高虎は今、絶体絶命の危機に陥っていた。どれくらいの危機かといえば心境的には手ぬぐいを持たずに戦に挑まねばならない武士といったところであろうか。伝わりにくいことこの上ない。
 これから高虎が遂行しなければならない任務は弁当を完食すること、その後ひとつ年下の弟のいる教室へ急行することの2つだ。これを昼休みの50分、いやすでに10分経過しているので40分で完遂しなければならない。
 なんだそんなことか、と言われてしまいそうな内容であるが、高虎にとっては前述から推測できるようにとんでもない難題であった。
 まず手始めに弁当の蓋を開けるその任務が超難題だ。強固な壁となって高虎の眼前に立ちはだかっているのだ。ここで先に言っておくと昼休みが始まって5分ほどの時点で高虎はすでに一度弁当箱の蓋を開けている。何の疑問も抱かずに、しいて言えば今日の昼食はなんだろうか、と親に弁当を作ってもらっている者ならば誰でも頭の片隅にでも浮かぶような些細なことを考えながら開けた。
 そして閉じた。乱暴に閉じた蓋はうまく噛み合わず隙間から中身の一部が見えており、慌ててきっちり閉め直した。あまりに荒い動作にがしゃんと激しい音がして傍らの箸箱は弁当箱に弾かれ吹っ飛び、机の脇に落ちて弾けて中身が飛び散った。
 目の前に座り同じく弁当に向かっていた景勝は箸箱を持ったまま硬直していた。表情こそ変わらなかったものの大層驚いたのだろう。しかし高虎にはそれに気づく余裕はない。
「…どうし、」
「大丈夫だ問題ない」
「……そうか」
 一体何が大丈夫なのか、高虎本人にもわからない。しかし今の高虎にできることといえば己に言い聞かせることだけである。大丈夫だ問題ないと。
 念仏のようにただひたすら己に言い聞かせていると、箸を取り出さずに箸箱を置いた景勝が立ち上がる。そして一度屈んでから立ち上がった後教室から出て行った。どうしたのだろうかと思う余裕は高虎にない。
 大して時間もかけずに戻ってきた景勝は元のように椅子に座ると、すっと何かを高虎が押さえつけている弁当の隣に置いた。見ると高虎の箸箱であった。どうやら高虎がひたすら自己暗示をかけている間に洗ってきてくれたらしい。すまん、と反射的に言うと大丈夫だと返ってきた。  そして冒頭に戻るわけである。

「食べないのか」
 彼の胃袋に見合った大きさの弁当箱の中身を黙々と食べ進める景勝に問われ、高虎は唸り声のような返事をする。
 勿論食べる。腹が減っているし、弁当があるのに購買で昼食を買うなどという勿体ないことをしたくない。それに何よりそっくりそのまま残した弁当箱を持ち帰った場合の母の悲しそうな表情は見たくなかった。いくらこれが母の作った弁当ではなかったとしても母は悲しむだろう。むしろ母が作った弁当を残して持ち帰ったとき以上に悲しむに違いない。何しろこれを作ったのは弟だ。それも初めてだ。初めての弁当だ。
 当然のことながら高虎はこれが弟作の弁当だと開ける瞬間まで知らなかった。そもそもそれを知っていたならば、仲良く2つ並んでいた弁当箱のうち弟の弁当箱を持ってきたに違いない。あちらは間違いなく母作だ。
 高虎は押さえつけた指の隙間から見える弁当箱の青い蓋をただひたすらに睨みつける。そうすれば弁当箱の中身が変わるかと思っているかのような眼力でひたすら睨みつける。しかしそれでも弁当箱の中身は変わらない。当たり前の事実である。
「高虎」
 景勝が高虎の名を呼ぶ。高虎の脳内に今朝の母の顔が浮かんできた。何故かいつも以上に嬉しそうな笑みを浮かべていた母である。そして次に弟の顔が浮かんできた。こちらはいつもの表情の乏しい顔だ。しかし長年共に過ごした高虎には、それがイキイキとした表情であることがわかる。
 それらをひとまず隅に寄せて、あとどれだけこうしていられるかを計算する。速やかにはじき出された答えは今すぐ蓋を開けて食べ始めなければならない、ということだった。もう迷っている暇はない。
 高虎はまず蓋を押さえつけている手をゆっくりと剥がした。つるりとした無地の青が蛍光灯を反射させてきらりと光る。ついでに弟のきりりとした (しかし他者からみれば無表情な )顔が浮かんでくる。全力で拳を叩きつけた。
 そして弁当箱の蓋にそっと手を掛けると、景勝が見守る前で周囲を警戒しつつゆっくりと蓋を開けた。その瞬間、景勝の視線は明らかに同情を含んだそれに変わった。
 高虎の弁当箱の中央には世界的に有名であろう黄色いクマが居座っていた。無駄に上手い。そしてクマの周囲にはクマよりも小さいサイズのハニーポットやらお馴染みピンクやオレンジのお友達やらが押し込められている。これもまた無駄に上手い。高虎の昼食は普段からは想像もつかないほどファンシーだった。男子高校生の弁当にこれは大層きつい。精神の急所にクリティカルでヒットで瀕死だ。高虎はいまだに大いに混乱していた。
「…弟か」
「どうやらお前のところの兼続に影響されたらしいな」
 箸箱から素早く箸を取り出しながら高虎が指すのは、以前の景勝の弁当の話だ。あれは景勝にとっても教室にとっても大事件だった。どこか高級感溢れる景勝の大きめな黒い弁当箱の中から可愛らしい森の動物がこんにちはだ。笑顔を浮かべて景勝に食われるのを待っていたわけである。見た目も栄養バランスも完璧な兼続渾身の逸品だった。
 そして景勝がフリーズしている間にクラスメイト達に目撃されたのが彼の運の尽きだった。その後しばらく撮影会となったのは、弟の言葉を借りるならば逆らうことができない流れというやつである。この後景勝は普段よりも短い時間で弁当を食べる羽目になった。
 兼続が引き起こしたこの大事件、彼の仕業ならば仕方ないの一言で片付けるしかない。何故ならば彼の行動は純粋な好意・善意、あるいは彼が常日頃から口にする義心から起こされたものだからである。それを咎めることを誰ができようか。少なくとも高虎には、ましてや景勝にできるはずもない。
 しかし弟、吉継ならば話は別だ。彼は高虎への悪戯に幼い頃から並々ならぬものを注ぎ込んでいる。現在もその労力を学生の本分に回せないのかと主張したくなるほどの全力だ。いや、勉強に回して余った分なのかもしれない。弟とその友人二人は、勉強に関しては化け物トリオと呼ばれているのだから。
 高虎は万が一周囲に見つかったとしても撮影会が発生することを避けるため、こちらを見つめる黄色いクマのオムライスを箸で細切れにする。それが終われば次はハムでできたピンクのお友達だ。躊躇いのない手つきでバラバラにされたそれの中身はポテトサラダだった。どれも無駄に美味しそうである。吉継は普段キッチンに立つことはほとんどないため、おそらくこれを作る前に母に習って相当練習したのだろう。料理自体は無駄だと言わないが、これは男子高校生の弁当には無駄以外の何物でもない。
「美味そうだな」
 ぽつりと景勝がこぼしたその声に脳内の弟が美味いぞ、と右手の親指をたてた。憎らしいことこの上ない。
「やらんぞ」
 いろいろと面倒になって投げやりな声で返せばいらんと応えがあったのだった。






 吉継はよく食べる。
 色白な見た目のせいか少食だと思われがちだがよく食べる。食に関しては学校で食事を共にしている友人の一人、三成の方がずっと細い。吉継はその二倍近くの量をぺろりと平らげる。
 そんなわけで今日も吉継は目の前で友人達が賑やかに話しているのを聞きながら、ひたすら弁当を食べていた。今日の中身はアスパラの肉巻きとポテトサラダ、ケチャップに染まったご飯その他もろもろといったところだ。
 普段は母が作ってくれる弁当であるが、ポテトサラダとオレンジ色のご飯は吉継が作ったものだ。おかげでいつもと微妙に味が違う。
 悪くはないがやはり母が作った方が美味しい、と考えつつも完食し、ぱこりと蓋を閉めた。白地に水色のラインが入った弁当箱は兄と色違いのものだ。ラインをじっと見つめていると脳内に青い弁当箱が浮かんでくる。
 そういえば口に合っただろうか、と呑気に考えていたちょうどその時、ガラッと教室のドアが開き「吉継!」となかなかに物騒な声音で名前を呼ばれた。
 すると目の前の三成は呆れたような表情を浮かべてみせる。
「吉継、今度は何をやらかしたのだ」
「たいしたことじゃないさ。早起きして弁当を作ってやった」
 嘘偽りない事実をそのまま述べると、じゃあアレは何だと三成は入口の高虎を横目で示す。高虎は教室の廊下付近後ろに凶悪な視線を向けている。ちなみにあちらは昨日までの三人が陣取っていた席がある場所だ。今日席替えが行われて吉継たちは窓側前方に移動していた。
 返事もせず居場所を示しもせず高虎を観察していると、はっと何かに気づいた様子の兼続がぐっと吉継の方に身を乗り出した。
「もしや私が教えた愛情溢れる弁当をか!流石だな吉継!」
「何?おいまさか、」
 兼続が教えた、という言葉で三成はピンときたようであった。少し前の兼続渾身の力作が引き起こした事件である。被害者の景勝は学年が一つ上であったのにここまで話が届く珍事件だった。景勝だったからというのもあるのかもしれない。
 三成が若干顔を引き攣らせちらりと兼続の方を見た。しかしながらそんな視線に気づかない兼続はどうだと出来栄えを尋ねてくる。それに答えようとした吉継の言葉を遮ったのはずかずかと教室に入ってきた兄、高虎だ。ちなみにクラスメイト達はちらりとこちらへ視線を向けるものの、さほど気にした様子はない。これがそれだけ日常化したやりとりであることを示している。
「お前あれはなんだ!」
「あれ?」
「弁当だ!!」
「美味しかったとは思うが」
 ばん、と机に手をついた高虎の問いに吉継としては真っ当に答えたつもりであったがそうではないと高虎は目を吊り上げる。元々彼の目つきは鋭いのでそうされるとぐっさりと吉継に刺さって貫通しそうにさえ見える。が、吉継にとってはせいぜい指でちょいちょいと突かれているようなもので、高虎を見上げこくりと首を傾げてみせた。
 視界の端の三成がやれやれと言わんばかりにため息をついた。
「俺は中身の話をしている!なんだあれは!俺の精神を叩きのめす気か!」
「お前の精神はそんなやわではないことを俺はよく知っているぞ」
 ますます首をかしげる吉継に、三成とは反対側の視界の端にいる兼続があれは吉継の愛が云々と語っている。だが目の前の高虎の耳元でばしばしと叩き落とされているようだ。最近兼続の扱いを心得てきた高虎である。
 このままでは話が進まぬまま昼休みを終えてしまうと考えたのだろう、三成がしぶしぶといった様子で口を挟む。こういうときに場を収めるのは (三成にとっては不本意ながら )彼の役目だった。
「で、何が入っていたのだ」
「黄色いクマだ。ツボやらピンクのブタやらも入っていた」
「…もっと言い方はないのか」
 一拍置いてから三成が返した。その一拍で高虎の弁当箱の中身を想像したのだろう。なんとも言えない視線を向ける彼は、とにかく何か言わなければと頭を回転させたらしい。律儀な友である。
 感心していると高虎が唐突に吉継の名を再び呼ぶ。吉継は一瞬で事の中心に引き戻された。さすがに説教をされるのは遠慮したいな、とさほど深刻な様子もなく吉継は考える。実際さほど深刻でもない。何しろ吉継には秘策が残っているのだ。吉継本人にも制御不能であるのだがこの際それはどうでもいい。なんとかなる。
「高校生の弁当にアレはないだろう」
「大丈夫だ。見た目と味には気を遣った。バランスもそこまで悪くないはずだ」
 そうだろう兼続、と吉継は彼を舞台に引っ張りだした。これこそが秘策である。最終兵器、義戦士兼続だ。この時点で勝負は決した。それはそうだ。彼に勝てるものなどここにはいない。
 そうだとも!と声高に返事をした兼続に高虎はげっとあからさまに顔を顰めた。しかしそんなもの兼続には全く効果が無い。いかに吉継が見た目と栄養のバランスを取ることに苦労したかを事細かに説明し始めた。おそらくしばらくは止まらないだろう。おい、何かを言いかけた三成にはぐっと右手の親指を立てておいた。

 案の定高虎が解放されたのは予鈴が鳴り響いてからだった。
 慌てて教室を飛び出していく兄の背中を眺めながら、美味しかっただろうという言葉自体は否定されなかったことにひっそりと笑うのだった。





 吉継は見た目のわりによく食べる。
 色白ですらりとしている部類の見た目のせいか少食だと思われがちだがよく食べる。むしろ食べる量に関しては三成の方がずっと細い。吉継はその二倍近くの量をぺろりと平らげる。
 三成が普段共に昼食を食べるのは兼続と吉継である。流れるように次々と並べる兼続の話に相槌を打つように話す三成、そしてそれをもぐもぐと食べながら聞く吉継というのが3人の常であった。
 今日も傍の椅子を引っ張りひとつの机に集まってくると、それぞれが弁当を取り出す。三成の弁当は毎朝ねねがふんふんと鼻歌を歌いながら詰める。ひとつ年下の弟達の弁当箱と並べると三成の弁当箱は随分と小さい。が、三成にとってはこれが適量なのだ。
 さっさと蓋を開けて箸箱を手に取った三成であったが、ふと何気なく吉継の手元に視線をやった。彼はちょうど蓋を開くところであった。  ぱかり、と蓋を開き、そして吉継は固まった。
 その瞬間吉継からぶわりと花びらが舞ったように見えた。いわゆる喜びのオーラというやつである。
 吉継の弁当の中身には二匹の猫がちょこんと収まっていた。猫のおにぎりである。片方は黒い海苔のブチに黄色い玉子でできた耳、もう片方はおかかおにぎりに縞模様と同じく黄色い玉子耳のトラ猫だ。そしてその周囲にはバランス良いおかずでできた花が咲いている。シンプルで易しいながらも完璧なキャラクター弁当だった。
「タマとトラか…」
 ぼそりと呟いた吉継の声はいつもの冷静さを帯びていたものの、箸を取る手つきはいそいそとしたものだ。彼には珍しいほどわかりやすい。
「素晴らしい愛だな!」
「そうだな」
 兼続の笑顔にやはり花を散りばめたようなオーラを発しながら吉継は即答する。
 吉継がこれでは悪戯も仕返しもしがいがないだろう。
 とりあえず三成は今頃平和に弁当を食べているだろう高虎に同情しながら己の昼食に取り掛かるのだった。



ほんわか家族パロはたのしい…。おまけに大雑把な設定。↓
高虎
吉継の兄。父の天然なボケと弟のボケ(と悪戯)の集中攻撃を受けながら育つ。なんだかんだで頼りになる兄ちゃん
吉継
高虎の弟。フリーダムに生きつつも悪戯のためなら努力を惜しまない。これでも兄のことは好きである
浅井夫婦
天然でボケをかます父と男3人をしっかりまとめる母。ほんわか夫婦でほんわか家族
景勝
高虎と同じクラスにいる。兼続と共に暮らしている(が、関係は未定)。兼続の愛に溢れた行動に振り回され気味。吉継の悪戯を度々目撃する
三成と兼続
吉継と同じクラスにいる。3人合わせて化け物トリオ(勉強)。こちらも吉継の悪戯をよく目撃する。
友人との会話からもちょこちょこ設定が生まれたり。
他にも三成弟の清正正則がいたり、幸村(14)がいたり政宗(14)がいたり宗茂(14)がいたり。
シリーズ化するのかなこれ