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très bien!


本日の賄はクリームパスタだった。提供商品の余りだが、そんなこと気にならないくらい美味しい。自然の恵みと、キッチンの生徒に感謝!きっちり完食して一服していると、ジェイド先輩が顔を出した。なんですねん。え、新メニューを開発中?いやいや、お腹いっぱいなのですが。…悲しきかな、そんな申し出が受け入れられるわけもなく。気づけばフォークに刺したガランティーヌを無理やり口に押し込まれていた。これってパワハラだと思うんですが?

「どうでしょうか、味の感想をお願いします」
「もぐもぐ… 個人的にはもうちょっと薄味でもいいと思います、獣人属にはしょっぱいくらいかなあ。熱砂の国のお客さんをターゲットにするなら、逆にスパイスが足りない気がす ごふっ もぐもぐ」
「こっちは?」
「…キノコの触感が邪魔…」
「どうやら本日は舌がマヒしているようですね…」
「いやいやいや、正常ですよ! キノコは添え物にした方が良いって!好きなのは知ってますけどなんでも入れれば良いってもんじゃないですやん!」

絶対キノコいれたいマンなジェイド先輩に、それはサイドの盛り合わせにするように説いた。だが、顏に納得がいかないと書いてある。いや、実際に口で「納得いかないです」っていうしな。もうわたしには無理だ、止められない。後の問題はアズール先輩にパスしよう。このラウンジメニューがキノコ尽くしにならないかどうかの命運は、あの人にかかっている。

「ミワ、あっちのお客さん頼む」
「オーキードーキー」

食べ物でいっぱいになったお腹を摩りながら、ソファ席に向かう。うぷっ、くるしい。これもそれもジェイド先輩の所為だ。おそらくランチタイム最後のお客さんであろうその人は、フードを目深く被っており、不自然なほど猫背だった。え、こわ…。だがこれも仕事、営業スマイルとともに水の入ったグラスとメニューを提供する。

「いらっしゃいませ、モストロ・ラウンジにようこそ。 メニューが決まりましたら、お呼びくだ 」

不自然に言葉が切れてしまったのは、ピーという電子音の所為だ。音の発信源は、わたしのポケット。え、スマホはロッカーに入れてきたはずですが!?こんなの鬼マネ(ジェイド先輩)にバレたら、一発アウトだ!

慌ててポケットに手を突っ込むと、そこからは…フレンドからもらった髑髏マシーンのキーホルダー。それは手のひらの上で眼光の赤をちかちかと点滅させ、何かを警告するように音を立てている。

______信じられない気持ちが、先に湧き出た。だが本能と言うのは優秀で、気づけば目の前の客を確認していた。左腕に紋章がない、制服も良く見ればサイズが合っていない…まるでラギー先輩みたいに、誰か違う人のものを“無理やり着ている”ようだ。いぶかし気なわたしの視線に気づいたのか、フードに隠れていた目と視線が交差する。ああ、顔が見えた、“あきらかに学生という年齢ではない”男の顔が。

「っ ______どけっ!」
「え うわっ !」

ガシャンとグラスが砕ける音に、ラウンジの従業員の視線が一斉に集まる。何が起こったのかと言えば、男が突然立ち上がり水の入ったグラスを払ったのだ。そのまま、あろうことかわたしの体を押しのけて走り出した。

「ミワ!」
「おい、なんだ? 大丈夫か」
「    っ   逃がすかああああーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

これはもう全力鬼ごっこ開始である。心配してきてくれたバイト仲間には悪いが、わたしは全速力で男を追いかけた。視界の隅でキッチンから出てきたジェイド先輩が、何かを叫んだ気がするが確認する暇はない。…ここで男を逃したら、また被害者がでる。ていうか、良くここまで入り込んだなすげぇな不審者!先生たちはなにやってるんですかねぇ!?

オクタヴィネル寮を抜け、闇の鏡を抜け、…鏡の間に飛び込む。解放されている扉を抜け、廊下に出るが男の姿は見当たらない。尋常ではないわたしの雰囲気に、周囲の生徒たちがざわついているがかまっている暇はない。どこいきよった、あの男!? 目を凝らしていると「あれ、ミワじゃん」と、…おお君たちはマジフト部の獣耳集団ではないか!

「ラギー先輩なら、後ろの方にいるぞ」
「出迎えか?」
「ちがう!この呑気な獣耳どもめっ このあたりで腕章つけてないフード被った男!みなかった!?」

呑気なマジフト部員の言葉に被せるように言えば、先頭にいた犬耳の生徒が「あ、それならあっちにいったぞ」と東の外廊下を指し示す。ありがとう!君のことは忘れない!!「ありがとう!!」とお礼もそこそこに、わたしは追撃を再開する。まてやこらー!

外廊下を走っていると、小さな悲鳴のようなものが耳についた。階下から聞こえたそれに、廊下から身を乗り出して見れば____鏡舎から飛び出す男の姿を見つけた。逃がすかい!身体強化の魔法を唱え、外へと飛び出す。正義のヒーローさながらに着地すると「なにしてんだお前!」と、…おや、ジャックくん今日も良いお日柄で。

「いまはかまってる暇なし、またあとで!!」
「っな、___おい!!」

制止の言葉を振り切り、目の前の男を追うことに集中する。前方に何事かと狼狽しているハーツラビュル寮の生徒を見つけた。これは幸運と、すれ違い様にその手からバケツと箒を奪う。ありがとう!今日もなんでもない日のパーティーおつかれさんです!っす! 身体強化の魔法が途切れる前に、思い切りバケツを振りかぶって、____逃走者の足元めがけて、選手っ投げたーーーーー!

「っぐ !?」
「っしゃーーー! 逃がられるとおもうなよ!!」

見事命中し、男はバランスを崩して蹲る。その間にぐんっと間を詰め、逆手に持っていた箒を男へと振り落とした。すわ命中したかと思われたそれだが、叩いた先は床だった。むっ相手も中々の身体能力、さすがNRCに忍び込んできただけのことはある。

ぐるんと地面の上を転がって逃げた男は、さらにそのまま足払いをしかけてきた。女の子相手になんて野郎だ!ジャンプして交わしたものの、急な着地にバランスをとるのに時間がかかる。その隙をついて、男が制服の内側から何かを取り出すのが見えた。警戒して箒を構えるが、その正体を知る前に________「ミワっ!!」 ぐんっとものすごい力で、体が後ろに引き寄せられた。

「―――っΗΛΤеБ!」

聞き取れない言葉、しかし、なぜか理解はできる…魔法言語、だからだ。
土石を抉る音がした、びりびりと鼓膜が震える。先ほどまでわたしがいた斜線の先、鏡舎の床にクレーターができている。…生徒が授業で扱うものと桁違いの破壊力を帯びた魔法。それを認識した途端、その場にいた生徒たちが悲鳴を上げた。まだ上手く呑み込めずに呆然としていると、身体の締め付けが強くなる。人の体に押し付けられている感覚。顔をあげると、覚えのあるアクアグリーンの髪が見えた。

「っ、 じぇ、ジェイド先輩っ」
「…」

ジェイド先輩はこちらに視線をくれることなく、男を見据えている。表情こそ見えないが、そこには常と異なる険がにじみ出ている気がして、こちらまで身が固くなる。…なるほど、さっき後ろに思い切り引っ張って助けてくれたのは、先輩だったのか。いや、ありがたいです、あ、でも、 その…めちゃくちゃ腕が、きつい、いたいいたい!

そんな自分のことで精一杯だったわたしは、ジェイド先輩がどんな顔をしていたのか知る由もない。だから男が、ジェイド先輩の放つプレッシャーに耐え切れず、早々に最終手段を切るなんて思いもしなかった。

「____しね、 しね!しね!しね!! みんなしんじまえ!!! こんな世の中間違ってるんだ! おれが、おれがただしい!  おれが、“入る”はずだったのに! どうして、女 女なんかがっ どうして おれは間違ってない、 こんな世界間違っているんだ!!! あ 、 ぁ  … AAAAh aa aaaaaa――――――――――――――!」

男の叫びは、黒い魔力を帯びて空気を裂いた。魔法石からあふれ出る黒い魔力、それがまるで蟲のように男の体を這い呑み込んでいく。男の足を、腕を、身体を、____目を。男の目から、黒い涙が零れ落ちたように見えた。

次の瞬間、魔力爆発が起きる。ジェイド先輩が咄嗟に庇ってくれたが、その腕の中にいてもわかる。肌に感じる…膨大な量の魔力。それは針の筵のように、全身を粟立たせた。見なくても判る。あれは、いけない。あれは、ダメだ。あれは、すべてを変質させる!

体の奥が凍り付いてしまったように、全身が冷たい。感覚を失いそうな指先が震えて、縋るようにジェイド先輩の腕を掴んだ。それに気づいたのか、ようやく落ちてきた声は思っていたよりもずっと穏やかだった。

「…アズールが、先生たちを呼びに行きました。 すぐに応援がくるので、それまで持ちこたえれば良いだけの話です。何も怯える必要はありません」
「ちょっ あ、 あれを止めるなんて無理です!」
「ほう…僕でも無理だと分かるものを、下級生で、女性であるあなたが、捕まえられると思ったのですか?」

____その時、確かに何かがぷちんと切れる音が聞こえた。
腕の力が弱まり、ゆらりとこちらに向けられた顔の、なんと、恐ろしいこと。め…目が、笑っていない。薄暗い深海の色をした瞳と、怪しく光る警戒色の瞳がわたしを映す。ひくりと喉が鳴った。ぶっちゃけ、あの良くわからない男よりも恐い!!! 耐え切れず逸らそうとした顔を、長い指が許さないというようにわし掴む。指が怪しげな動きでわたしの頬を、耳を摩る。触れた先から冷たいのか、熱いのか分からない温度が染み込んで、いやにぞわぞわする。完全に逃げ腰のわたしに触れるほど近づいて、ジェイド先輩は冷たい声で囁いた。

「あなたは、あとでお仕置きです。この僕の言葉を、聴かずに飛び出した罪は重い ______逃げるなよ」
「ヒッ」

「…解ったら、いまは大人しく下がってなさい。 はっきり言って邪魔です」

鼻がくっつきそうな至近距離で命じられた。拒むことは許されなかった。
まるで雪女にでも囁かれたように、ぴきりと固まった体で必死にこくこく頷くわたしに、ジェイド先輩は「よろしい」とにっこり笑顔で手を放してくれた。そのまま大人しく下がろうとしたら、手に持っていた箒を奪われた。たかが箒、今はかまってられない!少し離れてから見れば、ジェイド先輩は奪った箒の穂を足で踏みつけ、柄を抜き取っていた。ただの竹の棒になったそれを、まるで手足のようにくるり回す。次いでいくつかの魔法言語が聞こえた、一拍遅れて棒が水銀色の魔力を帯びる。…おそらく、強化付与の魔法だ。

ジェイド先輩の背の向こうで、闇を纏った男が獣の声を上げている。もはやそれは人の姿ではない、まるで…夜の獣、呪いの姿だ。歪にうごめく巨体は、まるで悲鳴をあげるように全身から黒い体液を垂れ流している。それが触れた先から、NRCの地脈に流れる魔力を吸い上げて力としているのだ。

まるで書き損じた物語の断片にインクが染みこむように、この地を侵す獣の姿。…オーバーブロット。その姿は、胸の内に潜む不安を呼び起こすようで…その不安の闇に、彼が呑み込まれてしまうような気がして、逃げようとしていた足が止まってしまう。恐いくせに、動かない。怖いくせに、置いていきたくない。矛盾して固まってしまった体を動かしたのは、良く知っている声だった。

「おい、ミワ! あれはなんなんだ!」
「っ! じゃ、ジャックくん」
「オーバーブロットに似てるが…まさかお前、またなにかやらかしたのか!?」
「この学園で起こるあらゆることの原因がわたしみたいにいわないでくれるか な   !?」

怒鳴りあうように話していた瞬間、がずんっと大地が揺れた。驚いて振り返れば、先ほどまでジェイド先輩がいた場所を覚えない黒い杭が貫いていた。それはまるで、架刑のようだ。見えない先輩の姿に怖気が走るが、獣の端から立ち上った水銀色の魔力にそれが杞憂であったことを知る。魔力が不可視の鎖となり、獣の体をその地に縫い留める。体を締め付ける鎖に、獣が苦しそうな声をあげた。その度に黒い液体が巻き散って、触れた先から鎖と大地を溶かしはじめる。その様子を認めたジェイド先輩が、すばやく声をあげた。

「ジャックくん、彼女を連れて下がりなさい!! ここは危険です!」
「先輩っ ___ッス、わかりました!!」
「え、ジャックくん ちょっとお!?」

ぐんっと体が宙に浮いたと思えば、そのまますさまじい膂力でジャックが大地を蹴り上げた。体に感じたことのない重力がかかり、吐きそうになる。気づけば鏡舍の傍にいて、遠くに黒と白銀の閃光が瞬いている様子が見えた。呆然としたまま鏡舎に下ろされる、どうして。気づけば込みあがる気持ちのまま。ジャックくんに声をあげていた。

「なんでっ… なんで置いて行ったの!? ジェイド先輩ひとりじゃ無理だよ!」
「俺たちが傍にいる方が危険だ。 あんなバケモン相手に、俺達の方まで気を回してたら先輩が不利だ」
「っ だ、けど」
「……それに、言われたからな。 お前を逃がせ、って」

________「ジャックくん、彼女を連れて下がりなさい!!」
声が、リフレインする。悲しい、力が足りない、つらい。いろんな気持ちがぐるぐるして、目頭が熱くなる。泣いている暇なんてない、すぐにあの人を助けないといけないのに……!

「感動的な場面になっているところ申し訳ないんスけど…何が起きてんのか、説明してもらっても良いっスか?」
「真昼間からなんの騒ぎだ、ったく… 」

「…!」







黒い魔力を纏った異形の姿、それは先日オーバーブロットした友人を想起させる。
オーバーブロットに似ているが、これはそれよりも質が悪いと___ジェイドは、直感的に感じていた。なにか本人の魔力とは異なる、思惟的なものを感じる。こちらを射止めんと放たれる魔力弾を、魔力で強化した竹柄で捌く。破裂した先から、竹柄がぴしりと悲鳴を上げているのが判る。…持久戦は望めないだろう。本気で目の前の“獲物”をしとめるなら、こちらのフィールドに誘い込みたいところだが。

(鏡舎にはミワさんが…生徒が残っている、)

これ以上、下がることはできない。それに呪いの根源となった男には、聞かなければいけないことが多く残っている。やはり教師が到着するまで耐え凌ぐ、あるいは生け捕りにする他ないだろう。

異形の獣がたれ流す腐蝕性の体液に耐え切れず、捕縛の魔法が砕ける。それを待ちわびたように、獣の体が波打った。体の一部が鞭のように撓る触手を形成し、すさまじい速度で鏡舎へと伸ばされる。まるで蛇だ。目では捉えたが、獣の魔力弾を捌きながら追い付くことは難しい。ならばこちらもと、反対属性の魔法弾を放ち触手の蛇を砕く。その様子に、獣が癇癪を起すように悲鳴をあげた。その隙に獣の懐に入り込む。

(…どこまで効くかわかりませんが、)

間近で魔力の籠った咆哮を浴び、びりびりと肌が痺れた。間髪入れずに魔法を組めば、じわりと胸ポケットに収まったマジカルペンが熱くなった。…魔法の使い過ぎを警告されている。だからといって、手を抜くわけにもいかない。竹柄に貫通の強化付与を施し、渾身の力で獣の体を貫いた。手袋越しに伝わる竹柄の先が石の床を抉る感触、耳を打つ獣の悲鳴。手ごたえはある。だがそれを捉えた瞬間、獣の体から波のように体液があふれ出す。それは意思をもつが如く、ジェイドの体へと襲い掛かった。

「 _____ ッ! 」

頭が理解するより先に、反射的に体が後ろに下がった。上手くブレーキが利かずに、足が土を抉る。じわりと背が、腕が熱い。見れば寮服に落ちた魔力が布を溶かして皮膚を焼いていた。瞬時に状況を判断し、寮服を脱ぎ捨て、患部に治癒魔法を施す。…これは予定外の出費になりそうだ。

負傷こそしたが、こちらの一撃は相手にもダメージを与えている。ジェイドが魔力付与した竹柄は、水の魔力と纏った鋼鉄の銛と化し、獣をその場に封じこめている。もがきあばれる姿は、タコのようだと思ったが。それはいささか友人に失礼なので、消し去ることにする。最後の抵抗というには衰えを感じさせない速度で、触手の槍が幾重にもジェイドに降り注ぐ。すべてを視認し、避けるために体を動かそうとしたが、ぐんと重しのようなものに足を引っ張られた。

(しまった、足を)

先ほど下がった際に負傷したのか、血が滲むそれに舌打ちがこぼれる。避けるタイミングを、損ねた。頭上には無数の黒槍。このままでは串刺しだ、ジェイドの頭の中には串に刺されたウツボが焚火に焼かれる様子が浮かんだ。余裕? そうだろうとも、僕は避けるタイミングを損ねただけ。ならば、“避けなければ”良いだけの話だ。



「『巻きつく尾(バインド・ザ・ハート)』」



炸裂音と共に、眼前で光が破裂した。光の向こうから聞こえる獣の悲鳴と、覚えのある水銀色の魔力に、思わず笑みが深まってしまう。やがて聞けてきた声は、いつもよりも聊か愉しそうな音を孕んでいた。

「なにしてんのぉジェイド〜?」
「…フロイド、」
「アハッ ボロボロでダッセェの! かわいそうだから、オレが代わってあげようかあ?」
「ふっ ご冗談を、」

まだ、やれますとも。ぱんっと膝を払えば、…ようやく現れた片割れ、フロイドはひどく愉快そうに笑みを深めた。

「なにあれ、超キモイんだけど。 オーバーなんとかした、アズールの親戚とか?」
「そんなことを言って、アズールに叱られますよ。 彼が先生たちを呼びに行ってくれているので、足止めができれば十分です」
「なるほどりょ〜かい〜、2人で狩りすんのとか久しぶりでワクワクじゃん!」

存外しぶとい獣が、百足のような足を使いジェイドが突いた銛を、身体ごと地面から引き抜こうとしている。すぐにまた攻撃をしかけてくるだろう。ジェイドの言葉を聞いたフロイドは、酒気を帯びたような蕩けた瞳で「生殺しちょぉ〜得意」と、興奮を抑えるように舌で唇を舐めた。晒された鬼歯が、獲物は未だかと待ちわびている。

「きますよ、」

銛が、地面から抜ける。獣が再び声をあげ、それに呼応するように魔力弾が放たれた。左右に分かれた先で、フロイドが水の矢を形成するのが見える。それは不可視の弦から放たれて獣を襲い、その注意をフロイドだけに向けるように仕向ける。魔力弾を簡易結界で相殺し、その逆手で捕縛魔法を組み上げる。先ほどよりも位階の高い魔法だ。その分詠唱に時間がかかるが、敵の注意はフロイドが引きつけてくれている。

フロイドの魔法を受け獣が叫びとともに体液を飛び散らせるが、フロイドの『ユニーク魔法』を前には意味をなさない。ただただ打ち上げられた魚のように跳ねる獣、それが僅かに力を緩めた瞬間をジェイドは見逃さなかった。すぐさま逆手に遅延させていた魔法を発動させれば、獣を中心に水銀色の魔力が立ち上る。地面に浮かび上がった捕縛の魔法陣から生成された水晶の鎖が瞬く間に獣を絡め捕っていく。鎖の先の鉤は、暴れるほどに獣に体に食い込み、黒い体の内部に蓄積された魔力を分解し無力化させる。

「フロイド、お願いします」
「ハハハッ! もっと呻いてみろよ、ザコがァ!」

フロイドの雄叫びに共鳴するように、水の精霊が踊りだす。大気の水素を掻き集めるように生成された水の渦。それは数重の水銛に変貌し、獣の四方を取り囲んだ。深まる笑みと共にフロイドの手掌が振り下ろされた。生き物を突きさす生々しい音と共に、獣はその体を串刺しにされる。まるで針山だ。獣は耳を劈く悲鳴をあげたが、やがてぷつんと糸が切れたように地面に倒れた。

「…え、なに もう終わり?」
「____ふう お疲れ様でした、フロイド。 流石に、もう起き上がってはこないでしょう」
「終わんの早すぎじゃね? オレまだまだやるつもりだったんだけど?」

敵の沈黙が予想外だったのか、目を丸くしてどういうこと?と首を傾げる彼には恐れ入る。いや、予想通りというべきか。おかしくてくすくす笑っていると、遠くから名前を呼ばれたのが分かった。ああ、この声は知っている。良く覚えていますとも、

「____ジェイド先輩!!」
「ああ、ミワさ ぐ  っ ! 」
「わああああん よくぞご無事でっ! め、めっちゃくちゃ心配したんですよおおおおおおおお!」
「うわ、容赦ねぇ…」

小さい体が、いっぱいに腕を伸ばして抱き着いてくる。それは良い、それは別に良いのだが…その腕が思い切り患部を締め付けているのが問題だ。笑顔で痛みをこらえるジェイドに、流石に同情したようにフロイドが言葉を漏らす。だが、助ける気はないらしい。とにかく落ち着いてほしいと、おいおいと泣いているミワの背を撫でていると、ゆったりとした足取りで彼はやってきた。

「なんだ、終わったのか」
「二人とも無事っすか?」

ゆるりと尾を靡かせてやってきたのは、サバナクローの寮長レオナと、ラギーだった。その後ろにはジャックもいるが、彼はなぜかひどくキラキラした目でこちらを見てくる。ひどく面倒な気配を感じるので、そちらは放っておく方が得策だろう。

「レオナさん、ラギーさん、ご協力感謝いたします」
「ああ?」
「周りに結界を張ってくれたでしょう。 弾いた魔法で生徒が怪我をしないように…、とても助かりました。おかげで僕もフロイドも、“狩り”に集中することができましたので」
「…フン」

レオナは翡翠の瞳でジェイドを一瞥すると、ぱちんと指を鳴らした。すれば鮮やかな緑の気配がざわめき、ゆらりと空気が歪む。それは流れてきた風と共に解け、粒子となって術者であるレオナの周りを漂った。

「これでも一応寮長なものでな、うちの寮生がいる以上保護する責任がある」
「とかなんとか言って、自分もヤル気満々だったじゃん こっちまで殺気感じたわ」
「フロイドくんの言う通りっスよ、ミワに泣きつかれたからレオナさん仕方なく援護に回ったんスよね この人、それがないと戦線に加わる気満々でしたわ」
「ッチ 黙っとけラギー」

シシシッと笑うラギーをレオナが睨みつけるが、彼がそれを気にする様子は見えない。その様子を見守りながら、ジェイドはなるほどと納得した。_____結果として、援護に回ったレオナの判断は正解だった。他を顧みず己が愉悦のために彼が動けば、きっとこうはいかなかった。ミワに泣きつかれて、というが、それが逆に彼に冷静な…長としての判断を促したのだろう。

彼が援護に回ったのは、あの場における最適解だ。ジェイドとフロイドは、長く二人で狩りをしてきた。その場にレオナという因子が混じればどうなっていたのかは明白だ。ジェイドとフロイドの連携は乱れ、狩り人同士の獲物の奪い合いに発展していただろう。そうなれば、この程度の負傷では済まなかったはずだ。

見れば、生徒の殆どは鏡舎内におり大した混乱は起きてない。そこはおそらく目端が利くラギーの手腕であろう、彼は本当に人を動かすことに長けている。まあ、レオナがそこまで考えて指示したことなのかは分からないが、結果としてそのすべてが上手く作用して今がある。

(ミワを…助けたつもりが、逆に助けられましたか)

____“ああ、うまくいかないものだ” と、心のどこかで自分(ジェイド)が呟いた。
それはどこか他人事のように感じて、はてと口元を指でなぞる。どうして、そんな考えになる。

悶々としていると、かすれた声が耳に届いた。「じぇ、せん、 くる、 し」みれば、いつの間にかミワの背を撫でていた腕は、彼女を強く自分に押し付けていたらしい。

「ああ、すみません。 少し考えことをしていました、」
「けほっ う、いえ 元気そうでよかったです。それだけ力が残ってるんですから大丈夫ですよね?」
「いや怪我してんの見ればわかるでしょ? イワシちゃんは目も残念な感じなの?」
「わああああ ほけ、保健室! ラギー先輩!!ジェイド先輩が一部イカ焼きみたいになってる!!」
「失礼な、そこまで香ばしい感じじゃないですよ」

まあ、確かに。見た目はイカ焼きみたいに見えなくもないが。
鏝で炙られたように火傷の跡が残る腕を小さな手が支えている。その手は人魚の自分と変わらないほど冷たい。震えていても、決して自分のことを放そうとしない手に嗚呼と思考が飛ぶ。

きっと恐かったのだろう。あの獣よりも…僕の身に何が起こることの方が、ずっと。
いつも笑顔を讃えている大きな目いっぱいにたまる涙が、自分のために零れ落ちたものだと思うと酷くむず痒い心地がする。先ほどまでの彼女に対する怒りが鳴りを潜め、優しく抱きしめたいとさえ思った。考え付く限りの方法で甘やかして、何時もみたいに他愛のないやり取りをして、おかしくなるほど笑わしてやりたいと。

ああ、彼女には笑顔が似合う_____僕に向けてくれるものは、それだけがいい。

「うわっ こりゃヒドイ… はやく保健室いった方が良さそうっすね」
「あ、先生たちきた〜アズールもいるじゃん! 来るのちょう遅いの、マジ受ける」
「ミワ、そこにいるとジェイドくんの傷に障るから離れた方が良いっスよ」
「え、そうなの!?」

ラギーに指摘され、ようやく気付いたのか。ミワが慌ててジェイドから離れようとする。腕から手を放して、そうしてラギーの方へと向かう姿が…なぜだろう。ひどく癇に障って、というのが正しいのだろうか。言語化することが難しい感情に突き動かされて、気づけば離れようとするミワ体に手を伸ばしてた。

ぽすん

「……」
「……」
「…うわぁ、 ガチじゃん」

沈黙が流れるその場で、フロイドのみが愉しそうに笑っていた。茶化すのをやめろと視線をやるが、彼は口笛を吹いて笑みを深めるばかりだ。…ジェイドの腕の中に戻ってきたミワは、状況が理解できていないのだろう。突然のことに頭が真っ白になっている、と顔に書いてあるようだった。

一拍置いて、
「へぇ〜…」とラギーが察したように笑みを浮かべる、「ほぅ…」とレオナが肩を竦める。

…なんという居心地の悪さだろう。突き刺さる視線から感じる万の言葉から解放されたくて、ジェイドは少し早口に捲し立てた。

「ご心配痛み入ります、ではお言葉に甘えて保健室に行かせていただきます。 …レオナさん、ラギーさん、申し訳ありませんが、先生方への説明をお願いできるでしょうか」
「ああ、引き受けてやってもいいぜ」
「イイもん見せてもらいましたからね。 いやあ、まさかあのジェイドくんがねぇ〜」
「フロイド、僕は保健室にいくとアズールに伝えてください」
「うん、いいよぉ。 邪魔者はさっさとたいさ〜んっ」

「ミワさん」
「!? ハイ!?」

名前を呼んだだけだというのに、ミワの体が生板に置かれた魚のように跳ね上がった。慌てた様子でこちらを見上げてきた視線はまるで熱に浮かされているようだ。そこに閉じ込められている熱は、きっと人魚には過ぎたものだ。わかっているのに、ほつれた髪から除く耳がイチゴのように真っ赤に熟れているのが面白くて、手を伸ばさずにはいられない。

「僕を盛大に巻き込んでくれた責任、取ってくださいね」

指でつまんだミワの真っ赤な耳は、人魚の体温では冷めきれないほどに火照っていた。
_______それがひどく心の内を満たしたことは、彼女にはナイショにしておこう。


Then Mermaid Princess fell in love.


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