0.開幕
 ふう、と息をひとつ吐くと馬超は筆を置いた。
 ひたすら無言で書簡を片付けていたので終わったのは普段よりもずっと早い時間だった。珍しくやらねばならない書簡の数自体が少なかったおかげでもあるだろう。上に拳を突き上げるように思いきり体を伸ばすと凝り固まった背中や肩が音を立てる。
 ぽっかり空いた時間をどうしようか、と考えてみると、浮かんだのは同じ得物を扱う同僚の男。そういえば朝に顔を合わせたとき、今日は執務室にこもっている時間が短く済みそうだと言っていた。
 馬超よりも捌くのが速い彼のことだからもう終わっているのかもしれない。ならば槍を握るのもいいし、たまには街に足を運ぶのも悪くない。遠乗りもいい。
 そうと決まれば馬超は趙雲を探すことにした。

 まずは無難に執務室を訪ねてみたがそこに探している人物の姿はなかった。しかしそれは珍しいことではない。書簡仕事の他にも武将が請け負っていることは多いし、趙雲でないと出来ないこともまた多い。ここに顔を出しても十のうち五は不在であるくらいだ。
 幸い時間はある。馬超は気を取り直すと城内を探し歩くことにした。


1.諸葛亮の証言
 こんにちは、何かありましたか?
 おや、馬超殿ですか。先ほど書簡はすべて受け取りましたが…。趙雲殿、ですか?いえ、今日はここへ来ていませんよ。確かに頻繁に顔を出しに来てもらっていますが。しかしいつ来るというのが決まっているわけではないですからね。今日のような日もよくあります。
 ああ、ですが一度回廊で会いました。少し立ち話を。ついさっきのことですよ。これから劉備殿のところへゆくと言っていたのでそのまま別れました。まあ、大した用事ではないと思いますよ。おそらく話し相手が欲しくて趙雲殿を呼んだのでしょう。趙雲殿は相手の話を聞くのがお上手ですから。すぐ終わると思います。殿もずっとのんびりしていられるわけではないでしょうし。ですから謁見の間か、その付近にいるかと。いえ、どういたしまして。
 ああ、ついでに言っておきますが書簡の提出はできるだけ早いほうがいいんですからね。馬超殿はやればできるんですから、ってまだ話は…。まったく……。


2.劉備の証言
 ん?お、馬超か!そんなところにいないで入ってくればいいだろう。大丈夫だ今は特に何もないのだから。私の話し相手になってくれ。
 ん?よく知っているな。先程まで趙雲と少し話していたんだ。趙雲といるとついつい話し込んでしまってな。そなたの話もよく聞くぞ。はは、大丈夫だ。悪い内容ではないから。いつもそなたのことを自慢しているぞ。まるで恋人自慢のように話すものだからこっちまで嬉しくなってしまう。ああ、実際に恋人と言ってるわけじゃないぞ。私がそう感じただけで…。ああ、顔が真っ赤だぞ。照れることはないだろう。
 趙雲の居場所?執務室に戻ったのではないか?それか孔明のところか…、ああ、もう行ったのか。孔明は無理をしていなかったか?没頭すると寝食を忘れるから困っているのだ。体を壊しては元も子もないだろうに。だから趙雲が顔を出してくれるのには助かっているんだ。話している間は休憩するからな。きっと趙雲もそういう意味で顔を出してくれているのだろう。時々執務を手伝っているとも聞いている。
 …もう行くのか?いや、構わないさ。ありがとう。また話し相手になってくれ。


2.5.間
「いないじゃないか……」
 再び趙雲の執務室に戻ってきた馬超は少々いらいらとしながらため息をついた。趙雲の居場所を訊いてからやって来ているのにもかかわらず、彼のことを捕まえることが出来ない。それどころかものすごくすれ違っているような気がしてならない。どうしてか捕まらないのだ。もしかしたら避けているのではとすら疑ってしまう。さすがにそれはないだろうが。
 何故だと思いながらも他に趙雲が足を運びそうなところを考える。しかし趙雲の行動範囲は広いため的が絞り込めない。しらみ潰しに探していくしかないのか。
とりあえずはじめは、
「書庫か?まったく……」


3.姜維の証言
 あれ、馬超殿じゃないですか。どうしたんですか書庫に来るなんて珍しい。いった!暴力反対!だって馬超殿がここに来るのは稀じゃないですか。え?丞相に似てきた?ありがとうございます。はいはい。
 で、どうかしたんですか?…趙雲殿?執務室にいるのではないですか?先ほどここに来ましたけど戻って行きましたよ?ここに来る前も執務室にいたらしいですし。え?ほんとうですかそれ。だとしたらどれだけすれ違っているんですか…二度も顔出しているって…。それだけ行って一度も会わなかったんですか?逆にすごいですね。おめでとうございます。いや、馬鹿にしてるわけではないですよ。感心しているんです。まあ、楽しんでいないと言えば嘘になりますけど。ちょ、その腕おろしてください怖いです!で、今も趙雲殿の部屋から来たんですか?途中でもすれ違わなかったんですね。
 とりあえずもう一度戻ってみたらどうですか?趙雲殿は戻ると言っていましたし。もしかしたら寄り道してから部屋に戻ったのかもしれませんし。
 お気になさらず。楽しかったので。ため息つくと幸せ逃げますよ。さあ、誰のせいでしょうねぇ。ではまた。


4.星彩の証言
 馬超殿、こんにちは。私は少し趙雲殿にお訊ききしたいことがあったので。ここにはいないようですが。急ぎではないので会ったときに訊こうと思います。机の上に書簡を開いたままなのでそのうち戻ってくるでしょうし。いつになるかまではわかりませんが。馬超殿はなにか用事があったのですか?
 …それは、お疲れさまです。それだけ探しても見つからないというのも珍しいですね。なぜだかはわかりませんが趙雲殿は苦労せずに見つけられるので。
 私は諸葛亮殿のところかここか、それか調練場でよく見かけますが……。
 ならば調練場を探してみるのがいいかと。
 いえ、では私はこれで。


5.馬岱の証言
 あ、若!久々に俺と手合わせ…ってどうしたのすっごい疲れてるみたいだけど。え?趙雲殿探してるの?さっきちらっとここに来たよ。ってちょっとちょっとどうしたのさ。そんなカリカリしないの。うん、うん、え?本当に?それ城の中ほとんど回ってない?本当にいなかったの?逆にすごいねぇ。いつもなら執務室でつかまると思うんだけど……。三度!?うわー…なんていうか、お疲れ。
 どこ行ったかって?特に言ってなかったけど…、でもこの時間だしもうやることはないって言ってたしあとは帰るだけじゃない?執務室で帰り支度してるとか…。もう行きたくない?まあ、三度も行ってるもんねぇ。
 俺?もうちょっとしたら帰るよ。このあと諸葛亮殿のところに一度行かなきゃならないんだ。え、諸葛亮殿のところにも行ったの?何か言われなかった?
 あはは、やっぱり。若はやれば出来るのに、ってほら逃げない逃げない。
 趙雲殿だけどいるとしたらやっぱり執務室だよ。そんな顔しない。
 うん、じゃあねー。


6.終幕
「もうあんな奴知らん!」
 馬岱のところを離れたあと、渋々もう一度趙雲の執務室に行ってみたがやはり部屋の主はいなかった。さすがに我慢も限界である。
 馬超は苛々と吐き捨てながらずんずん歩く。探すためではない、帰るためだ。初めからこうすればよかった。
 文句をこぼしながら早足で厩まで歩いてくると中に入る。馬超が入ってきた瞬間に愛馬はこちらに気づいたようで、首を馬超に向かって伸ばしている。そして馬超が目の前に立つと撫でてくれと言わんばかりに顔を近づけてきた。
「わかったわかった。可愛い奴め」
 撫でてやるとその手に擦り寄り催促してくる。その姿に癒されて先ほどまでの不満が少し和らいだ。
 もう趙雲など知ったことか。勝手にすればいい。
 特に約束をしていたわけではないが、まるですっぽかされたときのように苛々とする。さっさと帰ろうと愛馬を引いて厩を出た馬超だったが、突然背後から聞こえてきた声におもいっきり神経を逆撫でされた。

「あ、馬超殿。今から帰るのか?」
「っ!?!?こンの、きっさまぁああああ!!」
 ぐるんと振り返ると今日あれほど探していた人物、趙雲が馬を引いて出てくるところだった。馬超の剣幕にぽかんとしている。
 馬超は手綱を放り出すとずんずんと趙雲に詰め寄った。気圧されたかのように一歩後退る趙雲の腕を捕まえる。びくりと趙雲の肩が跳ねた。
「ちょ、どうしたんだ?」
「どうしたもくそもあるかっ!今日どれだけ探しまわったと思っている!!」
「え、探されてたのか私」
 暢気な趙雲の様子は馬超の苛立ちに油をこれでもかと注ぐ。
 このまま趙雲を張り倒したい衝動が湧き上がったがさすがにそれはぐっと堪えた。その代償か、趙雲の腕を掴む手に力がこもってしまう。
「馬超殿、痛い」
「少しくらい我慢しろ。本当は張り倒したいのだからな」
「理不尽だぞそれ。私は何もしていないじゃないか」
 呆れ返ったような表情で趙雲は馬超の手を無理やり引き剥がすと、掴まれていたそこを撫でる。確認するために彼がめくった袖の下の皮膚は赤くなっていた。
「あーあ、痕がくっきり…」
「今夜の夕食と酒をお前が奢ってくれるのならば許してやろう」
「だからそれは……、はいはいわかった、わかったからその拳をしまってくれないか。奢ればいいんだろう奢れば」
 探されていた趙雲には勿論責められるようないわれはない。が、こちらの脅しにあっさり白旗を揚げた。おとなしく言うことを聞いておいたほうが面倒が少ないことは経験で既に彼の身にしみているのだろう。馬超からすれば実に都合がいい事である。
「そうと決まればさっさと行くぞ」
「はいはい仰せのままに若様」
 気を取り直した馬超に趙雲の投げやりな返事が投げかけられ、それにべしりと頭を一発叩いてやる。ぶつぶつと文句を言い始めた趙雲は無視し、馬超は放ったらかしにしてしまっていた愛馬のもとに向かったのだった。


うろうろと彷徨う馬超を想像しながら書いたら面白かったです(笑)
もうちょっと人と場所を増やしても良かったかな?

2013/10/18