冷たい牢獄にいる六道骸と約束をする
2024/5/26…添削、誤字修正
「ナポリの冬に比べたらかわいいものですよ」
そう語る骸は、白いシャツの上に深い藍色のセーターを着ているだけだった。
セーターにコート、マフラーに手袋…と、ガチガチ装備のわたしからすると考えられない軽装に、ぶるりと身体の芯が震える。
「ふ、ふゆは…にがて、」
「まだ11月も頭ですよ。あなた今までどうやって冬を越えて来たんですか」
返す言葉もなくマフラーに顔を埋めるわたしを見て、骸が心底呆れたように呼気を吐いた。
「それで良く、僕やヴァリアーとの抗争を生き抜くことができましたね。一周回って尊敬の念さえ湧いてきそうです、クハハハ!」
「やめてっトラウマを思い起こさせないでっ…うううっさむい むく、むくろ、イヤーマフ返してっ…」
「いやです」
そういって伸ばした手は、しかしイヤーマフに届かない。わたしのイヤーマフは、骸と顔を合わせた瞬間から人質ならぬ物質となっているのだ。わたしが背伸びをしても届かない場所で、ピンク色のイヤーマフがピザのようにくるくる回る。
「さあ。とれるものなら取って見なさい」
「むり」
「もっとガッツを見せなさい、僕がつまらないでしょう」
(うざい…)
「その点、沢田綱吉は凄かったですよ。知っていますか? 彼、殴っても蹴っても泣きながら立ち上がるんです。 あのゾンビも顔負けの雑草根性を見抜けず、あなたの目の前の男は痛い目を見ています」
「国際犯罪者を泣かせるって、沢田くんマジパナイ」
普段は無害なチワワみたいな顔しているくせに、身の内にドーベルマンでも飼っているのかな。そんな沢田くんイヤだ。
「おや、国際犯罪者って僕のことですか? よしてください、褒めてもなにもでませんよ」
「ほめてない」
「そんなことより汐、商店街に美味しいチョコレート専門店ができたと小耳に挟みました。すごく興味をそそられませんか? 行って見たいとおもいませんか?」
「ふふっふ〜♪」
思わず有名な曲のフレーズを口ずさめば、骸は「クハッ!」と笑った。
「それ、僕のテーマソングみたいですよね」
「はいつくばって何を探してるの?」
「あえてそこをチョイスするとは…それより僕と踊りませんか?」
「ノーゼンキュー」
「酷い鼻声ですね」
わたしは真っ赤な鼻をすすりながら、骸を見る。骸は相変わらず薄着で、赤と青のオッドアイでどこか遠くを見ながら言う。
「で、結局一緒に行ってくれるんですか。 まあ、君に拒否権はないんですけど」
「うん、一人でいくね」
「僕が誘っているのになぜ一人で行こうとする。さしずめチョコレートを独り占めしようという魂胆でしょうが、そうはいきません。僕が身を張ってでも止めます」
「どこかのヒーローみたいな台詞だけと、内容がかなり残念だね」
「そこはご愛嬌ということで、ひとつ」
「…だって、骸さ」
食べられないじゃん、チョコレートなんて。
だってあなたは______、
「わたしの妄想なんだから」
ぽつりと呟いた言葉は、冷たい空気にとけて消えて。骸が驚いた顔でわたしをみている。その足元にはわたしのイヤーマフが落ちていた。骸に盗られたイヤーマフ…違う、風で吹き飛んでしまっただけのイヤーマフ。わたしはそれを回収するために、校舎の裏に来たのだ。ここは並盛中学校、六道骸がいる黒曜中学校じゃない。六道骸が並盛の制服を着て、こんなありきたりな会話をするわけがない。だって彼は、なぜなら彼は、_____わたしは、彼を。
「…どうしても、いけませんか…?」
妄想の骸がいう。
「ねえ汐、僕と話すのは嫌いですか。君の友人を傷つけた男の顔なんて見たくもない?」
「ううん ううん、ちがう」
「では、何か怒らせるようなことを」
「ちがうっ」
「……寂しい?」
頬に触れる、冷たい指先。そこには何もない筈なのに、どうしてこんなにも彼の存在を感じるのだろう。ぎゅうと胸が締め付けられる、涙がぼろぼろとこぼれてしまった。泣く権利なんてない、嘆く権利さえも。それなのに____たった一度。たった一度だけ触れたひとの温度が、こうにも忘れられない。
「…む くろ」
「はい」
「さむく、ない?」
「寒くありません」
もう涙を止められなかった。ひくりと震えるわたしを、骸は穏やかに笑って抱きしめてくれた。…わたしが知っている彼は、こんな風に笑ったりしない。だからやっぱり、これはわたしの都合の良い妄想なのだ。解っていても、その腕を振り払うことができなかった。
「つらくない?」
「ないです」
「いたく、ない…?」
「それはぼちぼちですが、問題ありません。君が心配する様なことは、なにもありません」
優しく髪を撫でてくれることが、嬉しい。どうしてそれだけのことが、こんなにも心を震わせるのだろう。それだけの人に会えたのに、それだけの人と交わることができたのに。どうして。わたしは彼を、____見殺しに、したんだろう。
「____汐、それは違います」
「っ、だって」
「だってもなにもありません。僕がしたこと、僕が犯した罪を、君が肩代わりしようとなど決して思うべきではない。…これは、僕が考えて決断し、そうして招いたひとつの結果なのです。そこに君の罪はない」
駄々っ子を諭すような声は、しかし、驚くほど易しくわたしの心の奥底に落ちてくる。許さないでほしいのに、責め立てて欲しいのに。わたしの背を抱いてくれる手は、何一つわたしに疵を与えてくれない。
「まあ、今の生活もそれほど悪くない。少々窮屈ではありますが、力を蓄えるには絶好の機会だ」
「ポジティブが、すぎるよ…」
「準備が整ったらすぐに脱獄してやりますよ、こんなところ。そしたら、そうですねぇ… とりあえず沢田綱吉を一発ブン殴りたいので、すぐに日本に飛びます。僕が脱獄したことをアルコバレーノから聞かされて慌てふためく沢田綱吉の顔が目に浮かぶようです ザマを見ろですね、クハハハ!」
悪役然と嗤う骸があまりにも楽しそうだったから、その顔が見たくなって少しだけ顔を動かした。しかし、それを拒むように頭の後ろに触れた手が、わたしの顔を肩口へと押し付ける。
「だからそれまで、___もう少しだけ、待っていてください」
「…すこし、だけ…?」
「ええ、約束します」
彼の指が髪を梳くように絡めて、離れて。…もっと触れてほしい、この微かなで儚い感触を忘れたくなくて。失いたくなくて。縋る様に彼の身体を抱きしめると、それに応えるようにして、骸も同じだけ強くわたしを抱きしめてくれる。苦しい、けれどこのまま息が止まってしまっても良いと思えるほど、____幸せだった。
「それが終わったら、すぐ汐に会いに行きます。そしたら後は、ずーっと一緒です」
「ほんとうに、」
「はい。君がイヤだといっても、ずーっと付き纏いますので覚悟してください。僕はしつこいですよ。多分汐が想像しているのより6倍くらい酷いです」
「具体的だなあ」
「新婚生活はイタリアかフランス…ああカナダもいいですね。老後は日本が過ごしやすそうですから、幾つか拠点を用意しておきましょうね」
「え そ、そんな未来のことわからないよ、」
ずいぶんと飛躍した未来のはなしに狼狽えれば、骸は少し考えるように喉を鳴らしたあと「では」、
「まずは手近な未来から」
「なあに」
「僕と一緒にチョコレートを食べに行きましょう、君ひとりだけ先に行くのはなしですよ」