ぱちぱちとキーボードを叩く音が仕事部屋に響く。少し止まり、また軽快な音が響く。
 どんな音楽よりもこの小説を打ち込む音が三成の集中力を高めるのだ。だから三成の仕事部屋は余計な音は何もない。
 しかしそんな集中力にも限界はあるものだ。リズムは次第にゆるやかになり、最後にはすっかり止まってしまう。それでもしばらく置いた手をそのままに画面を睨みつけていた三成であったが、ため息をついて離した。
 これで〆切間近であるならこのまま作業を続行するのだが今は時間に余裕がある。それに気分転換した方が作業効率が良いと知ってからは、手が止まった時は多少なりとも休憩するようにしていた。
 紅茶でも淹れるかと立ち上がり伸びをした瞬間、玄関の方から鍵を開ける音がした。この家の合鍵を持っているのは一人しかいない。足早に玄関にやって来ると予想通り、ランドセルを背負った子どもが入ってくるところだった。
「そうか、もうそんな時間か」
「ええ、切羽詰まっているようならすぐにお暇するつもりでしたが…、そのぶんだと余裕がありそうですね」
 おおよそ子どもとは言い難い話し方をする彼に三成は頷くとさっさとキッチンへと向かう。子どもの方も慣れたもので、とたとたと洗面所の方に歩いて行った。

 その子どもが周囲の子らと比べてあまりにも大人びているのは、彼の中にはもう一人の男の人生があるからであった。その男の名は島左近、戦国の世で三成の半身とも言える存在だった男である。
 彼に三成が再会したのは3年ほど前だった。左近が隣に住んでいる夫婦のところにやってきたのである。左近からは遠い親戚の夫婦なのだそうだ。
 その隣人とは三成を担当する編集者の知り合いだという縁でよく顔を合わせていたため、子どもと暮らすことになったのだと紹介された。それが記憶よりもずっと幼い左近だったというわけだ。
 左近が引き取られた経緯はあまりいい話ではない。
 気味が悪かったんでしょうね、とは左近の言だ。今よりも更に幼い頃は左近の中で古い記憶をうまく消化できず、子どもらしく振る舞うことができなかったらしい。片手に収まるような年齢の子どもが自身のことをてきぱきとこなし、おまけにそこらの大人よりもよっぽど弁が立つのである。仕方ないといえば仕方ない。放って置かれるようになり、しまいには左近を置いて何処かへといなくなってしまった。
 その後親戚間でなんだかんだと揉めたらしい。しかし最終的には母親の姉の夫の叔父のそのまた…といった親戚と言っていいものか迷うような、ほとんど他人である夫婦がたまたま事情を知り引き取ったことで話は落ち着いた。
「まあ、左近もうまく振る舞うことを覚えましたし、引き取ってくださったあの方たちも俺のことはそういう子なんだと思ってくれているようですしね。なにひとつ不自由はありませんよ。むしろこうなったからこそ殿と再会できたのですから幸せです」
 その言葉で話を締めくくった左近は確かに今の境遇をなんとも思っていないようであった。


 ふたりぶんの紅茶を淹れているといったんランドセルをリビングに置いたらしい左近がキッチンを覗く気配がした。
「俺もそっちへ行くから座っていろ」
「持っていくものとかありますか?」
 トレイにカップとおやつのタルトをのせながらないと答えるが、近づいてきた左近が両手を差し出す。じっと見上げる瞳を見下ろし一拍、渋々ながらもトレイをその手に渡すと彼は満足気に歩き出した。
「まったく……。わざわざ取りに来なくてもよかろう」
「いいじゃないですか、左近がやりたくてしているんですから」
 リビングに入り彼がテーブル置いたトレイからカップと皿をおろしている間、左近はランドセルからペンケースと国語と書かれた薄い冊子に漢字ノートを取り出していた。漢字ノートの名前の欄には昔よりは少し拙いながらも十分に達筆な字で島清興と書かれている。
 初めて見た時は左近ではないのか、と思わず訊いてしまったものだ。しかしよくよく思い出してみれば当時も周囲から左近左近と呼ばれていたものの、本名は清興だと本人の口から聞いたことがあった。しかし左近と呼ばれ慣れてしまったおかげで三成から本名で呼ばれるとどうもしっくりこないらしい。そのためふたりきりの時に限るが三成は彼を左近と呼んでいた。
 左近は出したものをまとめてテーブルのすみにやるとカップと皿を引き寄せる。紅茶を一口飲んでおいしいと感想を言うのはいつもの流れだ。三成もまたカップに口をつけながら左近のことをまじまじと観察する。
 今の左近は三成にとってよく知る左近であると同時に知らない左近でもあった。ふとした仕草に戦国の世で忙しく働いていたことを思い出すこともあれば、これが左近なのかと驚かされることもある。知っているようで知らない。その事実が時に薄く見えない、しかし確かに存在する壁となって隔てているような感覚を三成にもたらすのだった。
 そんな三成の内心を知ってか知らずか――おそらく知っていて触れないのだろう。三成の知る左近はそうだった――左近は視線を合わせて穏やかに話しかけてくる。そうやって少しずつ壁を溶かしていくのだ。
「そういえばご飯ちゃんと食べてますか?」
「…食べたぞ」
「十秒チャージはご飯に含まれませんからね」
「……」
 三成が黙りこむと左近は勝ち誇ったように笑ってもくもくとタルトを食べ始めた。昔の左近ならばここまで顔に現れないだろう。こんなところにも三成の知らない左近はいる。だが同時に三成のよく知る左近もまたそこにいるのだ。

『殿、またご飯を抜きましたね』
『…ふん。さっき口にものをいれたばかりだ』
『羊羹は食事じゃありません』
『……』

 そこの場面に居合わせたわけではないのに、まるでそこで見ていたようにぴたりと三成の行動を当ててしまう。
 いつもそうだ。左近はごく当たり前のように三成の呼吸を読み、それに自分の呼吸をあっさりと合わせてくる。
 きっと左近がいなければ満足に息をすることもできないのだろう。今まで左近のいない時をどうやって生きてきたのかもう思い出せない。記憶よりもずっと小さくやわらかな身体を抱きしめたあの時から三成の人生はすっかり変わってしまったのだ。

「殿?ぼんやりして…具合でも悪いんですか?」
 食べかけのタルトを前に左近が心配そうに覗きこんでくる。
「いや、なんでもない」
 しかしそれも悪くないな、と目の前の男を見ていると思うのである。


こどもの日だし許されるよねってことでちみっこにしました。左近を。三成はよく見かけるなーってただそれだけです。
成長した左近にまんまと食われそうである(笑

2015/5/6