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190cmの人魚姫の恋は3年経っても色褪せない



「人魚姫みたい」

ありふれた言葉であったと思う、___多感な男子高校生にかける言葉として適切かどうかはさて置いて。嗚呼。ならば、そんな言葉で恋に落ちた僕はなんて愚かな、人魚、姫。





鈴の鳴る音で目が覚めた。季節外れの風鈴の音、小さいころおばあちゃんの家に遊び着たときにつけたんだ。黄ばんで今にも落ちそうな紐に結ばれて、透明なカサが七色に輝いている。寝ぼけ眼で起き上がる、手が失敗した原稿を踏みつけてくしゃりと鳴いた。乱れた髪を掻きむしると干し草の香り、湿った畳、遠ざかる春の気配。

「生きるって、大変だ」

どんなにつらくても、悲しくても、時間はわたしたちの歩みを待ってくれない。
異世界の魔法学校を卒業して3年ほど経つのだろうか。元々わたしが生まれた世界は魔法衰退が激しく、魔法法に則って管理対象外にされている。魔法族にとって価値がなく、文明保持と記録に値しないとされた劣化次元。体裁上は“第九観測世界”とも呼ばれていた。祖母はそんな世界と運命を共にすることを決めた奇特な魔法士であった。血族がみな故郷を捨て管理世界に避難しても、彼女は微笑んだまま動かない…愛する人の写真を抱いてそれを見送ったという。

そんな祖母にとって、わたしの存在は青天の霹靂であった。
母は魔法の才能がなく、父は非魔法族。ただの人間として生きるには才能を持て余していたわたしを、祖母が引き取り、片田舎でひっそりと育てた。やがて、その才能は彼の有名な特級魔法魔術次元世界に認められ、その学門を叩くことを許された。卒業したわたしは、第九に戻り、祖母と暮らすことを選んだ。特世に留まる選択もできたが、わたしにとってこの第九世界は捨てるには惜しいものばかりだったから。

魔法学校の卒業証明書は、一般高校の卒業証明書として利用できる。だが、魔法や魔術学問を叩き込んだ頭で、いまさらノーマルな大学に進学する気にもなれない。わたしは、得意だった占星術を活かし、占い師として働く道を選んだ。最初は苦労したが、今では雑誌のコラムや、週間占い、ちょっとしたバラエティ企画に枠を持つ程度にはなった。まあ、まったくズルしなかったのかといえば嘘になるが。良いのだ、こういうものはバレなければ万事オーケー。不正なんてなかった。

週に二回、片道3時間かけて都内に顔を出す。それ以外は、引き継いだ祖母の家で第九世界では意味なない魔法魔術の研究に勤しむ日々。それは中々に有意義だ、まあ生活については…まったく片づけができないので部屋のあちらこちらにゴミや衣類、読みかけの論文うんたらかんたら雨アラレ。わたしの生活能力はログアウトされているのである、南無三。

(おばあちゃん、家事代行系の自立魔法 得意だったからなあ…)

顔をバシャバシャと洗い、牛乳屋さんからもらった薄いタオルで拭う。縁が錆びた鏡は覚えのない化粧品メーカーの名前がプリントされている。鏡に映るわたしの顔は、青白く生気がない。筆が進むからって、無理な徹夜をするものではないなと、どこか他人事のように思う。

(学生、時代は…)

______「ああ、またこんなにして。困った人ですね、」
困った顔をしているのに、その顔は何時だってとても楽しそうだったと思う。多忙だろうに、折を見てはわたしの部屋に来た。勝手に脱ぎ散らかした服をかき集めて、積み重ねた本を棚に戻してくれた。部屋の主に柔らかい香りの紅茶と、手土産のケーキを出して。自分は、毛先が乱れた歯ブラシを新しいものに変えるようなもの好きな男。

「別にいいよ、放っておいて」
「気になさないでください、僕が好きでしていることですから」
「お礼できることも、返せるものものないんだって」
「いいえ、 ___いいえ。貴方は何時も、たくさん溢れかえるほどに僕に与えてくれている。だからこれは、そのお礼なんです、」

知っていますか。柔らかい声で、まるで秘密事を囁くように彼は言う。

「人魚は献身的なんです。愛する人のためなら、この身が泡になっても構わない」
_____そう語る彼は、まるで恋する少女のような顔をしていたと、思う。

生活能力皆無のわたしが、それでも真面な学生生活を送れていていたのは、一重に彼の奉仕の賜物であった。神の名の下に身心を捧げる乙女のように、彼は盲目的にわたしに尽くした。理由は解らない、解りやすい切欠があったわけでもない。ただ彼は、わたしの瞳に映っているだけで幸せなのだと。

そんな、彼を置いて、わたしは、この世界に、戻ってきた、わけで。

戦争で殉死し、遺体も戻ってこなかった祖父の墓を参り続けた祖母と、わたしは正反対だ。祖母のように、あるいは彼のように、わたしは誰かの人生に添って歩くことができない。だから、「連れて行ってください」と泣いた彼を置いてきたのは、正しい選択だったのだと。

(いつも、言い聞かせて)

耳鳴りがする。影の落ちた洗面台、色落ちしたタイルを数えながら目を伏せる。窓の外から聞こえてくる鳥の鳴き声、草のそよぐ音、湿気を帯びてきた風に混じる____潮のかおり。

_____ん、潮?
それは可笑しい、確かに海はあるがここまで濃い香りが漂ってくることなんてない。どういうことだと窓の外を見るが、そこに何がある筈もなく。体に纏わりつくような、濃厚な潮と…魔力の気配。

嗚呼、と気づいた時には遅かった。
窓の外に気を取られている間に、“文字通り”波打つ鏡面からぬるりと現れた真っ白な腕。きんと、骨まで凍えそうなほど冷たい指先が髪をすくい、頬に触れた。その温度に驚いた時には、既に腕に体を絡め捕られていた。

(____あ、)

思い出した、  この、懐かしい、かおりを。
視界いっぱいに広がったターコイズブルーの幻想。波のように押し寄せる優しい記憶に、心臓が喜びを叫んで泣いている。


ガタガタ、 __ガタ、


しこたま頭をぶつけた。
鏡からこぼれ落ちてきた愛おしさを支えるには、わたしの体はあまりにも小さい。
そんな情けない体を抱きしめる腕は太く、学生時代のそれよりもずっと逞しい。ああもう、あの青年らしい頬のラインを眺めることができないのだと思うと、少しだけ寂しさが込み上げた。誘われるように背を撫でれば、ようやくぴくりと動いて見せる。何も言わない、だけど拗ねた子どものように抱き着いて離れない人。

「髪、のびたね」

最初にかける言葉としては、なんて情緒のかけらもないのだろう。後で返してはそう思った。でも、そんな言葉しか出てこなかった。情けないことだ。

「____貴方が、綺麗だと言ったから」
「都合の良いことばかり言って。あなたを置いて行ったわたしに、いい加減愛想も尽きただろうに」
「いいえ。 ____いいえ、」

目が覚めるような蜂蜜色の瞳が涙に浮かんで、まるで海に溺れているようだった。

「だから、会いにきました」
「____バカだねぇ。 …ジェイド、」

わたしの愛おしい人魚姫。
抱きしめてくれた腕に、ようやく応えることができた。「もう離せないよ、」「離さないで」うわごとのように呟いて、涙の海に溺れる。3年越しに交わせた口づけは、わたしの人生みたいにしょっぱかった。ああでもいいか、きっとこの先の人生は、胸焼けするほどずっと甘いだろうから。

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