小さな畳の部屋のすみで丸まって寝ることは姜維の日課である。もともと山の奥深くでひっそりと暮らしていたせいか、街の空気があまり体に合わないらしい。そのためか、昼寝の時間を取らないと夜まで体力が持たない。
 姜維は小さな妖狐であった。3本の尾を持つ白い狐の姿で、小さな祠でのんびりと暮らしていた。行動範囲が広くはなかったし、あまり他の妖怪や神様の姿を見たことがなかったので、姜維のことを知っているものもまたほとんどいなかっただろう。
 そんな姜維であったが、ひょんなことから街に降りてきてこの家の主、諸葛亮のもとに身を寄せてからだいぶ経つ。ようやく人の暮らしにも慣れてきたところだ。

 今日も日差しで体を温めながら昼寝をしていた姜維が不意にぱちりと目を覚ました。家の中にある気配がひとつ増えている。誰だろう、と自身の柔らかな尻尾に埋めていた顔を上げて感覚を研ぎ澄ませると、すぐにそれが馴染みの気配だと分かる。また馬超の愚痴をこぼしに来たのだろう。苦労が絶えない人である。
 それよりもそろそろ起きなければ。
 体を起こすと人間に姿を変えて深緑の着物を纏う。襖を開けて部屋から廊下に出ると趙雲の疲れきった声がかすかに聞こえてきた。
「もう本当に勘弁して欲しいんですよあの馬鹿今度は山に入ったんですよ!?」
「……それはまた…。で、大丈夫でしたか?」
「大丈夫なわけないでしょう…。駆けつけたら妖怪に囲まれてましたよ本人には見えませんけど」
 やはり馬超の愚痴だったようだ。趙雲がここに訪れると、たいていは馬超に対する愚痴をこぼしていく。それをこうして耳にすることが姜維の密かな楽しみだった。
 馬超という人にはまだ会ったことはないが、趙雲の話から推測するに視えないくせにやたら首を突っ込む人らしい。何か問題を起こしては趙雲ともう一人、馬岱という人物に迷惑をかけているのだとか。いつか会ってみたいものだ。
 台所に移動した姜維は聞こえてくる声に耳を傾けながら、お茶の準備を着々と進めていく。

「妖怪を追い払うことはできないと言っていたように思うのですが。どうやって戻ってきたのですか」
「そこなんですよ!馬超のせいで神様に借り作っちゃったんですよもおおおおおお!!!絶対面白がってましたよあの神様…」
 後半はもごもごと聞き取りづらくなったことから突っ伏した事がわかる。趙雲があまりに哀れな声で喋るものだからかわいそうになって、姜維は自分のおやつに確保していたとっておきの大福をお盆にひとつのせた。
 にしても神様とは一体誰なのだろうか。一応これでもその山に住んでいたので、あそこに住み着いている神様は全員把握している。そのなかで面白がって人間に関わる神様といえば……。
「いやでもまさか……」
 姜維の脳裏に現れた神様は神々の中でも上位にいる存在である。そんなあっさりと人間に手を貸すだろうか。貸す、だろうか…。

「貸しそう、なんですよね……」
 お湯を急須に注ぎながらため息をつく。ともかく趙雲に聞いてみるのが一番早いだろう。
 人数分の湯のみとお茶請けをお盆にのせると2人が会話している部屋に入った。

「失礼します。お茶をお持ちしました」
「ああ姜維、ありがとうございます」
「…やあ姜維」
 炬燵をまだはがしていないテーブルに足を突っ込んで向かい合っていた二人のうち、諸葛亮が振り返って静かな笑みを浮かべた。趙雲は突っ伏したままもごもごと覇気のない声をこぼすばかりである。
 予想通りの趙雲に姜維は苦笑するとそれぞれの目の前に湯のみを置き、テーブルの真ん中にお茶請けを押しやる。そして趙雲の目の前には大福。
「また馬超殿ですか?」
 お盆をわきにどけて自分も炬燵に足を入れつつ問うと、か細い声で勘弁してほしい、と返事。相当参っているらしい。馬超に関してはもうすでに慣れきっていると思っていたのだが、ここまでへこんでいるとは珍しい。
「そういえば神様に借りを作ったとかおっしゃってましたね。一体誰に借りを作ったのです?」
 萎れたような趙雲に早速ドア越しできいた気になることをそのまま尋ねると、なんとか顔を上げた彼が考えるように黙りこむ。
 諸葛亮も黙ってお茶をすすった。
「名前は聞かなかった。けれどもかなり威圧感があったから多分神様の中でも上のほうにいると思う。その人?は直接手をくださずにそばにいた隻眼の配下に追い払わせてたけど…」
 そこまでこぼした趙雲は目の前の大福に気づいてはむはむと食べ始めた。ほっこりと表情を緩ませるが場の空気はぴんと張り詰める。血の気を引かせる姜維の横では、なんとも言えない表情で諸葛亮が口を閉ざしていた。
 こくり、と口の中を空にしたところでようやく凍りついた空気に気づいたらしい。こちらを向いて首をかしげてみせるが、姜維からするとそれどころではない。
「姜維?」
「そそそそれ、そ、その神様……まさか、まさか本当に……」
「え、姜維知っているのか」
「それはそうでしょうね。貴方が借りを作ったというその神様、あの山の大部分を掌握している曹操ですよ。姜維の住んでいた祠もその領域の中にありました」

 ぼてり、と趙雲の手から食べさしの大福が落ちた。

「え、えぇ…?曹操ってあの、え…、多くの妖怪を従えてるあの……」
「ええ、その曹操です。おそらく気に入られましたね」
 ご愁傷さまです、と表情を変えずに言った諸葛亮の前で瞬く間に趙雲の表情は真っ青になった。それもそうだろう。もし姜維が気に入られたとしたら同じような反応をする。
「あああああもう馬超のばか野郎…」
 見ていて可哀想なほどに萎れてしまった趙雲に、姜維は大福を小皿に戻しながら諸葛亮の方を不安げに見つめた。
 そもそも趙雲は視えるといってもただの人の子である。なにかがあったらまずいのではないか。
 そんな姜維の心境を的確に読んだのだろう、諸葛亮は大丈夫ですよ、とお茶請けの煎餅に手を伸ばした。
「そこらの低能な妖怪とは違って曹操には分別があります。うっかり殺したりなんてことはないでしょう」
「ですが……」
「ならば姜維、貴方が曹操に話をつけに行きますか?」
 それを言われると言い返す言葉がない。
 黙り込んだ姜維に諸葛亮は煎餅を砕きながら、ですから放っておきましょうと続ける。

「もう妖怪の祓い方も覚えるべきかな……。孔明さん教えてくれませんか」
「私は構いませんが、それを覚えたらますます面白がってあちらからちょっかいかけてくると思いますよ」
 諸葛亮の答えにとどめを刺された趙雲はもういやだ、と掠れて消えそうな声でこぼしたきり黙り込んでしまった。



一応言っておくと丞相は人です。視えるし知識が趙雲とは比べ物にならないくらいあるってだけで人です。そそ様は神様にしときました。惇兄頑張れ
それと丞相をなんて呼ぶかで迷ったり。とりあえず無難に孔明さんに。姜維は多分先生とか呼んでそうな気がする。

2013/5/11