Reborn! | ナノ

六道骸の霧が守ってくれる


「どうしたの、雪(ゆき)」

お昼。バラエティ番組を見ながら、雑誌を捲っていると放牧中のペットが寄って来た。アルビノのフェレットは、長い体躯をくゆらせて机の上に飛び乗ると俯せてあったアイフォンを前足で叩きはじめる。すわイタズラかとおもいアイフォンを避難させようと雪から奪うと、チカチカと画面が点滅していることに気づく。着信・むくろ。マナーモードを解くのを忘れていた。急いでスライドして着信に答えた。

「はーい、汐です」
「僕です、何かしていたのですか」
「テレビみてた。ごめんね、マナーモードで気づかなかったんだ」

電話口の彼が、機嫌を損ねた様子はない。クスクスと笑う声を聞きながら立ち、背もたれにしていたソファに腰を下ろした。雪もソファに乗って来たので頭を撫でてやるとぴょんと膝の上に乗り、べたあと俯せに転がった。

「雪が教えてくれたの。賢い子だね、さすがむくろが選んだ子だ」
「おや、雪が。 フフ、大好きなマンマではなく僕に似るとは。確かに賢い子だ」
「一言余計」

ぶすっと返すも、むくろに反省した様子は見られない。

「で、どうしたの。お仕事は?」
「問題ありません。少し早く上がれそうなので、連絡しました。昼はそちらで頂こうかと」
「解った。わたしもまだだから一緒に食べよう」
「まったく…僕がいないからといって、不規則な生活をしてはなりませんよ」

どうやらバレている。わたしが極度の面倒くさがりやで、むくろが仕事で不在なら食事も睡眠も気の向くままなのだ。

「はーい」
「本当に解っているんでしょうかね。僕の愛おしい人は」
「むくろがそういってくれる間は、しっかり生きてますよ?」
「お上手なことで。____ああ、部下に呼ばれているので。また後で」
「うん」
「一時間後にネイマンズカフェで」
「うん。お仕事がんばってね」
「Sei nel mio cuore」

イタリア語を最後に通話が切れる。鼓膜を擽る様な細くて優しい愛の言葉に雪を見る。真っ赤な目がどうしたのと訊くようにこちらを見ているが、その格好は腹ばいでなんとも情けない。思わずくすりと笑って、わたしは困ったように言った。

「『あなたはわたしの心のなかに』____なんて、まるでお伽噺みたいね」

困ったように。そのくせとても嬉しそうにいうあべこべなわたしに、雪がこてんと首をかしげていた。







お気に入りのペールグリーンのワンピースに、カーディガンを羽織った。そうして雪をゲージに入れてマンションを出る。大学を出てからむくろと同棲しているマンションは、並盛の市街すこし外れに建っている。新築の最上階というリッチな我が家だ。

ちなみに家賃はない。むくろがキャッシュで購入してしまったからだ。おかげで『家賃が高そうだから同棲できない』っていう言い訳がきかなかった。だが、今ではそんなことを言っていた頃が懐かしい。すっかり居心地が良くて住みついているうえに、むくろが自身の不在中寂しくないようにとフェレットまで購入してきてくれた。まったくいたせりつくせりとはこのことだ。

(待ち合わせまで___あと、三十分。カフェ近くの本屋で時間潰そうかな)

待ち合わせのネイマンズカフェは、マンションから歩いて十五分ほどの場所にある。そこまでいけば、いくつかのお店も広がっている。暇つぶしにはことを欠かない。

そうおもって歩いていると、ふいに。違和感。

(なんだ、ろう……誰かに、見られているような)

ぴたりと足が止まる。太陽がよく照らしてくれる道の中で知らない顔の市民が歩いている。不審に思われないように後ろを確認するが、誰も足を止めていない。…気のせい?

再び歩き出すが、一度気づいてしまった違和感は消えない。どこまでもどこまで、まるで影のように着いて来ているきがして。気づいたら小走りに、気づいたら全力で走っていた。

(な、なに、こわい…こわいこわい、だれ、いやだっむくろ)

走りながらアイフォンを取り出す。路地裏に入り電話しようとするが、幾ら画面をスライドしても動かない。うそ、電源が切れた。ちゃんと充電したのに!

「う、うそ…なんで、なんでっ」

そうしていると、後ろで誰かの足音がした。靴の裏が、砂とコンクリートにすれる音。わたしは振り返らずに走った。視えない死神から逃げているような気分だった。

何度か縺れて転びそうになるなか、路地裏を進んで行くと今度は急に視界が曇った。驚いて祟ら足をふめば、何時の間にか世界が真っ白な霧に包まれていた。

「も…もう、…なんなのよ…」

荒い息を吐いて、ずるずると座り込む。精神的にも肉体的にも限界だった。…でも、なぜだろう。

(…ちょっとだけ、安心する)

あれほど背中にこびり付いて消えなかった怖ろしい気配が、今は微塵も感じられない。世界は真っ白で、肌に触れる霧は少しだけ冷たくて。何も見えないから恐いと思っていいはずなのに、…心が落ち着く。

(まるで…守ってくれているみたいだ)

そっと開いた掌に霧が触れる。ゆるりと握れば霧散して、するりとどこかに消えてしまう。はあと息をはくと僅かに白くなった。わたしの吐息さえも、霧となって世界を白く染めて行くさまは幻想的で僅かに心躍る。

(…とりあえず、いかないと。むくろ待たせちゃってるし、)

立ち上がって、あてもなく歩きはじめる。なぜだろう、もう怖いものはいない気がしたのだ。そうしてぼんやり霧の中を歩いていると、ふいに壁にぶち当たった。思い切り顔をぶつけてしまい驚いて顔を上げた時、世界が弾けた。


「_____おや、また可笑しな所から出てきましたね。汐、」


掌で思わずおおった世界のむこうで、赤と青のオッドアイが笑った。

「……むく、ろ…」
「はい、なんですか」
「…あれ?」

気づいたら、そこは何時もの並盛町だった。そしてなぜか、目の前にむくろがいる。きょろきょろと見渡すと、近くには待ち合わせしたカフェがあった。後ろをみれば、自分が出て来たらしい路地裏。だが、視界に飛び込んでくる路地の様子は、先ほどまでわたしが歩いていた霧の世界と似ても似つかない。

(…こんな、晴れているのに…そもそも、霧なんて、でない、か…)
「ところで、君はいつから野良猫になったんですか。僕が用意したゲージに何か不満でも?」
「いや、ゲージとかそういう言い方好きじゃない。確かに、あそこは居心地が良いし。わたし一文無しだし…むくろが飼ってくれているようなものだけれども」
「自覚があるようでなによりです」

かちんときて愚痴を口にするも、彼は当然と言うように頷いてふわりと笑った。長い藍色の髪が揺れて、カーキのジャケットに流れている。それをそっと払って整えてあげると、むくろの節張った手がわたしの手を取り、ちうと口付てくれた。

「小言はこれくらいに。食事にしましょう、お腹がすきました」
「そう、だね。…うん、ご飯にしよう」
「切り替えが早くてなにより。なにか食べたいものはありますが、好きな物を言ってください」
「わたしはなんでも、むくろが好きなのでいいよ」
「僕は汐が食べたいものが食べたい気分です」
「おう…その言い方はずるい」

スマートなむくろに丸められて、むんと食べたいものを考えていると。その顔を覗きこみながら、むくろが少しだけ。ほんの少しだけ、安心したように目元を緩めて呟いた。



「…ほんとうに、無事でよかった」



「? なにかいった?」
「いいえ、なにも」



気づけば、恐いことはなにもかも忘れていた。
覚えているのは優しくて真っ白な霧のこと。でもそれすら、むくろが隣にいると些細な事のように思える。それはきっと、


繋いでくれる掌の温度と、掴めなかった霧の温度が良く似ていたからだ。


だから、今日もわたしは生きている。

back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -