抱きまくら


 穏やかな夜だった。
 外では朧月がぼんやりと柔らかな光を放っており、心地良い闇を作り出している。


 ふと何かに引っ張られるように意識が浮かび上がり、馬超は瞼を押し上げた。目の前には闇、その先には見慣れた天井。目を閉じる前にもみた、いつもとなんら変わらない光景である。
 ならば何が馬超の意識を引っ張りあげたのか。
 まだ滝を繰り返しながら身じろぎすると、何やら違和感をおぼえる。天井から緩慢に視線を下ろしたところでああ、と納得した。
 眠る時、馬超の隣に潜り込んできた趙雲が、馬超の左手を捕まえて彼の頬に押し付け眠っていた。

 趙雲とこうして寝たりするようになってからわかったことの一つが彼のこの癖だった。
 馬超よりも体温が低いせいなのかはよくわからないが、共に寝ると必ずといっていいほど趙雲は馬超に触れる。馬超の背中に額を当ててみたり、腕を緩く掴んでみたり、とにかく体のどこかが馬超に触れているのである。
 それに気づいた馬超がいくら剥がそうとも、しばらくすると再びどこかが触れているので早々に諦めた。困るわけでもないし、馬超としても悪い気はしない。

 ぐっすりと眠る趙雲のどこか気の抜けた顔を眺めつつ、ふさがっていない手で広がった黒い髪をいじってみる。
 遠目から眺めるとまっすぐと垂れる尻尾が美しく見えたりもするのだが、手を加えていない髪に傷みがないはずもなく。近くでよくよく見ると枝毛を発見したりもしばしばである。
 せっかくまっすぐな黒髪を持っているのに勿体無いと思ったこともあるにはあるが、本人はその辺りに無頓着なので馬超もあまり気に留めてはいない。

 くるくると指に絡めて少し引っ張ってみるが、よほどしっかり眠っているのか反応はない。
 今なら大丈夫だろうか。
 手を取られたままだと少し寝づらいのだ。せめて手をどこかに触れておくくらいにしてほしい。
 髪から手を放すとくい、と左手を軽く引き寄せてみる。

「んん、……ん」

 きゅ、と眉間に皺が寄る。
 馬超の手を捕まえている手に少しだけ力がこもり、逃さないとでもいうかのようにするすると手が腕まで下がってきた。
 そのまままるで大切な物を守るように胸元に引き寄せる。
「…………」
 しばらくはむずむずと動いていたが、落ち着く体勢を見つけたらしくおとなしくなった。
 少し乱れていた寝息は再び規則正しいものに変わる。
 布が擦れる音がやみ、静寂が部屋を満たした。

 なんというか、
 馬超はゆるゆると趙雲から視線を外すと、脳内を落ち着けるように深く息を吐きだした。
 髪の毛を引っ張っても全く反応しなかったくせに少し手を引いただけで。
 いくらなんでもこれは、これは。
 温かいような、むず痒いような、ともかく落ち着かない感覚に襲われて馬超は空いている腕で目元を覆った。完全な不意打ちである。

 しばらくそのまま硬直していたが、だんだん得体のしれない悔しさが膨れ上がってきて体を趙雲の方へ向けた。目の前の彼はすっかり安心しきった様子で呑気に寝こけている。
 そんな彼の背中へ腕を回すとぐっとそのまま引き寄せる。力の抜けた体は抵抗せずにあっさりと馬超の腕の中に収まった。
 決して柔らかいとは言えないその体であるが、伝わってくる穏やかな熱が心地よい。

 すり、と素直に擦り寄ってくる趙雲に言いようのないものがこみ上げてきて、馬超はそれを噛み締めながら目を閉じた。

 起きた時の趙雲の反応がとても楽しみである。


2013/9/17 文章へ移動



髪の毛


「子、!?」
 趙雲が回廊をふらりと歩いていると、よく知る声がこちらの名を呼びかけて息を呑む気配がした。振り向くと、穴を開けようとしているのかと疑うほどこちらを凝視する見開いた目。
 なにかおかしな所でもあるのかとその場で服を払ったりなんだりとしてみせるが、馬超の様子はまったく変わらない。そこで馬超の視線の先に何かあったかと考えたところでようやくああ、と納得した。
「もしかしてこれか?」
 これ、とは趙雲の髪のことだった。
 本来ならば後ろで一つに括っている黒髪は下ろされていて、さらりと風が揺らしている。趙雲が髪を下ろしていることは珍しかったが、しかし馬超が驚愕しているのはそこではない。
 趙雲の髪はすっかりと短くなってしまっていたのだった。
 今までずっと伸ばしたまま放置していたから短くなっているところを馬超が見たことあるわけがない。今日も出る前に括ろうとは思ったのだが、尻尾の長さがそこまで長くもならなかったので結局下ろしていたのだった。
 馬超の髪と比べたらやはりまだ長いのだろうが、趙雲のそれだと考えると明らかに短かった。

「この前討伐の任があっただろう?そこでうっかり切り飛ばされてしまった」
 苦笑しつつ語る趙雲の脳裏に蘇るのはついこの前のことだ。敵に囲まれながらも槍を振るっていたのだが、頭部を狙った敵の斬撃をひょいと避けた時そこに残るように伸びた尻尾を持っていかれたらしい。終わってから確かめたら今の長さ――首の付け根をすぎたあたりだろうか――になっていた。

 趙雲からすれば、本当になんでもないことなのだがどうやら馬超からするとそうではないらしい。青ざめた顔で固まってしまっている。
 考えてみれば今まで飛ばされなかったことのほうが珍しいのだ。今回以上の敵に囲まれて槍を振るったことだってある。むんずと掴まれたことが一応はあるが、その時は胴体を薙いでやったのでなんの問題なかった。遅かれ早かれ切り飛ばされたことだろう。
「そこまで気にすることでもないだろう。髪なんてすぐに伸びる。見慣れないかもしれないけど慣れてくれ」
「だが勿体無い……」
「勿体無いってお前……女じゃあるまいし」
 何を言うかと思えば。
 ようやく事態を飲み込んだかと思えばしゅんとしてその一言である。
 ため息をひとつ吐く趙雲だったが、いきなり両肩に手を置かれてビクッとして固まった。馬超の視線から気迫迫るような何かを感じる。気圧されながらもなんだと尋ねると置かれた手に力が込められた。
「次からは勝手に切られるなよ」
「そんな無茶なこ」
「無茶じゃないいいから切られるなよ」
「…努力シマス」
 頷かなければ解放されないことを悟り、おとなしく従っておく。しかし何故ここまで必死になるのかさっぱりわからない。長年文字通り放置しておいた髪は傷みが酷く、毛先は裂けてしまっているほどだ。女性の美しい髪とは比べものにならない。
 毛先を掴んで眺めてみるも何の変哲もない面白味のない髪である。なんでだか、と考えていたが、不意に馬超の顔が近づいてきた。髪を掴むその手をそっと捕らえ、そのまま髪に口付ける。
「俺はお前の髪が気に入っているんだ。わかったら切るな」

 趙雲に残されたのは頷くことだけだった。

2013/8/2  拍手
2013/9/17 文章へ