六道骸に逆プロポーズする!
「汐、」
とろりと蜂蜜みたいにとろけてしまいそうな声とともに、するりと腰に腕が回る。大きな手が、指が、確かめるようにわたしの体をまさぐった。熱い息が耳にかかる。ぞわりと首筋が粟立った。酒気にも似た色香に眩暈がする。足元から崩れそうになった体を、すかさずむくろの手が支えてくれる。
「汐、」
「っ、むく…!」
「大丈夫、安心しなさい。このまま…僕に体を預けたままで、」
吐息ごと耳に吹き込まれて、顔がかっと熱くなった。
むくろの手がするりと動いて、わたしの服をめくって、なかに…______ああ、
だめだ。
「いやああああああああああ!」
「くはっ」
「やっぱダメ!ダメダメダメダメー!!!」
叫びながらぐわりと布団をめくりあげた。そうして安全な穴倉に逃げ込んだわたしを、むくろはうずくまりながら恨めしそうに睨みつけてきた。
「汐…いつもいつも、君という女(ひと)は…!!」
「ひっ」
「何時になったら僕に大人しく抱かれるんですか!いい加減あきらめなさい!!それと肘鉄はやめろ!僕じゃなきゃハンバーグぶちまけてましたよ!」
「ヤメテ!」
ぐわりと怒鳴るむくろにひいと悲鳴をあげる。
怒ったり青ざめたりと忙しいせいか、わたしまでさっき食べたハンバーグをリバースしそうだ。あぶないあぶない。
「あ、あのね、むくろさんや…わたしにも心の準備というものが必要なのだよ?」
「………その準備とやらは、一体いつになれば終わるんでしょうねえ」
「うぐ…」
「僕の覚えが正しければ、それとまったく同じセリフを一年前にも聞きましたが…。何か弁明はありますか、汐」
ぎしりとベッドが悲鳴をあげる。むくろが乗ったのだろう。かぶっている布団越しに感じる人の気配にびくりと肩がふるえた。
「そ…」
「そ?」
「そ…れは、むくろじいさんの聞き間違いじゃあありませんかい?」
「そうきますか」
あきれたような溜息とともに、むくろがベッドに腰かけた。江戸っ子口調がスルーされてちょっとしゅんとなった。怒っているのだろうか、もしかして嫌われてしまった?
自分から拒絶しておきながら、彼のほんのちょっとの変化が悲しくて仕方ない。寂しさに負けてちろりと顔を出すと、気付いたむくろが小首をかしげてきた。
足を組んで頬づえをつきながら「なんですか」と訊くように向けられたオッドアイ。その色がいとおしい。ううん、この男(ひと)が、愛おしい。
「…ち、ちがうの…いやじゃない、の」
口をついた言い訳。大事なことを目をみて言わないといけないと教わったのに、わたしはするするとベッドに潜ってしまった。情けなくて涙が出る。でもそんなわたしをむくろは責めない。ただ、ぽんぽんと布団越しに背を撫でてくれる。そんな優しさすら、今のわたしには過ぎたもので、___はずかしい。
「むくろが…きれいだから、わたしなんか、きっと…幻滅しちゃう」
「…君は本当に、ネガティヴというか…なんというか、」
「だ、だって」
「そんな理由で一年間も拒まれ続けている僕の気持も、少しは考えてくれませんか」
うぐ。
「僕、自分で言うのもなんですけどがんばってるほうだと思いますよ。愛する人にそんな風に理不尽な拒絶を受けながらも、こうして大事に大事にしてます。無理強いはしませんし、誕生日も記念日も忘れずに祝います。デートだって君が好きなところ連れて行って、食べたいものを食べさせて、」
「…」
「献身的でしょう?それなのに君ときたら」
「…そ、そんなに嫌なら、他の子のとこっ」
「それ以上言ったら、さすがの僕でも怒りますよ」
冷たい言葉にぎしりと体が強張った。見えないはずなのに、あのオッドアイが鋭い剣となってわたしを貫いているのを感じた。こわい、そうだ___むくろはこわい。
なにせあの、鬼の風紀委員長と張り合える男なのだ。実際に目にしたことはないが、相当ケンカ強いに決まっている。わたしなんかが勝てるわけない。
「……少し、言い過ぎましたね」
かちかちと震え始めたわたしに、むくろが泣き出しそうな声で言った。相手が見えないからだろうか、酷く敏感に声に含まれた感情の色が読み取れてしまう。ああ、わたしはまたむくろを悲しませてしまった。解っているのに。むくろはいつもそうだ。むくろは『わたしが彼におびえること』をなにより厭う。
(わがまま、だなあ)
わたしも大概だけど、彼も大概だ。
ならお相子かもしれない。
そう思って、するりと指先を布団からのぞかせる。そうしてなんとか手探りで彼の服を探り合った。つんつんと引くと、気付いたむくろが指先を重ねてくれた。きゅっと互いに吸いつくようにして恋人つなぎをする。あ、しあわせだ。
「…あのね、怒らないで、きいて…?」
「…」
「むくろはね、本当にカッコよくて、綺麗だから、わたしはこわいんだ。いつかむくろがわたしに飽きて、違うかわいい女の子のところ行っちゃうんじゃないかって」
「クハッ なにを戯けたことを。何度もいいますが僕は、」
「いいから聞いて! あのね、だからね、コレが…その原因の一つになっちゃう気がして、こわいのっわたしきれいじゃないものっ」
恥ずかしい告白だった。体中が熱い。布団の中が酷い熱を帯び始めていた。
「そんなの、いや。わたし、むくろにきらわれたくない…!」
「汐…」
「それに、わ、わたし処女だし!」
「!?」
「処女は結婚して旦那さんになるひとに上げるって決めてるし…!」
「ちょ、ちょ、ちょっと、梓、ちょっと待ちなさい!abbottonarlo(黙って)!」
布団の向こうでむくろがぐったりと頭を抱えているなんて知らずに、わたしは「え、あ、あぼた?」とうろたえた。感情が高ぶるとイタリア語が出るのはむくろの癖みたいなものだった。おかげで肝心なところはいつもなにも解らない。ずるいやつだ。
「む、むくろ…?」
「………僕の、聞き間違いでなければ、」
「?」
「それはつまり、君は僕との結婚は考えられないということですか?」
酷く淡々としているくせに、その音は小刻みに震えているように感じた。
危うい感情が込められた言葉に、わたしは茫然とした。そしてぼんっと爆発した。いやいやいや、ちがうんです。た、ただただ、
(け、結婚、って…!)
自分から撒いた種とはいえ、それはあまりにあけすけな言葉で。
乙女なわたしの思考回路はアッという間にむくろとのハネムーンへ飛び立ってしまった。いや、ちがう、違うって!そういうんじゃないから!!
わたわたと一人で脳内戦争を繰り広げるわたしをどう思ったのか。むくろは沈黙の後、無言で立ち上がってしまった。するりと指先を抜ける温度に、わたしははっと意識を引き戻した。ついでさあと青ざめる。やばい、今度こそ呆れられた。
「む、むく…っ!!?」
がばりと布団から起き上がったわたしの目に飛び込んできたのは部屋から出て行こうとするむくろの背ではなかった。がばりと上着を脱ぎ捨てんとするむくろで、え、ちょ、ふ、ふっきんわれてますねー!!
「きゃー!な、なに、なにしてんのばかー!」
「ふっ、うるさいですよ汐。少し黙ってなさい」
がばりと布団に戻ったわたしにむくろが言う。でもかちゃかちゃと硬い金属をいじる音のせいで何にも頭に入ってこない。ほ、ほほ、ほんとになにしてんの!ばかじゃないの?!
「ばかじゃないの!」
「バカは君です。このporca eva」
「あ、い、今の聞いたことある!悪口だよね!ひどい!」
「だからさっきから言っているでしょう」
ふわりと涼しい風が全身を撫でた。大きな鳥のような影が落ちてくる。茫然と見上げると、わたしから布団を奪い取ったむくろがぱぱぱぱ、パンツ一丁で仁王立ちしていた
「酷いのはいつも、君の方だ」
つっこみどころ満載なはずなのに、むくろの目がいたって真面目でぐっと気が引けてしまった。こわい。こわくない。へんたい。へんたい…じゃない、たぶん。えっと、えっとそれから…。
「む、むく、ろ…」
「………ねえ、汐」
君と僕。
「どっちの体の方が、『綺麗』ですか…?」
ちがうんだよ、むくろ。
今にも泣き出しそうな顔で言うむくろに、そう言って詰めたくなった。
ちがうんだよ。むくろ、ねえ。いまはそんな話してるんじゃない。君がとつぜん脱ぎだすとんでもない変質者だって言ってるの。だから違うんだよ。むくろの体に、たくさんの切り傷があって、縫ったような跡もあって、もうなにをされたんだかわからないような爛れた痕があるのだって、なんでもないんだよ。
ほんとうに、なんでもないんだよ。
「___む、むくろ」
「…」
泣いちゃだめだ。むくろが泣いてないのに、泣くのは卑怯だ。
なにもしらないくせに、憐れんで、勝手に彼の悲劇を想像して悲しむのは、自分勝手でずるい。そんなのしちゃだめだ。だめなのに。
「…ご、ごめんな、さ、」
ぼろぼろと、涙が、止められない。
ぼろぼろぼろぼろ。情けなく泣き出してしまったわたしに、むくろが膝をついて寄ってくれる。指が戸惑いながらも頬に触れて、涙を拭ってくれる。ああ、好きだ。ごめんなさいとオッドアイが細まる。うん、好きだ。薄い唇が強がって弧を描く。どうしようなく、愛おしい。
「きれいだよ、むくろ」
そんな言葉しか言えないわたしは、なんて汚いんだろう。
枯れた喉で精いっぱいはきだした言葉は、それでもむくろに届いたのだろう。彼は一瞬目を丸くした、でもそのあと困ったように笑って、しゅんと眉を下げて、それでも笑って。
「君がそういうのなら、そうなんでしょうね」
そんな風にくしゃりと笑うから、わたしはもうあなたから離れたくなくなって。
ベッドから飛び出して、むくろにだきついた。その首に腕をまわして、ぎゅうと抱きしめて、抱きしめて、もう話さないとその首に顔をうずめて囁いた。
「わたしの、お嫁さんになってくだしゃいっ」
噛んだ。
決まらない女だな、わたし。
だけど、
felice per sempre!
「___はい、君を、僕をお嫁さんにしてくださいっ」
きみが笑ってくれるから。
きっとそんなわたしでも大丈夫だと、思えるんだ。