ああ、ここで死ぬのかもしれないな。
 勝手に動く身体をよそに、頭のなかはまるで凪いだように冷静だった。
 怒号と悲鳴、断末魔。噎せ返るほどの血臭。
 押し寄せるそれらは混ざり合っていて、敵のものか味方のものかわからない。その中でただ本能を頼りに槍を振るうことしかできなかった。

 圧倒的な兵力差で押しつぶしにでた敵に対して、趙雲は引くことはしなかった。引いたところで被害は広がるばかりである。ならば少しでもここで押し留めておく必要があった。

 ぞくりと背中を伝う凄まじい悪寒に趙雲は反射で振り向いて槍で薙ぎ払った。今まさに趙雲を斬り掛かろうとしていた兵士が血を吹き出して倒れる。しかしそれと同時に脇腹に鈍い音と違和感。
 刺されたのだと気づいたのは刺した兵を槍にかけた後だった。

 ここまでか、とそれでも槍を構えながら思う。自分はもう帰ることはできないのだと悟った。

 悟ったとき、脳裏に浮かんだのは馬超だった。
 人を近づけさせないくせに、誰よりも寂しがりな人。
 気高く、誰よりも愛しい人。
 守るのではなく、守られるのでもなく、ともに戦ってゆけることが何よりも嬉しかった。
 それこそが自分のこの感情に対する彼の返答なのだと知っていた。
 だからこそ、たった一人の従兄弟のほかはすべてを失ったその人に、これ以上失うことはさせないとそう心に決めていた。決めていたのに、それを守ることができないことが苦しい。苦しくて悔しくて、かなしい。

 また彼に失わせることが何よりもいたい。

「…すみません、馬超殿……」
 激しい呼吸の間に漏れた声は呟いた本人にすら届かない。
 ぎゅう、と槍を掴む手に力を込める。


「っ我が名は趙子龍!死にたい者からかかってこい!!」

 血を吐くような趙雲の怒号は喧騒の中に鋭く響いた。




―――――
「…い、おい子龍!」
「んー…ん、孟起……?」
「他に誰がいるんだ」
 ふよふよと暗闇の中を漂っていた意識は急速に浮上していった。ゆっくりと目を開けると視界いっぱいに映り込む馬超。ケータイを開くと17時を過ぎていた。
「人のこと呼んだくせなんだと思えば…。コレがなかったら帰っていた」
 コレ、と示すのはこの部屋の合鍵である。
「私、寝てた…?」
「今起きただろうが」
 起き上がったところでぺしりと軽く頭を叩かれ、いくらか頭が働いてくる。顔にかかっていた髪を払っていた趙雲だったが、ふと馬超の視線を感じて首を傾げてみせた。ただこちらを見ているだけならばよくあることなのだが、その視線にはこちらを心配する雰囲気が含まれている。なかなか見れない表情だ。
「どうかした?」
「いや、お前……、」
「?」
「魘されて、泣いていたから…」
 すっと伸びてきた手が趙雲の頬を拭う。そこでようやく趙雲は自分の頬が濡れていることに気づいた。反対側の頬を手で拭うと手が濡れる。まるで大泣きした後みたいで趙雲は目を見開いた。
「一体何の夢みてたんだ?大洪水だな」
「えー…、覚えてないな。うーん……」
 傍にあったティッシュの箱を引き寄せながらおざなりな返事をすると2枚引きぬく。鼻まで詰まっているとはどれだけ大泣きしたのか。

 夢を見ていた、という事自体はわかる。しかし内容はさっぱり覚えていなかった。
 残ったのは苦しくて、辛くて、どうしようもないほどのかなしさと同じほどの愛しさ。
 思い出そうとすると鼻の奥がつんとして、また勝手にぼろりと涙がこぼれてきた。
「ええー…」
「ちょ、な、子龍!?」
「あー、大丈夫大丈夫。なんか勝手に……」
 趙雲からすればなんだこれ、で済むことだが馬超からするとそうではないらしい。
 まあそうだよな、私が馬超でも驚くよな、とぼんやり馬超を眺めている間にも涙はぼろぼろと頬を伝っていく。寝ている時もこれだけ泣いてしまっていたとしたら、大洪水になっていた事にもうなずける。
「な、泣くな子龍。お前に泣かれると、どうしたらいいかわからん」
「泣いているわけじゃ……勝手に出てくるだけだ。止まるまで放っておくしか…」
 鼻をかんだティッシュを丸めてゴミ箱にシュートすると、再び2枚引き抜いて涙を拭う。
 これタオルじゃないとティッシュ勿体無いか、と思いながらもひとつひとつ拾っていたが、その手を掴まれて趙雲は顔を馬超の方へ向けた。
「孟起?」
 すっと近づいてきたタオルが未だに溢れる涙を丁寧に拾っていく。拭っている馬超の表情はほとほと困り果てている、とわかりやすく趙雲に伝えていた。
「一体どんな夢を見たんだ本当に……。ぼろぼろだな」
「覚えてないけど、多分…孟起の夢だな」
「!?お、俺が泣かせたのか!?」
 途端にあわあわとする馬超に趙雲は笑みをこらえる。子龍!?と名前を叫ばれて趙雲は耐え切れずに笑ってしまった。涙はやっぱり止まらない。
 いつだって、趙雲の感情を大きく揺らすのは馬超なのだ。ならば自分で制御できないこれもきっと彼がもたらしたものなのだろう。絶対そうだ。趙雲は自分の中で勝手にそういうことにしておいた。

「孟起のことを思って私はこんなぼろぼろに泣いてるんだ。嬉しくない?」
 ふざけてにっこりと笑って見せたら、馬超は途端にじわじわと顔を染め始める。また珍しい表情をひとつ。
「…俺のためならさっさとそれを止めろ」
 そう視線をそらす馬超も珍しくて、努力はする、と笑って返す。
「勿論協力はしてくれるんだろうね?」
 趙雲の言葉に、馬超はただ黙って趙雲の体を抱きしめた。
 またじわりと新しい涙が溢れてきたが、今度はおそらくすぐに止まるだろう。
 趙雲の中に残ったのは愛しさだけだったから。



馬趙のつもりで書いていたはずなのに読み返してみたら趙馬にもみえる…
パロに置くかこっちに置くか迷ったけどこっちで。

2013/3/26