては背の高く、逞しい顔付きの村娘だ。三葉の腕から布の塊を受け取ったトラが、それを俺に見せる。掌に転がる程度のそれを、見たことのない穏やかな手つきで触れる大鬼、その様子からもトラがこの存在をどれほど大切にしているのか知れた。

「…おうふ、これは…立派な赤子さんで」
「あうー」

布の中身は、解っていたがやはり、赤子だった。
一応三葉と呼ばれた娘に声をかけてから、赤子を腕に抱く。声をかけたとき、三葉は驚いた様子だったがすぐに頷いて見せた。気丈な娘だ、…赤子の顔にも、そんな彼女の面影が良く見て取れた。

「…うん、半妖だな。キレイに混じっている、女童か」
「はい」
「お前の目がちかちかする赤毛が薄まって、優しい春の色になっている。これはそっちの娘さんのおかげか、いやいや父親似でなくてよかったなあ!」

笑ってやれば、赤子も楽しそうに笑う。そこで漸く、トラの体から力が抜けた。
…おそらく、死を覚悟してきたのだろう。もし俺がこの存在を拒めば、その命と引き換えに赤子を護る決意であったのが窺い知れる。妻もそれを承知で、この場に連れ添ったのだ。

「しっかし、ヒトと鬼がねぇ…。前例がない、これからどうなるかは流石の俺もわからんぞ」
「承知しております」
「一応きく、人間と鬼。どちらとして育てるつもりだ」

トラは答えず、静かに三葉を見た。娘は意を決した様子で、俺の質問に答える。

「恐れながら、ヒトの子として育てたいと思います」
「なるほど、良いと思うよ。こんな大鬼相手だと何かと不便だろう、何かあれば俺を訪ねると良い。君たちくらいなら眼を瞑っても守ってやれる。なあ、トラ」
「恐れ多くございます」

ばしばしと背を叩くが、その巨体はびくともしない。まったく冗談の伝わらない奴だ。
土の上では膝が痛むだろう、三葉さんを畳の上に来るよう誘った。近くでよればその小柄さが際立つ、…本当、この大岩みたいなトラとどうやって…その…致したの? いや流石にTPO弁えてるから聞かないけどさ、めっちゃ気になる。

「名は決めたのか」
「御前、お手間でなければ賜りたく思います」
「えー、いいの?」
「よろしくお願いいたします」

パパとママの許可が下りたので、俺はふむと赤子に向き直る。
俺の胡坐の上で耳飾りの紐をぐいぐい引っ張る赤子、その髪は桃色。瞳は朱色。柔らかな春の色、しかし、その力は赤子にしては恐ろしく強い。大江山一の大鬼の子だ、今から身体能力の高さが窺い知れる。

「…明月(めいげつ)     貴族の子でもないのに、仰々しすぎるか?」

ちょっと不安になって尋ねるも、まさか!と首を振られた。
明月、と俺に名付けられた赤子は父と母に呼ばれ、ひどく不思議そうに首を傾げている。…もうちょっと愛嬌ある名前の方が良かったかな。でも舎弟の娘に、ノンちゃんみたいなノリで名付ける訳にもいかない。

「近々討伐隊が組まれるらしい、頭を務めるは源氏武者だ」
「退魔の呪具を扱うと伺いまして、名をなんと」
「源頼光」
「御前の敵になりますまい、その手が視界に納まるより先に儂が食い破りますれば」
「止めとけ、そういう鬼ムーブはもういいから。これからお前の力は俺のためでなく…その娘さんと子のために揮え。これは命令だ、俺から下す最後のものだと思え」

トラは静かに頭を垂れた。____しばらくの間、なるべく大江山から離れるように助言する。
念のための連絡伝手として、ホシの顔を見せた。ホシはあのトラが、ひどく驚いていたが歓迎した。子が大きくなり、物事の区別がつく年頃までは人里を離れ、山奥で暮らす予定らしい。行き先はトラの故郷、陸奥国。

「なら、加護を施しておこう」
「カゴ、ですか」
「ご主人様の術式よ、安心なさいな。先見(さきみ)の権能を使って、天網を読み解くの。そこに危険があれば、先に裁断(た)っていただけるわ」

術式『裁縫[[rb:演技 > ・・]]』
それは、俺が生まれたときより刻まれた生得術式とは異なる…後々、身に着けた呪法だ。先見と運命操作が主な権能…マア簡単に言えば、よく当たる占いと、厄歳を回避する助言ができる呪術だ。

「俺はね、基本的には3つのことしかできない。
 運命を断つ、裁断(サイ)。
 縁命を繋ぐ、縫合(ホウ)。
最後にその合わせ技がひとつあるんだけど…今から使うのはサイとホウ。それで君たちが健やかに日々を過ごせるように、縁ノ糸を剪定する」

呪力を束ね、明月に宿る縁ノ糸を見通す。
人も呪霊にも、縁は存在する。それは俺の耳飾りに似た朱色でどこまでも続いている。その今には枝葉のように他人とつながる結び目があり、それは糸の持ち主の後世を左右する重要なファクターとなる。それを見通し、不要なものは切り落とす。あるいは必要に応じて繋ぎ合わせていく。

「あ、途中で厄介な呪術師に見つかるじゃん。これは余分だから断っちゃおうねぇ〜。ついでに、ホシとのつながりも結(つな)げておこうか。良いよね?」
「もちろん、この子の成長を見るのが今から楽しみねン」
「…ホシよ、頼むから余計な世話はするな。明月はヒトの子として育てるのだ」
「もン わかってるわよ!」

…確かに、ホシが茶々入れるともれなくノンちゃん2号が爆誕する恐れがあるからな。
トラの懸念は最もだ、いや宿儺の育て方を間違えたとは思ってないけど。お兄ちゃんはいつでも、弟の味方だぞう。しかし内心苦笑いしながら剪定を進めていると、ぞくりと背筋が粟立った。

冷たい予感が駆け抜ける、脳裏に浮かぶビジョン。
_______元気に育った明月が、空を見上げている。

灰色の空、分厚い雲に太陽が喰われる。毎日のように駆け抜けた山が溶けて、毒の霧が世を覆う。
大鬼がいなくなる、残された母と子。そのもとに、雲の割目から首を垂れる……蛇。

______『おじさま、どうして  』

明月の言葉は、闇に呑みこまれて消えた。
そこでプツンと、糸が落ちる。…明月が死んだ。辿った糸の歳重ね十二年、その年に広がる縁ノ糸が見えない。トラ、三葉、ホシ、キン、…宿儺。すべての糸が、そこで途切れている。

(続いている、命は…)

この胸に続く、俺の糸だけ。






「ご主人様!」

________ぶわりと、時間が巻き戻った。止めていた呼吸が戻る、足が絡んで倒れそうになった。全身から汗が噴き出る、思考が儘ならない、視界が燃えるように熱い。

そのまま地面に膝をついた俺を見て、ホシとトラが言葉を無くす。当然だ、2人と出会ってからこれまで…どんな戦場でも、俺が膝をつくことなぞついぞなかったのだから。

(なんて、ことを、 )

だからこそ、俺自身これが異常であると良く解った。
過信していた、己の力を。酒に理性を溶かして目がくらみ、足元まで近づいてきている呪いに気づけなかった。壊れたフィルムのように進む未来の映像、その中にひとつ混ざった異物…道摩法師の言葉が蘇る、


八つ頭の蛇が、理性を喰い破り蘇る。
その蛇は____、俺だ。



俺は十二年後、この国を冥界へと堕とす。
大地に立つあらゆる命を食い尽くして、ただひとり生き残るのだ。












「宿儺ア 聞いてるか」

訊ねる声は、いつもと変わらない。なのにその行為だけは、ひどく不自然だ。
大江山を出てしばらく、それまで音沙汰もなかった兄がふらりと飛騨を訪ねてきた。いつものように人の目を化かす童の姿ではなく…本性の姿で。

時が経ち、力を身に着け。両面宿儺と呼ばれるこの身は、その名に相応しい化け物へと遂げた。
2mはある大柄の鬼の姿、だが本来の酒呑童子が並べばその体躯はさほど目立たない。両面宿儺の少しばかり上にある金眼赤輪の瞳。神の気配すら感じる美しいかんばせ。宿儺とは異なり布の多い服を好むため体の線は見て取れないが、その奥には指先一つで己を封じるほどの剛腕が隠れていることを嫌と言うほど知っている。

大江山の酒呑童子、その本性は龍に良く似ていた。
一見して美しい生き物だが、在り様の何もかもが尋常を超えた存在であることを知ら占める。

「これはどういう戯れだ、兄上」
「なにって…俺の術式開示だが」
「いまさら手の内を晒して何になる」

そんなことをせずとも、…酒呑童子はこの国で最足る鬼である事実は揺らがない。
開示による能力の底上げが必要ないほどに、酒呑童子の頂は確固たるものだった。これだけの力を手にしても尚、両面宿儺の牙は酒呑童子の身に届かない。その事実はひどく宿儺の身の内を焦がし、溜飲が下がらぬ心地にさせる。だが同時に、…僅かな憧憬を覚えるのも確かだ。

兄が、この世で最も優れた生き物であるということ。
___そして、自分はその兄に選ばれたという事実。

それは、情と呼ぶには聊か傲慢がすぎた。だがそれでもこの兄にとっては粗末なことであろう。それほどに、両面宿儺と酒呑童子間には超えられる何かがあった。

「宿儺、お前は頭が良い。俺よりもずっと、だから解ることは教えておこうと思ってな。この知識は役に立つ、いつか悉く張り巡らされた天網に針を通すが如くして、俺の頸を獲りなさい」
「カハッ 彼の名高き大江山の鬼頭目を超えよと。 それは至上の命題だなあ、兄上!」
「お前ならできるだろう、俺が弟にすると決めた鬼だ。その時がきたら、きちんと全ての心臓(かく)を壊せよ。二度お前にチャンスをくれるほど俺は甘くないぞ」

8つ、兄の指が体をなぞる。…そこに、酒呑童子の心臓がある。
____酒呑童子を殺すのなら、すべての核を一度に壊す必要がある。反転術式を考慮して、二度と再生できるように八つ裂きにせねばならん。それを満たす可能性がある権能を所持しているのは、…両面宿儺ただ一人。

「伏魔御廚子、捌の斬撃」
「所詮200メートルの領域、避けるのは容易い。動きを封じる手段も用意しておきなさい」
「兄上に拘束など意味がない、それより先に領域を上書きされるのがオチだ」

単純な呪力の差にしても、両面宿儺のそれは酒呑童子の足元にも及ばない。底の見えない膨大な呪力、それを手足のように繰る精密さ。最も優美な鬼と謳われるホシをして、美しいと讃えられる酒呑童子の戦姿を思い起こす。

酒呑童子の術式『裁縫演技』、極ノ番…『天網恢恢(てんもうかいかい)』。
神の領域足る命運を操(く)ることで手にした縁ノ糸を編み込み、因果の法則さえも捻じ曲げる五つの金剛杵(こんごうしょう)を生成する。その一つ一つが、この国に伝来する呪具とは破格にならない神秘を秘めており。一振りのうちに、地にある命の悉くを狩り尽くす。

(…さらに厄介なのは、まだ見たことがないもうひとつ)

酒呑童子の根源に刻まれた、“生得術式”。
____それを目にしたことがあるのは、大江山の四天王の中でもクマのジジィだけだ。それをもってして生き残ったゆえに、クマは酒呑童子に友人足りえたともいえる。

「神秘と逸話は大事だよ、たとえ虚構であったとしても数多の人の念があればそれだけで神代のそれに匹敵する宝具となる」
「兄上の頸をみ切れる逸話か、それは痛快だなあ。ぜひとも聞いてみたいものだ」
「討伐譚ってみんな好きだよねぇ、やっぱり英雄はどの世界でも好まれる。悪役は肩身が狭いよ」

物憂げに語る酒呑童子に笑みがこぼれる。よくもまあほざいたものだ、

「そういえば都の目障りであった術者。ようやく逝ったそうではないか」
「セーメイのことかな」
「そうだ、その術者だ」
「あいつとは終わり際にもひと悶着あってね、ムカつくからその話はしたくなあい〜」

ごろんと転がり、酒瓢箪を煽った。こくこくと樽酒ほどを飲みくだす様子は、いつも通りだ。だが、やはりどうにも違和感が付きまとう。その正体を探っていると、ふと気配が増えた。

「宿儺様、準備の方ができました」
「疾く運べ」
「すぐに」

ぱんと柏手が一つ。その音に合わせて式が膳を運んでくる。様子を見ていた酒呑童子が「だれ?」と間抜けな声をかけた。

「術師裏梅、腕が良いので使っている」
「裏梅ちゃん? どうも弟がお世話になってます、兄の酒呑といいます」
「オイ」
「存じ上げております、裏梅と申します」

悪ふざけで頭を下げる酒呑童子に、宿儺が殺気立つ。
たとえ冗談でも、兄が弱者に頭を下げるなど見たくはないものだ。宿儺の機嫌を察した裏梅は簡素な挨拶を終えると、さっさと下がった。…そういった察しの良さもまた、裏梅を傍に置いている理由でもあった。

「わあ、うまそ。なにこれきちんとしたご飯じゃん」
「食え、俺の膳は人肉だが」
「エ」
「兄上の膳は鬼肉だ。好みに合わせてやったぞ、咽び泣いて喜べ」

鬼の体躯に合わせた蝶足膳。雅な漆の食碗に丁寧に盛られた料理の数々。躊躇いもあったが、好機が勝り箸をつければ、確かに鬼肉の味がした。それが丁寧に根菜と合わさり、出汁までとられているから驚いた。

「え…これ、裏梅ちゃんが作ったの?」
「そうだ、稀有な腕であろう」
「いいねえ、へえー… いいな、」

もぐもぐと無言で箸を進める兄に、宿儺は内心ほくそ笑んだ。

「こういう趣向があるは思わなかった」
「なにをいまさら、兄上が言ったのだろう。食は鮮麗されるべきだと、忘れたとは言わせんぞ」
「これどこの鬼の肉?」
「鈴鹿山の大鬼、兄上と同じ神通力も繰る鬼だった。マア、俺の肉(味)には劣るだろうが、我慢しろ」
「ふはっ 違いないなあ」

話を逸らしたということは思い出せなかったのだろう、その様子には怒りよりも呆れが勝る。
鬼の肉を焼いて、山葵塩を塗したものを口に放りこむ。柔らかい、酒で下拵えをしたのだろう、臭みがなく、歯がすうと通る。え、裏梅ちゃんやばい…チートじゃんこんなん。

「トラが人間の女の子と一緒になって、子どもが生まれたんだよね」
「はあ? トラと言うのは…トラのジジイか」
「うん、ちなみに俺が名付け親〜 かわいいよ、明月ちゃん。陸奥国にいるんだけど、しばらく様子も見たいし手を出すなよ」
「つまり半鬼人か、そんなものあり得るのか」
「俺も初めて見た、この先どうなるかわからないけど トラとお嫁さんの意思を尊重するつもり」
「……いやまて、兄上が名付けただと? なんと言った」
「明月」
「…俺の幼名と随分趣が違うように聞こえるが、気のせいか」
「ほらノンちゃんは勢い半分みたいなところあったし…俺も始めてのことだったし…」

やはりこの鬼、いつかこの手で縊り殺す。口ごもる兄、そこから見える明らかな贔屓に、両面宿儺は決意を新たにしたのだった。











そんな日々が、懐かしく思うのは この現実が受けいれられないからだろうか。

「天釈(デーヴァ)」

黄金で誂えた五鈷鈴(ごこしょう)が顕現する。渦を巻く呪力、そのすべてがぴたりと止む。空気が、大気が、風が、すべての動きが鈴の音の許しとともに流転する。

______キィィィィィィイイイン
ばぐんと不可視の大礫が両面宿儺の体を押しつぶした。呪力により何十倍にも圧縮された風圧の礫、耐えきれるはずもなく無様に山面へと叩き落とされた。激痛を堪える声すら嗄れた、肉の内側で肋骨が折れ肺を破いた音がした。逆流した血が気道を塞くから舌の上が気色悪い、地に這う屈辱を滾りに変えて何とか立ち上がる。

裁縫演技・極ノ番『天網恢恢』 金剛五鈷鈴・天釈
金剛杵が一振り、広域殲滅用の攻撃術式。司る属性は風。音を媒介にしているため、この大地にいる限りその追撃から逃れることはできない。

「厄介なものばかり残しよって、この愚兄がっ」

足下に広がる血だまりが見えないとでもいうような、覇気の怒号。しかし、兄は…酒呑童子はそれに何一つ返さない。

暗雲立ち込める空に、主の如く浮かぶ鬼。額を破る角が天を目指し、その力を刻々と増大させている。いつもこちらが拍子抜けするほどに笑みを讃えていた顔からは、すとんとすべての感情がぎ堕とされている。両面宿儺は幻視する____それは、兄の体に纏わりつく凶つ毒蛇の瘴気。八つ頭のそれが、酒呑童子の核に纏わりつき、まるで愛撫するようにくつくつと嗤っていた。

「そのような畜生に体を奪われおって、身内の恥とはこのことよな」
「____」
「ホォラどうした、いつもケウケウと鶏のように煩い口が留守ではないか。この程度の児戯で、呪いの王足る俺がくたばると思うたか」

血溜まりの土を踏み躙り、迸る感情に焚き付けられ両面宿儺な身体から呪力が立ち昇る。濃厚な死の気配が、山を満たす毒酒の霧を押し退ける。

鬼には由来する性質を合わせもつ、その多くは鬼と転じる前の姿に由来する。
元来、宿儺は山蚕(やまかいこ)の性質を併せ持つ鬼だ。そう言った由来・逸話…縁のある場において、鬼の呪力は底上げされる。環境要因によるブースト。地の有利は、両面宿儺にあった。

(ないよりは、ある方がマシといったところか)

あの“酒呑童子”相手に、この程度の強化でどうにかできるとは思っていない。
だが勝機はある___どういう訳か、理性を失った愚兄。施していたリミッターが外れ、その能力差は天と地ほどまでに広がった。しかし、先ほどから何度か呪いをぶつけ合うことで分かった。…呪力操作の精度が落ちている、本能だけで操られた呪力は威力こそ凄まじいが命を刈り取るほどの致命には至らない。

酒呑童子は戦闘狂の気質はあるが、戦場において命を弄ぶことを怠慢とした。
一射必中、不用意に掌を晒すことはせず、敵は必ず一手の内に命を刈り取る。変質的な性格と言えば聞こえは悪いかもしれない。だがその相手の力量に合わせた精確無慈悲な戦姿こそが、彼が“鬼頭目”と呼びならわされる所以でもあった。

酒呑童子に、二手はない。
______なら目の前の生き物は、愚兄の皮を被った違うナニかだ。

「カヒッ 後でたっぷりと礼を頂くとしようか」

山の地底深く。この国を脈々と包む龍の血脈より吸い上げた膨大な呪力が、宿儺の術式を解し紅蓮の劫火へと転じる。

「オン ガルダヤ ソワカ」

呪印を結び、真言により呪力の指向性を宣言する。
幾重にも重なり合った炎の舌、劫火の卵から孵るは火喰い鳥。それが高らかに鬨の声をあげ、両面宿儺の手内にて二丁四筋の弓矢に転じる。

かつて彼の大国に災厄を齎した毒竜の王を喰い殺し、黄金の炎を操るとされた迦楼羅天を擬えた呪法。_____蛇の本性に呑まれ、今まさにこの国を呑み込ものうとしている酒呑童子に対して、これほど有力な逸話をもつ呪法もあるまい。

元より酒呑童子に一泡吹かせるために練り上げたもの。
ここで晒すことは、何も惜しくはない。

「さあ兄上、第二幕と行こうではないか 千夜万雷、地獄の底まで踊り明かそうぞ」

迦楼羅の大弓を引き絞り、両面宿儺の声が暗雲を裂くが如く高らかに響いた。









「ああ、ダメだあ。早すぎたんだ、」

何もかもが、早すぎた。
_______凄惨な戦跡を前に、熊童子は呟く。山は焼け、大地は枯れた。空気には黄泉の瘴気が混じり、とても生物が棲めるものではない。見渡す限りの美しい自然がこの土地にはあった。それは彼ら四天王にとって、思い出深い場所だ。

「酒呑どこにいっちまったんだ。お前の企みは失敗したよ、安部清明がなあ裏で糸を引いていた。あの夜、禪院と源氏が京に呪術師をたらふく連れてきて、五条の姫さんを人質にしたんだ」

その後はまるで、定められたレールを辿るようにすべてが粛々と行われた。
五条は彼らに逆らうことができず、その命を対価として酒呑童子と両面宿儺の戦に介入した。血色に染まった六眼が放った美しい白銀の光は、暗雲を裂き大地を削った。…しかし、その天地開闢に等しき瞬きにより、この国は蒼穹を取り戻したのだ。

彼の命と、引き換えになったが。
元より、安部清明の施した呪いに侵され、いつ死んでもおかしくない状態であった。三年、それが十二年。立派なもんだと、熊童子は思う。この世に生まれ、たった一度だけの恋をした。求め方を間違えて絆は失われたが、愛おしい人と過ごしたこの十二年は、彼にとってかけがえのない日々であったことだろう。

この世に生まれて、これほどになく幸せな時を過ごした。
言葉にできないほどの思いと、後悔の一欠けら。それは少しでもお姫様に伝わったのだろうか。神代にも匹敵する呪術の反動にて見るも無残に砕けた五条の亡骸、それを掻き抱いて泣叫ぶ姫の姿を思った。

「あの術は見事なもんだった、お前はどこかに吹っ飛ばされて。宿儺も今じゃ指が二十本残っただけ。 …困ったなあ、これじゃあお前を殺してもらえない。困ったなあ、…」

酒呑童子が用意したいくつかの保険、そのどれもが間に合わなかった。
両面宿儺の技量は彼に届くことはなく、逸話は未完成のまま。失敗した場合、時を待てと酒呑童子は熊童子に告げていた。いくつものパターンを考慮した、だがこの惨状前にしてそのどれもが無意味に思えた。

いつかまた訪れる酒呑童子の災厄。
その時までに、自分は何をすべきなのか。

「クマ」
「…おおぅ、久しぶりだなあ。キン、ホシ」
「ご主人様は、」
「どこかにいっちまったよ、寂しいなあ」

金童子、星童子___そして熊童子、大江山の鬼で生き残ったのは三人だけ。
ここはもうダメだ、土地が死んでいる。長居しても術者に存在を嗅ぎつけられるだけだろう。

「俺はぁ姿を隠すよ、寂しくて悲しくて、なにをする気も起きんからなあ」
「…わたしは明月の元に、ご主人様 成長を楽しみにしてたのよン。いつか再び会えるその時まで、あの子のすべてをお話しできるように傍にいるわ」
「僕はどうしようかなー」

金童子がガリガリと頭を掻く。

「酒呑がいるから愉しかったけど、いないなら別にこの国がどうなろうと興味ないし。アイツが戻ってくるまで適当に時間潰すよ。あ、外の国に行ってみようかな!きっと僕も酒呑も知らない知識や術式がたっくさんある。戻ってきたら、アイツに自慢して聞かせてやるんだあ」
「キン、ご主人様を呼び捨てにして もン、悪いワンコね」
「わん」

星童子を揶揄うように犬の真似をする。
何時もと同じで飄々とした様子を見せていたが、内心思うことはみなと同じだ。大江山の四天王と呼ばれた他の鬼と異なり、金童子の酒呑童子に対する態度は軽薄であった。だが、だからといって…思いの尺まで測られては堪らない。

(____外の国なら。酒呑に穿たれたあのクソみてぇな呪いを、どうにかする手立てが見つかるかもしれない)

忌々しい人間ども。こんなことなら、酒呑童子が止めるのさえ振り払いすべて喰い尽くしてやればよかった。こんな運命を辿ると知っていたなら、自分が嫌われることなんて些細なことだったのに。

「じゃあしばらくお別れだな、我らが鬼頭目が再び目覚めるその刻限(とき)まで」

_____それが再開となるか、本当の意味で最後になるかは、まだ分からない。
それでも微かな希望が消えないのは、記憶に残るあの人のせい。いままでどんな不可能も可能としてきた酒呑童子、きっと彼なら此度もきっと…。きっと。

「さようなら」

大江山の別れ、その後彼らが一様に顔を合わせることはなかった。
再び見えるのは千年先の未来、約束通りの刻限にて。

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